2011年11月11日金曜日

流行り病



 まだまだセントシュタインでは救国の英雄扱いが続いていたが、ユールは北東の関所を目指して旅立った。
 関所の先にはまた新しい街があり、助けを必要とする人間が必ずいる。
 天使としての使命感と、冒険者としての好奇心。正直な所、ウォルロ村の守護天使はしっかり地上で旅芸人生活を満喫していた。
 彼女と共に行くのは、天の箱舟の運転士サンディ。人間界に馴染んでいくユールを胡散臭く見守っているが、その実、彼女も負けず劣らず人間界での出来事を楽しんでいるフシがある。
 次に、武闘家アスラムと魔法使いメルフィナ。セントシュタインでの便利屋稼業を潮時と切り上げ、どこか新しい土地へという目的がユールとたまたま一致して、今回も同行することになったのだ。
 そして、彼らと共に黒騎士騒動に関わったセラパレス。城下で薬屋を営む彼は、元々冒険者ではなかったのだが、ある出会いが彼の人生を決定づけてしまった。
 ユールが何の気なしにカマエルの錬金について相談した所、セラパレスの方が寝食を忘れてすっかり錬金にのめり込んでしまったのだ。
 カマエルはユールが目の前にいないと働かないので、彼女は冷静沈着な店長の驚くべき傾倒振りを間近で見ることとなった。
「豊富な薬剤の知識を持ったセラパレスさんと、条件さえ合えば奇跡を次々に実現してみせる錬金釜。出会うべくして出会ったというか…」
「こりゃマジ運命だね」
 サンディが呆れ顔でぼやく程だ。
 城の図書室で貴重な文献を見せてもらい、彼らは薬草類を中心にいくつかの錬金を成功させることができた。
こうしてセラパレスは店を両親に任せ、更なる錬金レシピの研究のために旅立つこととなったのだ。
 気心の知れた顔ぶれで旅を続ける彼らは、無事に関所を抜け、秋色深まる高原を北上した。
「この先には、ベクセリアという街があるんですよね」
 どんな街かな、とわくわくしながらユールが言った。
「俺、実はベクセリアの生まれらしいんだよな。全然記憶にないんだが」
 ごく幼い頃にかの地を離れた、と感慨深げにアスラムが言った。
「そういえば、関所の兵士さんが気になることを言っていたわね。ベクセリアから引き返して来る旅人が多いと」
「関所が開通して間もないというのに…何事かあったのだろうか」
 セラパレスとメルフィナが目を見交わした。
 ユールは、関所で出会った若い兵士の心配そうな顔を思い浮かべた。
「兵士って、あの小悪魔ガールのカレシでしょ?確かにハンサムではあるけれど何か弱っちいってゆーか、逆に悪魔に食べられちゃいそうなカンジ?」
 関所の兵士パーシーは、セントシュタインの防具屋で夜のとばりを欲しがっていたジュリアの恋人である。
「可愛らしいカップルだと思ったんですけどねえ。見習い悪魔とスライムベスって感じで」
 同じものを見てこうも認識が違うものか、と、ユールは感心しきりである。
途中で金属製の鳩の集団にしつこく追いかけ回されたり、荷車で暴走する小鬼をなだめすかしたりしながら歩くこと3日。一行はベクセリアの街へと到着した。
 まず目に入るのが堅牢な城壁で、街の様子は濃い灰色の石垣に隠されていて見えない。この街は多層構造になっていて、街道に面して開かれている城門からまっすぐ伸びる大通り兼広場は一番低くなっている。
 大通りの両側からは上層へ繋がる階段がせり上がり、その先には城壁の高低差をそのまま生かした家並みが続いている。城壁の中にも商店や住居が設けられているため、ベクセリアは外観も内部も非常に入り組んだ構造となっている。
「ユール。ここの守護天使サマはどんなカンジよ」
 サンディが言った。ベクセリアの守護天使像は、城門の真上から来訪者を見下ろす形で置かれている。セントシュタインのものと同じく、ここも全くの無反応だった。
「もしかして、星のオーラと同じく、私が見えてないだけなんじゃないでしょうか」
「でも、いるなら向こうがアンタを見つけてくれるんじゃね?ここアタシにも何か無人っぽく見えるしさ、やっぱいないんだよ天使」
 守護天使が任地を離れるなど滅多にあることではない。ユールが地上に落ちる原因となった一連の出来事は、確かに天使界でも非常事態と言える惨事だったと思うが、そろそろ落ち着きを取り戻してもよいはずだ。
(守護天使が不在ということは…もしや、天使界が壊滅的な打撃を蒙って、全滅に近い状況なのでは)
 不吉な想像にすっかり色を無くしたユールの顔を、セラパレスが気遣わしげに見つめた。
「どうした、ユール。天使像に何かあったのか?」
 ルディアノで妖女の呪いを跳ね除けてから、ユールは仲間たちから天使だと認識されつつある。正確には「天使の力に精通したちびっこ旅芸人、人間かどうかはまだ不明」という半端な認識だったが。翼と光輪の有無はやはり見た目のインパクト的にも重要らしい。
 彼女の不思議な力とその過去を無視するでもなく利用するでもなく、人間たちは以前と変わらず接してくれている。それがユールには何よりありがたかった。
「いえ…、ここにも知り合いがおらず、ちょっとがっかりしている所です」
「そうか。守護天使がこの街の惨状を放置するとも思えないからな。不在も、何か事情があってのことなのだろう」
 今、ベクセリアでは謎の病が流行しており、住民が次々に倒れていっているのだ。
 薬草も治癒魔法も神父の祈りも効かず、日に日に患者が増えていくのに一向に解決策を打ち出せずにいる。
 大地震の直後で不安な毎日を送っていた所へ、追い打ちをかけるような病の流行。対応に当たっている町長も相当参っているとのことだった。
 セラパレスとメルフィナは教会で病人の対応を手伝うと言うので、ユールはアスラムと共に町長に会いに行くことにした。
 城壁を吹き抜ける風は冷たく、重苦しい曇天と石垣の色の相乗効果で、どんどん気分が暗くなってく。
 と、民家の軒先に据えられたベンチで、大荷物を両脇に抱えたまま、若い女性が眠りこけていた。
「こんな所で寝てると風邪引くぜ、お嬢さん」
 アスラムがポンと肩を叩き、起こしてやる。彼女はしばらくぼんやりしていたが、目の前に立つ2人の姿に気づき、にっこりと笑った。
「ごめんなさい。ちょっとうたたねしちゃって。起こして下さってどうもありがとう」
 ヒラヒラしたエプロンドレスと、肩口でカールさせた髪。何だか砂糖菓子のような甘い雰囲気を持つ女性だった。
「私、エリザっていいます。あなたたちはもしかして、旅人さんですか?」
「ええ。今日ここに到着したばかりなんです。それにしてもすごい荷物ですね。買い物ですか?」
「そうなんです。これ持って帰らなきゃなあ…。ケホッ、ケホン!」
「あの、よろしければお手伝いしましょうか?」
 この申し出に勢いよく立ち上がったエリザは、両手を胸の前で組み、うるうるした目でユールを見つめてきた。
「ホントですか!?すっごく助かります。うち、すぐそこなんで、案内しますねっ!」
 さっさと先へ立って歩いていくエリザに、アスラムがため息をついた。
「って、荷物全部こっち持ちなのかよ。無防備だなオイ」
「私たちが悪い泥棒だったら、荷物持って即トンズラですよね」
 彼女の家はベクセリアの北側の一角にあった。すぐ横の階段を上れば、街で最も高い位置にある町長の屋敷は目の前だ。
「はい、到着です!荷物はその辺にドサッと置いといて下さい~。今、お茶淹れますねっ」
「いえ、お気遣いどうも~」
 エリザの甘ったるい口調が移ったか、ユールはゆったり返事をした。
「私たち、これから町長さんの所に行くんです。流行り病のことで何かお手伝いできないかと。ただ町長さんもお忙しいでしょうから、旅人がひょっこり行って会えますかねえ?」
 ユールとアスラムは出されたお茶を味わいつつ、エリザに町長のことを聞いてみた。
「あ、大丈夫だと思いますよ。きっと部屋でうんうん唸りながら古文書とにらめっこしてますから」
「町長さんは古文書が読めるんですか。では、この事態の解決の鍵がそこに?」
「いいえ、全然読めないのに無理して抱え込んじゃってるんですよ~」
 エリザはカラカラと笑った。笑いすぎて咳き込んでいる。
「状況が状況なんだし、意地張ってないで専門家に任せた方がいいんじゃないのか?」
 アスラムが渋い顔で言うのに、エリザはにっこりと笑って言った。
「古文書ならうちのルーくんがばっちり読み解いてくれますよ!ルーくんってのは、うちの主人のルーフィンのことね。キャッ!主人ですって。てれるぅ~!」
笑顔から一転、エリザは頬を真っ赤に染め、両手で顔を隠してしまった。旅人はすっかり置いてきぼりである。
「新婚なんじゃね?にしても、テンションたっかー…」
サンディが呆れ顔で言った。
「ああっ!スミマセン!ルーくんなら、今お仕事で研究室に篭ってるんですよ。いきなり会いに行っても、ルーくん人見知りするから…。じゃあ、私が一緒に行って、研究室の扉、開けてもらいますね」
「ご無理を言ってすみません」
 数刻後、ユールたちは至る所に本が積まれた狭苦しい研究室で、古文書の解読結果について聞くことができた。
この妻にしてこの夫あり。エリザの夫もまた強烈な個性を持つ人物だった。
彼はルーフィンと言い、考古学の研究のためにベクセリアを訪れた学者である。
ぼさぼさの赤毛を邪魔にならぬよう無造作にまとめ、ヨレヨレの白衣と黒縁の眼鏡を身につけている。年の頃はアスラムとそう変わらないが、猫背のせいで若さはあまり感じられなかった。
彼は自己紹介を「めんどくさい」と渋り、始終眠そうに喋った。喋りに合わせて動作も緩慢だ。しかし、自身の専門の考古学のこととなると、すらすらと淀みなく話すのに、ユールは驚いてしまった。
「事の起こりは100年ほど昔。この街の西で遺跡が発見されました。当時のベクセリアの民は軽はずみにも遺跡の扉を開いてしまった。その中に、病魔と呼ばれる恐るべき災いが眠っているとも知らずに…。この病魔こそが、今広がっている流行り病の元凶というわけです。古文書によると、実際には病気というより呪いの一種だったようですね。当時の人々は病魔を封印し、遺跡の入口を祠で塞ぐことで、呪いから逃れたといいます」
「ってことは、今この街に流行り病が復活したのは?」
 妻の問いに、ルーフィンは頷きを返す。
「多分、この前の地震で祠の封印に何か異変が生じたんだろうね」
「じゃあ、祠に行って病魔ってのを封印し直せばいいってこと?」
「その通りさ。まあ素人には難しいだろうけど、この街でできるのは、ぼくだけだろうね」
「じゃあ、じゃあルーくんがこの街のために祠の封印を直しに行ってくれるの?」
 なおも問いを重ねるエリザを見やり、ルーフィンは眼鏡を外して眉間に手をやった。
「…そりゃ、もしうまくいったらお義父さんだってぼくのことを認めてくれるだろうし、何よりあの遺跡を調べられるまたとない機会なんだから、行きたいのはやまやまだよ。でも遺跡には魔物が出るらしいし、わざわざ出かけていってケガするのもバカバカしいよな」
「それ以前に、遺跡ってのは誰でも自由に入れるものなんですか?」
「一般人は当然ダメだろ。ま、考古学者サマならどうだか知らねえが」
 そっぽを向いた夫の代わりに、エリザがアスラムに言った。
「遺跡の管理は代々の町長が任されてます。あの遺跡を調べさせてくれ、ってルーくんが何度か頼んでるんですが、掟に反するとかいってパパは全然許可してくれないんです」
 彼女の発したパパという単語に、サンディとアスラムの眉根が寄った。
 ルーフィンはさっそく新たな古文書の解読に没頭していて、会話に入ってこない。
「とにかく、このことを町長さんに話して、相談してみましょうか」
 雑談に流れかけている一同を、ユールがまとめた。
「そうですね。病気の原因は分かったし、これって大きな進歩ですよ。ルーくんってば、すごすぎです!…んっ、ケホッ、ケホン!…スミマセン、コーフンしすぎて咳き込んじゃいました」
「ではエリザさん、ルーフィンさん。私たちが町長さんと話してきます。挨拶のついでもありますし」
「はい、よろしくお願いしまーす」
 エリザに明るく見送られ、研究室を後にしたユールたちは、街の北にある町長の屋敷を目指した。
「つーか、カテーのジジョーってヤツが多分に含まれてない?この話」
「お義父さんだってぼくのことを認めてくれる…だそうですし。遺跡の件も掟の問題だけではなさそうですね」
 ユールとサンディは揃ってため息をついた。
「娘を変な男に盗られたって意地になってる親父か。こりゃ相当厄介だぞ」
「それでも分かって頂かないと。ベクセリアの非常事態ですから」

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