2011年10月25日火曜日

新たな出会い

 セントシュタインを騒がせていた黒騎士の一件は、「旅芸人ユールの勇敢なる働き」により円満解決に至った。
 その勇敢なる旅芸人は、朝の混雑が収まった酒場で、ぐったりとテーブルに伏していた。
 黒騎士騒動のあおりで閉鎖されていた北東の関所が再開し、物や人の行き来が盛んになってきた。この街にも大地震前の人々の暮らしが戻ってきつつある。
 さらに、すっかり街の英雄になってしまった「旅芸人ユール」に会いに、リッカの宿屋を訪れる客が後を絶たない。その応対と近頃とみに忙しくなったリッカの手伝いで、ユールはすっかり疲れきっていた。
「英雄って、私だけじゃないんですが…」
 フィオーネ姫と共にルディアノから戻ったあの日。登城しようと城門まで来たところで、アスラムとメルフィナが「今度こそ堅苦しいのはごめんだ」と行方をくらまし、セラパレスにも「長く留守にした店が心配だから」と置いていかれ、結局ユールはサンディと2人きりで国王に謁見することとなった。
 あれよあれよと彼女は救国の英雄として祭り上げられ、宴につぐ宴で数日帰してもらえなかった。
 初日の宴が終わった後、またしてもフィオーネ姫に拉致されたユールは、あるものを探しに単身ルディアノ城の探索に出かけた。
 本当はフィオーネ自ら出向きたかったようだが、今回の無断外出で父王の厳しい叱責を受けたばかり。しばらくは大人しくしているつもりのようだった。
「ユールさまがエラフィタへ向かわれた後、全てお任せしたのにどうしてもじっとしていられなくて、わたくしもエラフィタに行こうとキメラの翼を使ったのです。けれど、何故かあの広間の扉の前に立っていたのですわ。護衛の者たちも皆驚いていました」
 宴の最終日の午後は久々に晴天に恵まれた。フィオーネ姫は自室のテラスでユールのみを招いて小さなお茶会を開いた。
 姫は彼女がルディアノから持ち帰った品々を愛しげに撫でた。対面に座したユールは、いささか無作法に茶菓子と紅茶をせっせと消費している。サンディなどは宴の料理を食べすぎてベッドから出られずにいるのだが、彼女にとって宴の料理とお菓子は入る所が違うらしい。
「そちらの本はメリア姫の手記のようですが、ボロボロで中身がほとんど読めません。本にはさんだ紙の方は、比較的状態がマシなものです。筆跡からして男性のもの、おそらくレオコーンさんがメリア姫に宛てた手紙かと…」
 ユールはルディアノ城のメリア姫の部屋から日記と手紙を持ち出したのだ。フィオーネ姫は手紙をそっと開いた。
「何と書いてありますの?」
「ええと…。姫のお気持ち、大変嬉しく思います。しかし私は、魔女討伐の任を果たさねばならぬ身ゆえ、どうかそれまでお待ち下さい。私の心は、いつでも姫と共に。…以上です。便箋に黒い薔薇の紋章があしらわれています」
 ほう、と息をつく姫の手から、ユールは本を受け取り、壊さぬようにそっと開いた。
「それと、本のこのページですが…。黒薔薇の騎士よ。私は行きます。遠い異国の地へ。あなたのことを忘れたのではありません。ルディアノの血が絶えぬ限り…私は、あなたを…いつか…」
 ページが破れ、文字がかすれて読めなくなっている本を、ところどころユールは訳した。
「ユールさま。メリア姫の夫君、セントシュタイン9世の時代について、我が国には何一つ記録が残されていないのです」
 伝わっているのは、王家の系図に記された王と妻子の名前のみと聞いて、ユールは驚いた。
「何一つですか?王家だけでなく民の残したであろう記録すら残っていないなんて、そんなことが可能なのでしょうか…」
「覚えていらして?わたくしがレオコーンさまと踊った時に身につけていた首飾りを。あれは、遠い異国より我が国に嫁いできた姫が愛用していたものだと、王家の女性たちの間で伝わっているものなのです」
「メリア姫のお部屋にあった肖像画に、確かに赤い首飾りが描かれていました!」
「ああ!では、やはり…」 
 しばし心を落ち着かせ、手紙を本に挟み込みながら、ゆっくりとフィオーネ姫が話し始めた。
「わたくしの身に流れるこの血が、わたくしをあの場所へ導いたのだと思います。長い年月で故国も歴史も無くなってしまったけれど…この品々は、メリア姫とレオコーンさまが確かに生きていた証なのですね」
 言い終え、静かに涙を流す姫に、ユールは言った。
「人の思いは残るのです。何年かかっても、どんな形になっても、伝えたかった人にいずれ伝わるのですよ」
(伝わるよう手助けするのが守護天使の務め…でしょうか、師匠)
 ユールは紅茶のカップを置き、テラスから城下の風景を眺めた。
 サンディによれば、街中星のオーラで溢れているらしいが、相変わらず彼女はオーラが見えないままだ。
 セントシュタインの天使像も変化はなく、唯一収穫と呼べるのは、峠の道に転がっている天の箱舟がユールの存在に微妙に反応したことくらいだ。
 星のオーラの輝きが天使界からも見えていれば、何らかの変化があってしかるべき、というサンディの言に従い、彼女たちは宴の最中にこっそり城を抜け出したのだ。
「あんなに頑張ったのに成果これだけとかマジ有り得ないんですケド!」
 箱舟からの帰り道。サンディは不遜にも神を疑う発言をくり返して愚痴っていたが、ユールとしては今出来ることをただこなしていくのみだ。
「人間界、なかなか面白いかもしれません」
 楽しげに笑うユールを、不気味なものでも見るような目でサンディが見た。
 数日にわたる城での宴が終わり、久しぶりに宿へ戻った彼女をリッカたちが温かく出迎えてくれたが、
「オツトメご苦労様です英雄殿。ちなみに薬の調合は店長、ラッピングはメルが担当だ」
 というアスラムの手紙つきの胃薬を渡され(本人は魔物討伐で不在)、ユールはむくれながら笑った。
 かように忙しい毎日を過ごすユールに、2つの新たな出会いがあった。
 まず、宿のカウンターの端に腰掛けてじっと動かない女性、ラヴィエル。
 髪も肌も白く、頭上に光輪、背に大きな翼を持ち、風変わりな装束を身につけている。その装飾はどことなく天使界のものを思い出させた。
 そして、彼女の体は青く透けており、宿のカウンターなどという目立つ場所にいるのに人間たちは誰も気づかない。
 地上において人間は天使の姿を見ることはできないが、同じく天使であるユールの目にさえ体が透けて見えるのは、本来ありえぬことだった。
 彼女は地上をさまよう幽霊たちとも違う、異質な気配を醸し出しているのだ。正邪の判別も怪しい存在である。
 ロビーを通るたびに彼女のことが気になっていたユールだったが、ある晩、ようやく2人だけで話す機会を得た。
「こんばんは。はじめまして。ユールと申します」
「私はラヴィエルだ。よろしく」
 ラヴィエルの低い声は穏やかだが、どこか背筋が伸びるような生真面目さもある。
 そして、沈黙が落ちた。まさかいきなり「あなたは天使ですか、それ以外のものですか」とも聞けない。
 ユールの躊躇いを見て取ったラヴィエルがふと口元を綻ばせる。
「安心するといい、私も君と同じ天使だ。私はここで別の世界へと続く扉を管理している。君が望むなら、いつでも扉を開こう」
「あの…今は別の世界より、天使界へ一刻も早く帰りたいのですが」
「そうか。君の方もいろいろあったようだからな」
 ええ本当に、とユールは頷いた。やっと同胞に会えた喜びが湧き上がってくるが、彼女は何とか自身を保ち、続けた。
「ラヴィエル様。もしよろしければ、天使界へ帰参した折に、私のことをオムイ様にお伝え願えませんでしょうか?」
「様とは大仰だな。ラヴィエルで構わない。…ユール、私には扉の管理という役目がある。この地を離れることはできないんだ。力になれず、すまないな」
「いえ、そんな…!この地上で初めて私以外の天使に会えたのです。どんなに嬉しいことか…ラヴィエルさん、またここにお話をしに来てもよろしいですか?別の世界のことも伺いたいですし」
 いつでも、と控えめな笑みと共にラヴィエルが言った。
 その直後、夜勤のリッカに夜更かしを咎められ、話はお開きになったのだが、ユールはそれから毎晩ラヴィエルに会いに行った。
 彼女は天使だと言うこと以外自分のことを話さなかったが、別の世界のことについてはユールが仕組みを飲み込むまで丁寧に説明してくれた。
「ここに3枚の皿がある。それぞれ1年前の世界、現在の世界、1年後の世界としよう」
 ユールが夜食に持ち込んだおやつの皿を指し、ラヴィエルが言った。
「そしてこの赤い飴玉が君だ。君は現在の世界の皿にいて、別の世界へ行くために私の元を訪ねる。しかし、いつでも別の世界へ旅立てるわけではないんだ。この両隣の皿から…別の世界から呼ばれて初めて旅立つことができる」
「でも、私は別の世界に知り合いなどおりませんから、呼ばれようがありませんよ」
「君の方から呼べばいい。1年前、1年後の世界にいる誰かをな。呼びかけに応えてやってきた誰かと共に旅をし、友好を深め、今度は君が別の世界へ呼ばれて出かけて行く、というわけだ」
「普通の人間がホイホイ世界を移動できちゃうってワケ?それって相当ヤバくね?」
 3枚の皿の間でユールに見立てた飴玉を往復させながら、サンディが言った。ユール以外の天使に興味を覚えたと言って同席しているのだ。
「ラヴィエルさんの姿が見えないと、そもそも旅人になれませんから、普通の人間には無理なのでは?」
「じゃー、この人すっごくヒマしてるってコト?」
「サンディ!失礼なことを言わないで下さい、もう!」
 2人のやり取りに、ラヴィエルが苦笑いで首を振った。
「ここでは便宜上3枚の皿ということにしているが、実際はさまざまな時間軸で進む世界が無数に存在しているんだ。それぞれの世界で旅人が現れ、望む世界へ旅立っていく。彼らを導くのが私の務めだ」
 壮大な話に想像が追いつかなくなりながら、ユールがうっとりと言った。
「いつか…私もいつか別の世界へ行ってみたいです」
「まず天使界に戻ってからだね」
 サンディが飴玉のユールをぱくりと頬張りながら言った。
 次に、リッカが物置の整理中に発掘した錬金釜、カマエル。
 どうして釜に名前がついているかというと、本人(本釜?)が自ら名乗ったからである。
 錬金釜は四足で、丸っこい胴体に羽根がついている。愛嬌のある形を気に入ったリッカが「縁起物」としてカウンターに置いたその夜、ロビーにやって来たユールは釜がいびきをかいて居眠りしているのに気づいてしまった。
 幸か不幸か、周囲にはラヴィエルと彼女以外誰もいない。
「お客さーん、こんな所で寝てると風邪を引きますよー」
 ぱんぱんと、ユールが釜の横っ腹を叩いた所、
「…ハッ!ね、寝てません!わたくしは寝てなどおりませんよ!」
 釜が喋った。やや上ずってはいるが十分にダンディな低音で、早口に。
 とにかく人目の無い所へ、と、ユールは釜を抱えて従業員控え室へ駆け込んだ。
 そろそろ日付の変わる刻限である。住み込みの従業員たちは各自で配置についているか自室に引き上げており、人の出入りはほとんど無い。内緒話にはうってつけの場所なのだ。
 無人の控え室で、ユールは釜と向き合った。渋い声に似合わず饒舌な錬金釜のカマエルは、パタパタと蓋と羽根を動かしながら己の身の上を語った。
 アイテムとアイテムを掛け合わせてより優れたアイテムを生み出す奇跡の術・錬金。彼はその術を行うための特別な釜なのだと言う。
 錬金のやり方は簡単で、カマエルの蓋を開け、中にアイテムを入れるだけ。材料の大きさや重さは考えなくてよいそうだ。さすが奇跡の釜である。
 ユールは試しに薬草を3個カマエルの中に入れてみたが、ポンと蓋が開いて薬草が手元に戻ってきてしまった。どうやら錬金失敗らしいのだが、どこがどうダメだったのか、彼は言ってくれない。
(これは、メルフィナさんやセラパレスさんに相談した方がいいかもしれない)
 ユールは彼女を「お嬢様」と呼ぶカマエルと四方山話をしつつ、控え室で夜明けを待った。
「あれ?ユール、錬金釜こっちに持ってきちゃったの?」
 夜が明けきらぬ内に、おはようと控え室に顔を出したリッカが、開口一番ユールに問いかけた。
 さすがに「この釜、喋るし動くんです」とは言えず、ユールは曖昧に笑って誤魔化した。
「ここの図書室でこの釜の使い方が何か分かったっぽくて、いろいろ試していたんです」
「そっか、飾っておくだけじゃ勿体無いもんね!あ、でもここ火気厳禁だから気をつけてね、ユール」
「わ、わたくしも、火あぶりは嫌でございます、お嬢様っ…」
 声を潤ませて訴えるカマエルを撫でながら、ここで煮炊きはしないとユールは約束した。
 今後、アイテムの調合を行うのに、カウンターでは何かと差し障りがある。特に置き場所に拘りは無いらしいリッカの了承を得て、錬金釜のカマエルは従業員控え室の片隅でその力を発揮することとなった。

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