2012年2月20日月曜日

進むべき道


 ダーマの塔の奥に広がる異空間で、ユールたちは魔神と化したダーマ大神官と対峙していた。
「あのおっさん、力を求めすぎてヤバいものを呼び込んじまったみたいだな」
「魔神ジャダーマを外へ出すわけにはいきません。人々の行く末を誰よりも案じていらした大神官様のためにも…ここで止めてみせます!」
 ユールとアスラムが、先陣を切って魔神に攻撃を仕掛けた。
 爬虫類を思わせる長い尾を五月蝿そうに振りながら剣と拳の一撃をいなし、ジャダーマが両手を広げて雷撃を放ってきた。
 接近していた2人はあえなく吹っ飛ばされたが、セラパレスのホイミで体勢を立て直し、再び立ち向かっていく。
 雷撃のお返しにメルフィナがヒャダルコの氷塊をぶつけ、仲間たちにスカラをかけ終えたセラパレスも攻勢に加わった。
「愚かな人間どもよ。我が力の偉大さを思い知れ!」
 ジャダーマの両手が複雑な印を組むやいなや、中空にいくつも発生した竜巻がユールたちを取り囲み、強かに打ち据えた。 
「くそっ…本気出してきたな。堕ちても大神官ってわけか」
「この空間は魔力で溢れているから、ただでさえ魔法が暴走しやすいのよ」
 魔神の哄笑が響き渡る。ユールは不意に体の力が抜けるのを感じた。ジャダーマのマホトラで魔力を吸い取られたようだ。
「結構持っていかれ…って、うわっ!」
 また暴走竜巻に巻き込まれたユールは、魔法陣の端まで跳ね飛ばされてしまった。
 アスラムの蹴りが決まり、魔神の左腕がぶらりと垂れ下がった。しかし、
「おい、何だか急に堅くなったぞこいつ!」
 チャンスと見て更に拳を叩き込もうとしたアスラムの攻撃が、魔神のスカラによって阻まれてしまう。
 メルフィナのルカニが効いたが、すぐさまスカラで下げた防御力を上げられてしまう。
「焼け石に水かしら…ね」
 淡く笑みさえ浮かべながら、メルフィナが杖をジャダーマに向ける。
「この場の魔力を…利用させてもらいましょう」
 彼女の放つヒャダルコが暴走し、魔神を一瞬で氷柱に変えた。爆ぜた氷が全身に突き刺さり、たまらず魔神が膝をついた。
「私が応援に回りますから、アスラムさん、頼みます!」
 セラパレスの手当てで回復したユールが応援を繰り出す。
「これで目を覚ませ!」
 テンションの乗った渾身の右ストレートがジャダーマの顔面に決まった。魔法陣の中央に大の字に倒れるも、なお立ち上がろうともがいている。
 油断無く武器を構えた4人が取り囲む中、突如ジャダーマが胸を掻き毟り、苦しみ始めた。体から黒い波動が勢いよく吹き出している。
「ぐっ…オオオオオ!我の力が…力が消えてゆく…!」
 波動の放出が収まると、人間の姿に戻った大神官がぐったりと倒れていた。その隣には、黄金に光る丸いもの…女神の果実が転がっていた。
「女神の果実じゃん!おっさんに食べられちゃったんじゃなかったの?」
 サンディが嬉しそうに女神の果実を抱きかかえ、ユールは大神官の傍に駆け寄った。
「大神官様!」
 セラパレスの回復呪文を受け、ゆっくりと彼が目を開けた。魔神化が解けて間もないせいか、記憶に少々混乱が見られた。
「大神官様。光る果実を食べた影響で、神殿からダーマの塔にいらしたのですよ。覚えてらっしゃいますか?」
「果実…ああ、それを口にしたのは覚えておる。だが…それから、それから何が…。自分が自分でなくなっていく恐怖だけは、はっきりと覚えておる…」
「もう終わったことです。ご安心下さい」
 ユールが彼のか細い手を握り励ますと、ふらふら彷徨っていた視線がようやく定まった。
「そなたらは…皆よく見ると傷を負っておるではないか。一体わしはここで何を…」
 本当のことを告げたものかどうかユールが迷っていると、セラパレスが彼女の肩に手を置き、言った。
「ユール。ひとまず大神官様を神殿にお連れしよう。ルーラで飛んでもらえるか?」
「そうですね…。」
 サンディから女神の果実を受け取って袋に入れた後、ユールがルーラを唱えた。
 こうして一行はダーマ神殿に戻ってきた。…神殿の階段の下に。
「神殿全体を守護する魔力の影響で、キメラの翼で飛んできても階段の下に出るようになっている。まあ修行の一環ということじゃな」
 と、まだ朦朧としている大神官がブツブツ説明していたが、こんな時くらいはとユールたちは恨めしい思いに駆られた。
 高齢の大神官を交代で支えながら、ユールたちは階段を登った。
 沈み行く夕陽が、湖を、森を、空を茜色に染め上げてゆく。
「本当にこの島は夕陽が綺麗ですねえ」
「それにしても、人間が果実を食べるとロクなことにならないんですケド。あーやだやだ」
 景色をのんびり眺めるユールに、サンディがうんざりしたように呟いた。
「そうですね。聖なる世界樹に実ったものが、あんなむごい変化を齎すとは…いや、強すぎる力が人間のあるべき範疇を越え、その姿を歪めたという方が正しいでしょうか」
 サンディの言う通り、人間にとっては危険極まりない代物であることは間違いない。
 そんなものがゴロゴロ地上に落ちているなんて、とユールは焦りを覚えた。
「お?あれってもしかして…もしかして!?」
 階段ですれ違う転職希望者たちが大神官を連れた一行に気付き、手を貸そうと申し出てくれた。
「おお、皆すまぬな…」
 神官や警備兵たちも上から出迎えに降りてきた。大神官の無事を喜び、涙ぐんでいる者までいる。
(ここに集った人々にとって、大神官様が進むべき方向を照らしてくれる光なのですね)
 天使でありながら人間界で彷徨い、本来守護すべき人々に多くを教えられながらここにいる。そんな私の光はどこにあるのだろう。
 翌朝早く、ユールは一人で大神官に会いに言った。
 ダーマ神殿の儀式の間は建物の中で最も高い場所にあり、柱に囲まれたバルコニーの向こうには抜けるような青空が広がっている。
 天窓から燦々と降り注ぐ陽光が、祭壇に据えられた有翼の女神像と、その前に立つ大神官を神々しく照らしていた。
 己が魔神となり、危うく世界を滅ぼしかけたという事実を冷静に受け止めた大神官は、改めて彼女に礼を言った。
「わしは人々を良き方向へと導く力を求め、これまで修行に励んできた。あの果実はわしの望んだ力を与えてくれたかも知れないが、わしはその力に溺れてしまった。その結果…。そなたと仲間たちには感謝のしようもない。せめて我が転職の力を旅に役立てて欲しい。わしはダーマ大神官。転職によって人々をより良き道へと導くことこそ、わしの役目なのだ」
 右手に携えた書物に目を落とし、ゆっくりと、だが力強さを秘めた声で大神官は語った。
そんな彼にぐるぐる煮えきらぬ悩みを相談してよいものか。しばし逡巡した後、ユールは思い切って問いかけてみた。
「大神官様。ダーマの塔へ行ってからずっと考えていることがあるのです。私には果たすべき役目があります。ですが、それを果たそうとすればするほど正解から遠ざかっていくように思うのです」
「ふむ、今までのやり方でよいのか迷いが生まれた、と?」
「今まで迷うということすら知らなかったのです。私には間違いが許されないのです」
 天使として人間を守護することに加えて、彼女は果実の収集という天使界始まって以来の大任もこなさねばならない。
ただ単に怖気づいているだけなのか。昨夜一晩じっくり一人で考えてみたが、答えは出なかったのである。
 話を聞き終えた大神官は膝をつき、小柄なユールに目線を合わせ、言った。
「ひとたび道を選んだからといって、それで全てが丸く収まるわけではない。我らは生を受けると同時に問いを与えられ、終わりの無い答えの中を生かされておるのだ」
「…ひどく、不安です。大神官様」
「わしも不安になり、迷いもする。神ならぬ身ゆえな。わしが持つこの力は答えに近付く幾本かの道を指し示すのみ。道を歩むのはそなたら一人一人なのじゃ」
 昨日とは逆に、大神官がユールの小さな手を握り、励ますように力を込めた。 
「ユールよ。魔神となったあの時、わしは世界の人々の心に不安が満ちているのを感じた。この世界に何が起こっているのか、正確には分からぬが…このダーマ神殿にて新たな道を選びし者たちがいれば、案ずることはないと、わしは信じる。選び、試し、迷う中で彼らは更に強くなるのだから。…さあ、そなたも決めるが良い。己の進むべき道を。己の意思で」
 私の道。女神の定めた道を外れた、この私が歩むのは。
(…どうせ前例なしの規格外な天使なんですから、己の気の向くままにガンガンいっちゃいましょうか?)
 私が私の前例になる。少女の瞳にまっすぐな光が戻ったのを見て、大神官が微笑んだ。
「では、おつとめに参ろうか」