2011年12月14日水曜日

暁光


 夜の墓地でユールたちはエリザに向かい合った。正確には、彼女の幽霊と。
「あなたは亡くなっても全然変わりませんね…」
 こちらはいろいろ思い悩んで大変なんだぞ、と、ユールは視線に感情を込めて彼女を見つめてみた。
「えーと、まあ、笑いごとじゃないですよね。スミマセン。実は、ルーくんのことでユールさんにお願いがあるんです」
 このままでは彼がダメになってしまう、とエリザは目を伏せた。
「よしユール。こうなったら救えるモンは何だって救ってやんなさいっ」
「でも、ルーフィンさんは研究室に閉じこもってますよ」
「そのことなら大丈夫。ちょっとしたコツがあるんですよ」
 エリザに導かれ、ユールとサンディはルーフィンの研究室へとやって来た。ユールがドアをノックしてみたが、やはり応えはなかった。
「ユールさん、普通に叩いても駄目ですよ。ルーくんに出てきてもらうには、こうするんです」
コンコンコココン、コン。エリザの言う通りにドアをノックしてみた所、すぐさまルーフィンが飛び出してきた。
ユールを見た途端に、彼の顔に落胆の色が広がる。申し訳なく思いながらもユールは挨拶をした。
「あの、こんばんは…」
「今のはあなたの仕業か?わざわざエリザのノックを真似するなんて冗談にしても性質が悪い!もう二度としないで下さい!」
「…うわー、いきなり怒らせちゃったんですケド。まあ、怒鳴る元気はあるってことか」
 ユールが何か言うべきか迷っていると、城壁の上から声が降ってきた
「おっ、ルーフィン先生!」
 一同がびっくりして見上げると、こちらに身を乗り出すようにして若い男が手を振っていた。
「流行り病を止めてくれてありがとよ!町の連中に代わって礼を言うぜ。あとよ…。早く立ち直ってくれよな!皆あんたを心配してんだぜっ」
「な…何なんだ、一体…」
 男はあっさり立ち去ったが、いきなり礼を言われてルーフィンは戸惑っている。そんな夫を見て、エリザがユールに言った。
「ユールさん。私の最期の言葉としてルーくんに伝えてください。ルーくんが病魔を封印したことで救われた人たちに会ってほしいと言ってたって」
「それはどういう…」
 彼女の意図が読めず怪訝な顔をしていたら、早く早くと急かされてしまった。言われたままにユールが伝言すると、
「エリザがそんなことを…?」
 俯きがちにルーフィンが言った。
「でも、ぼくは誰が病気になってたかも知らない。あの時、お義父さんを見返すことばかりに気を取られてて…。ユールさん、今からぼくを病気に苦しんでいた人たちの所へ連れて行って下さい。今更ですが、どんな人たちが流行り病にかかって、どんな思いを抱えていたか、知りたいんです。それを知れば、病気になったエリザがどんな気持ちでいたか分かると思うから」
 そうして、ルーフィンはユールの案内で病に倒れた人々に会いに行った。夜遅い時刻にも関わらず、ルーフィンの姿を見た人々は口々に妻を亡くした彼のことを気遣ってくれた。
 彼と共に街を歩いて、ユールは大人から子供まで多くの人が病に倒れ、苦しんでいたのだと改めて痛感させられた。
(その多くの人々をルーフィンさんが救い、そして研究第一だった彼が大きな一歩を踏み出せたのはエリザさんのおかげ、なんですよね…)
 彼女が彼を信じ、力づけたからこそ、病魔を退けることができたのだ。
 夫の背に寄り添うように漂うエリザの小さな背中を見つめ、ユールは言った。
「人の絆、人の縁というものには驚かされるばかりです」
「そうやって結ばれて、将来を誓い合った人を亡くすのって、どれだけ悲しいのかな…。アタシには想像できないや」
「私もです。天使には、二度と会えない別れというものがありませんから」
「そーなの?そーいや、天使のお葬式って見たことないかも」
「星になった方を弔いはしませんが、祈りはしますよ。どうか私を見守っていて下さい、と。上級天使に対する畏敬の念もあるかもしれませんね」
 街の下層に降りるため、彼らは教会の前までやって来た。ルーフィンは初めて妻の墓前に立った。
「エリザ、すっかり来るのが遅くなって悪かったね。今、君の願い通り、流行り病に罹っていた人たちを訪ねているところなんだ。それで君が伝えたかったことが分かったら、また報せに来るよ」
 最後に、刻まれたエリザの名に指を滑らせ、ルーフィンは立ち上がった。
「私はこっちですよー」
 エリザがおどけてパタパタ手を振っているが、当然のことながら夫は気づかない。
「…向かい合って話せないの、やっぱりちょっと寂しいな」
 そう言って俯くエリザに、ユールは痛ましげな視線を向けた。
 次に立ち寄った宿屋では、病によって足止めされていた商人の夫婦に出会った。新婚だという夫はずっと倒れた妻の手を握って看病していたらしい。
 妻を救えなかった自身を思い起こし、ルーフィンの表情が苦いものへと変わる。
そのせいかどうかは分からないが、夫が席を立った隙に、お礼と称して妻がいきなりルーフィンにしなだれかかってきた。
「ぱふぱふくらいなら、ダーリンもきっと許してくれるはず…」
「や、止めてください!」
「ちょっとぉ、何してくれんのこの女!じゅんじょーなルーくんを惑わせないでっ!!」
「あなた新婚なのに何やってるんですかー!旦那さんが泣きますよ!」
妙に熱っぽい視線で迫る人妻と、いろいろな意味で動揺するルーフィンと、激怒するエリザを宥めながら、ほうほうの体でユールたちは宿屋を後にした。
その後も、ユールたちは夜を徹して街中を歩いて回った。ひたすらに街の人々の話を聞き、それぞれの思いに向き合った。
一通り訪問を終え、自分の感情の落とし所を見つけたのか、ルーフィンは憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔をして言った。
「もう十分です。ユールさん、案内してくれてありがとうございました。おかげでエリザの言いたかったこと、分かったような気がします」
 研究室へ戻るために、上層への階段を一歩一歩登って行く。彼は歩みに合わせ、言葉を噛み締めるように話した。
「今までのぼくは何をやるにも自分のことばかりで、周りが見えていなかったんですね。だからエリザの体調がおかしいことすら気づかないで…全く情けない話です」
階段の横に広がる墓地で再び妻の墓前に立ち、ルーフィンは目を伏せた。エリザが夫の肩に触れようとするが、すり抜けてしまう。
「街を回ってみて、初めて自分がいかに多くの人々に関わっているのか気づきました。これからはそのことを忘れず、このベクセリアの人々と共に生きていこうと思います」
 ユールたちは墓地を出て、風に吹かれながら歩いた。城壁の向こうに広がる白み始めた空と彼方に広がる平原を…数日前に自分が使命を持って歩いた道を眺めながら、ルーフィンが言った。
「皆に感謝されるのも、悪くない気分ですしね」
「…ええ、あなたはそうでなくては」
 久々に聞いた気がする「ルーフィン節」に、ユールは何だか嬉しくなってしまった。
そのまま言葉もなく、彼らは刻々と色を変えていく空を、大地を眺めていた。
つんつんと不意に肩をつつかれたユールが振り向くと、満面の笑みを浮かべたエリザがいた。
「ルーくんを助けてくれて、本当にありがとうございます。おかげで私、死んでるのに自分の夢を叶えることができちゃいました。ルーくんの凄い所をベクセリアの皆に知ってもらうこと、そして…ルーくんにこの街を好きになってもらうこと。それが私の夢でしたから」
 夫の背を見つめながら幸せそうに微笑む彼女だったが、そうそうゆっくりもしていられないらしい。彼女の体から青白い光がぽつぽつと流れ出していた。
「そうか、日の出が近いのですね」
「ええ、もう時間みたい…。それじゃあこれでお別れです。どうか、ユールさんも皆さんもお元気で…」
 最後まで夫を見つめながら、エリザは光と共に消えていった。
 彼女が消えた先をいつまでも眺めているユールに、ルーフィンが声を掛けた。
「…ユールさん。今日はこんな時間まで付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。あなたももう休んでください。ぼくは少し考え事がしたいので、しばらくこのまま起きています」
「いえ、私は何も!ただあなたについて行っただけですし。…では、おやすみなさい。あまり無理をなさってはいけませんよ」
思索の邪魔をしては悪いと、ユールとサンディは仲間たちのいる教会へ戻ることにした。
「あー、もうすっかり朝ですね」
ついに顔を出した太陽が眩しくて、ユールは目を細めた。
「つーか、星のオーラで街中が昼間みたいに明るいんですケド。エリザさんが太陽を連れて来てくれたのかな?明るさ2倍3倍ってカンジ?」
「今ここでオーラが見えないのが悔やまれてなりませんよ…」
天使なのにと落ち込みつつ、これでこの街に暖かさと明るさが戻ればいいな、とユールは思った。
 まだ寝ているだろう仲間たちを起こさないよう裏口から教会に戻ったユールだったが、3人ともしっかりばっちり起きて彼女を待ち構えていた。
「こんな時間までどこにいたのかな?帰りが遅くなるならちゃんと連絡しなさい」
「ははは、朝帰りの理由を聞くのは野暮だぜ、店長」
「いや、その、朝帰りとかそれどころではなくてですね…」
 アスラムは修練で、セラパレスは錬金レシピの研究で、夜明け前から起きていたらしい。
「何か良いことがあったみたいね、ユール。顔が明るいわ」
 謎の理由で起きていた(聞こうとしたら笑って誤魔化された)メルフィナに問われ、
「はい、ルーフィンさんと話をしてきました。彼も、この街も、もう大丈夫だと思います」
幽霊だの天使だのといった細かい事情は省きつつ、ユールはにっこり笑って答えた。

2011年12月5日月曜日

病魔の呪い


 ユールたちは無事に病魔を退けることができた。
「やりました!勝ちました!」
「さて、学者先生の方はどうかな?」
 戦いのさなか、ルーフィンはしっかり壷の破片を抱えて避難しており、無事だった。
「ふう、危ないところでしたね。ぼくの方ももう完了です」
「って、言ってるそばからまた病魔が!」
 サンディが指差す先に、再びピンク色の靄が集まり出している。
「ワれのジャマをスる者、すベテひトシく死あルのミ!のミ!のミ…!おのレ、のレ。わが呪イよ…コのオろかナる者ドもに、死の病ヲ…」
「しつこい野郎だぜ。…おい皆、もう一戦行けるか?」
ユールたちが武器を手にルーフィンの周囲を守る中、最後の破片があてがわれ、壷が完成した。
「さあ、封印の壷よ、悪しき魔を封印せよ!」
 ルーフィンが壷の口を病魔に向けると、ぎゅばぎゅば言いながらパンデルムが成すすべもなく中へ吸い込まれていった。
「封印の壷さえ直ってしまえば、病魔恐るるに足らずって感じですかね」
マイペースに冷静に、ルーフィンが言った。やる気になるまでが大変だったが、ルーフィンがいなければ病魔パンデルムを封じることは不可能だっただろう。
「やるじゃん、あのモヤシ学者!ってか、ユール。あんた変なビョーキもらってない?大丈夫?」
「あはは、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 サンディの意外な優しさに内心驚きながら、ユールは笑顔で礼を言った。
(ルーフィンさんの見違えるような活躍ぶりをエリザさんに知らせたら、すごく喜ぶでしょうねえ)
 戦いを終えた一同が傷の手当をしたり、互いの健闘を労ったりしている中、遅ればせながら病魔に打ち勝った喜びが湧いてきたのか、ルーフィンが早口に言い募った。
「見てましたか?見事、病魔の奴を封印してやりましたよ、このぼくが!これでお義父さんもぼくのことを認めざるをえないでしょうね。…さて、やることはやったし、これでようやく遺跡の調査に手がつけられるってもんです。ああ、皆さんはもう帰ってもらって結構ですよ。いても気が散るだけだし。それじゃ、ぼくはこの奥を調べてきますんで。報告の方は頼みます」
 さっさと部屋の奥の階段を降りていく彼を見送りながら、やっぱり根っこは変わってないな、とユールは思い直した。
「あのー。私、この奥の遺跡見てみたいです」
「そうね。せっかくここまで来たんだから、行ける所まで行ってみたいわよね」
 ユールが階段を指差しながら言った。メルフィナはルーフィンを追ってすたすた歩いていってしまっている。
 残された男2人とサンディは微妙な顔をしながら、それに続いた。
 階段の下は何ということのない小部屋だった。立派な遺跡なので、ユールはルディアノの図書室のような知の宝庫を想像していたのだが、肩透かしを食ってしまった。
「何もないじゃないか」
 アスラムが彼女の落胆を代弁した。
 それを聞いたルーフィンが、とんでもないと目を見張る。
「確かに古文書や宝物の類はありませんが、ここ見て下さい。この文様とこっちの文様は特定の時代にのみ使用されたもので…」
 ルーフィンがとくとくと語る。ユールにはただの青みがかった壁に見えていたが、言われてみると確かにさまざまな文様があしらわれているのが分かった。
「天使界ではこんなこと習わなかったです。このような人間界の秘密は、まだまだたくさんあるんでしょうか」
 思わずぽつりと呟いたユールに、メルフィナが答えた。
「人間たちの守護には必要のない知識ですもの」
それでなくても覚えることは山程あったでしょう、と言われ、ユールは頷いた。
仲間たちとルーフィンは思い思いに部屋を見て回っている。メルフィナとサンディが壁の文様の可愛さについて話し込んでいるのを聞き、しゃがみ込んで帳面に何かを書き付けているルーフィンの横を通り過ぎ、ユールは壁に凭れている3人の方へ歩いていった。
(ん?3人?)
 アスラムとセラパレスの間に、青白く透けた男が1人立っていた。
 口髭をたくわえた壮年の男性で、白の毛皮で裾を縁取った濃紺のガウンを引きずっており、金の王冠を頂く頭が不規則にぐらぐらしている。
「ここで、何をなさっているのですか?」
「休憩だ、休憩。そろそろ帰らないか?街の様子も気になるし」
 アスラムの答えからしばし間を置いて、幽霊がため息混じりに言った。
「…おお…思い出せぬ…」
 記憶喪失の幽霊はわりとよくいるのだが、貴族(格好からしておそらく君主だろう)がこんな人里離れた遺跡でさまよっている理由が分からない。
 アスラムに「もうちょっと」と言って、ユールは考古学者の元へ走った。
「ルーフィンさん。この遺跡、どこかの王様とか貴族とかって何か関わりありますかね?」
「何だ、まだいたんですか。早く街に戻って町長に報告して下さい。ぼくはもう少ししてから戻りますから」
 調査に没頭している学者は容赦がない。彼女はすごすご引き下がるしかなかった。
 祠を出てすぐキメラの翼でベクセリアへ戻ったユールたちは、街の空気が変わっていることに気づいた。
 一時間ほど前に病人たちの症状が嘘のように治まり、寝付いていた者も看病していた者も声高に驚きと憶測を口にしていた。
「病魔の呪いが完全に消え去ったんですね…」
 あまりに劇的な変化なので、ユールは病魔を倒した当事者であるのに実感が沸いてこなかった。
「あ、そうだ。町長の元へ向かう前に、エリザさんにルーフィンさんのことをお知らせしておきたいです」
 どうせ通り道だから、とエリザの家へ立ち寄ることにした一行だったが、彼女の家のドアをノックしても応えが無かった。
「夫の研究室の方にいるのか…ん、開いているな」
 セラパレスがドアに手をかけた所、すんなりと開いてしまった。
「無用心なお嬢さんだな、相変わらず」
「エリザさーん。お邪魔しますよー」
 彼らは遠慮しいしい家の中を歩き回ったが、エリザの姿はどこにもなかった。
 居間の奥の扉が半開きになっていて、その先は寝室のようだった。中を覗いてみると、誰かが寝ていた。布団がやや斜めにずれ、枕は床に転げ落ちている。
「ああ、お休み中だったみたいです。本当に私たちが悪い泥棒でなくて良かったですよねえ」
 落ちた枕を戻そうと、ユールがベッドに近づいた。
エリザの頭を持ち上げ、枕を差し込もうとした時、ユールはふと違和感を覚えた。
彼女はひどく冷え切っていた。よほどぐっすり眠り込んでいるのか、彼女の体は微動だにしない。
(いや、違う。これは…)
エリザは息をしていないのだ。
枕を抱えたまま固まったユールを訝り、仲間たちも寝室に入ってきた。
「エリザさんが…」
 ユールのかぼそい声にはっとしたセラパレスが、寝台に眠る者の脈を取り、眼球を覗き込む。
 そして、彼はユールとしっかり目を合わせ、首を振った。
「ウソでしょ…」
 サンディが息を呑む。
 彼らが言葉もなく立ち尽くしていると、玄関のドアが開く音がし、エリザの名を呼ぶ声が続いた。
「エリザ、いないのかい?おや、あなたがたは…」
 寝室へと入ってきたルーフィンが妻の顔に触れて蒼白になり、床にへたり込むのを、ユールはどこか遠い場所で起きている出来事のように見つめていた。


 それから数日後。流行り病から解放された喜びから一転、ベクセリアは重苦しい静けさに包まれていた。
 エリザの葬儀の後、何となく落ち着かなくて街中をうろうろしていたユールとサンディは、町長の家を訪れた。
 アスラムとセラパレスは葬儀の後片付けに、メルフィナはシスターを手伝って患者たちの経過観察に行っている。
 病の収束と愛娘の死を同時に発表しなければならなかった町長は、心労のあまりどす黒い顔色になりながら、娘婿の護衛にあたったユールたちを労ってくれた。しかし、
「…超シラケる~。そんなのもらってもアタシは嬉しくも何ともないし、全然報われないっつーカンジ!」
 サンディが口を尖らせた。
護衛の謝礼として、町長が手近な装飾品を寄越したことに苛立っているようだ。
エリザの死からずっと彼女は些細なことに腹を立て、ユールに当たり散らしている。
せっかく病魔を倒したのに、無情にもエリザの命を奪っていった運命。悲しみに沈むベクセリアの人々。思うように行かない事態に我慢がならない、とサンディは全てのものに怒りをぶつけ、毒づいていた。
対してユールは、エリザの死からずっと現実感を持てないまま過ごしていた。町長に事の次第を報告し、葬儀に立ち会っている自分を遠い所から離れて見ているような。
それは守護天使として人間を見守っていた時の距離感に近いのかも知れない。
(人間が一人、エリザさんが亡くなった。人間はいつかは死ぬもの。ですが…)
 ウォルロ村で師と共に死者の弔いに立ち会ったことは何度もある。時に死者の末期の苦しみに思いを馳せ、時に生者が死者を見送る毅然とした姿に胸を打たれた。
エリザのこともそうした数多の死の一つとして受け止めることができるはずだった。
そうでなくては、人間たちの営み全てを見守る守護天使など務まらない。
ありふれたこととして感情を処理しつつある己と、エリザを悼む周囲との温度差がユールを落ち着かなくさせていた。
サンディのように悲しみに耐えかねて怒ってみようと思っても、怒る対象が見つけられない。
(私は結局の所、エリザさんの死に納得できていない。何故彼女が死ななければならなかったのか。もっと何か出来たのではないか。放っておくとそんなことばかり考えている…) 
「君が病魔の呪いに冒されていると知っていれば、もっと急いだのに」とは、妻の亡骸を前にしたルーフィンの言葉である。
 あれ以来、彼は研究室に籠もってしまい、妻の葬儀にも顔を見せなかった。
堂々巡りの思考を抱えて街を歩くうちに、いつの間にか日が暮れ、空に星々が輝く刻限となっていた。
教会にいる仲間たちを迎えに行こう、と足を向けたユールは、墓地を通りかかった。
花々に囲まれた真新しい墓石。エリザの名が刻まれたそれの前で立ち止まる。
「本当に、死んじゃったんだね…」
「ええ…」
 墓の隣には人の良さそうなおじいさんの幽霊がいて、鼻をぐすぐすと啜っている。
「あんな若い娘さんがここに仲間入りするとはのう。何ともやりきれんわい」
「そうですよね…」
彼女たちがエリザの墓を痛ましげに見つめていると、いきなり明るい声で呼び止められた。
「ユールさん。ユールさんってば!」
 驚いた2人が振り向くと、生前の明るさそのままに屈託なく笑うエリザが立っていた。
「え、エリザさん!?」
「ちょ、マジで!?」
エリザは、「幽霊になった私が見えるなんてすご~い!」と手を打ってはしゃいでいる。
「そういえば、わしらが見えておるようじゃが…お前さんたちは一体何者だね?」
「れーのう者だよ、おじいちゃん!私はじめて見た!」
この騒がしい幽霊を一体どうしようか。ユールは途方に暮れた。