2010年12月28日火曜日

セントシュタイン

 峠の道を抜けた先には花々が咲き乱れる緑の丘がどこまでも広がっており、遠くに見える白亜の城と好対照を成していた。
 セントシュタインは世界一広大な領土を持つ国で、その歴史も古い。天使界の記録によれば、幾度となくくり返された戦乱の折にも、戦火を逃れてきた民のためにすすんで城門を開き、保護をしたとあった。
 そうした大らかな気風を持つこの国は順調に発展を続け、長きに渡る繁栄を謳歌していた。
 ウォルロ村を出立したユールたちは峠の道での休憩を経て、昼過ぎに城下町へ到着した。入口から城まで一直線に伸びる大通りは、午後ということもあり活気に満ちている。行き交う人々の間を縫うように、時折荷を積んだ馬車がガラガラと通り過ぎてゆく。
 正門をくぐるとまず目に入る3階建ての建物がリベルトの宿屋だ。立派な外観やエントランスホールとは裏腹に、宿屋のカウンターは無人で、客室に続く階段にも人気が全く無かった。併設されている酒場にも、昼酒を呷る客がまばらにいる程度。
 この寂れ具合は時間帯だけの問題ではなさそうだ。ユールがぼんやりホールの天井を眺めていると、黒いエプロンとベストを身に着けた男性がカウンターの奥から姿を現した。
「ああ、ルイーダ!本当に無事だったんだね!」
 彼はぱっと表情を変えて、ルイーダの方へ駆け寄ってきた。
「ジェームズ!心配かけてごめんなさい。今日帰るって手紙を出しておいたはずだけど、まだ届いてない?」
「君の手紙は見たが、実際に元気にしてる姿を見るまで信じられなくてね。それで、こちらが例の…?」
 ジェームズの視線に促されるようにして、リッカが前へ進み出て挨拶をした。
「はじめまして。リッカといいます。今日からこちらでお世話になりますっ」
 こちらこそ、とジェームズが笑顔で挨拶に応える。後ろに撫で付けた黒髪とチョビヒゲが少々キザっぽい彼は、酒場のバーテンダー兼料理人兼宿屋の用心棒。ルイーダが不在の間は彼が中心となってこの宿屋を守ってきたそうだ。
「用心棒にしちゃ、この人ちょっとヒョロすぎじゃね?」
 ユールの頭に乗っかったサンディが言った。
「ヒョロいだなんてとんでもない。彼は相当の手練れですよ。動きが素早く無駄がないですから、武闘家なのでしょう」
 ユールとサンディがこっそり話していると、その「独り言」がジェームズの興味を惹いたらしい。
「おや、妹さんと一緒に旅をして来たんですか?」
「いやいやいや!」
 ジェームズの勘違いに、リッカとユールは揃って首を振った。
 肩で切り揃えた髪形といい、背格好が似通っている2人だが、面差しは当然ながら全く似ていない。
「この子は私の恩人で、リッカの友達で、生まれ変わったこの宿屋のお客様第一号よ」
「ユールといいます。はじめまして」
 ユールは深々と頭を下げた。それを見守りながら、ルイーダが笑顔で続けた。
「住所不定の旅芸人だけど、なかなか優秀よ。彼女」
「へえ…、リストに登録しておこうか?」
 何やら意味深な会話をしている大人たちを尻目に、サンディがユールの頭の上で笑い転げていた。
「住所不定!ちょーうける!」
 ルイーダの身もフタもない紹介がツボに入ったらしい。頭上でバタバタしている彼女を掴んで下ろしながら、ユールはどんよりとため息をついた。
 もう今後はウォルロ出身と名乗ってしまおうか。あながち間違いでもないだろう。
「他の皆にも紹介したいから、こちらへどうぞ」
 ジェームズに案内されて向かった先は従業員控室。そこで早々に一悶着が起こった。
 リッカのオーナー就任に難色を示したのは、宿の金庫番を任されているレナ。鳶色の髪をきっちりまとめた気の強そうな女性で、他の従業員も彼女と同意見のようだった。
 いくら才能があるといっても、やはり若すぎる…という点が最大の懸念材料となっていたのだ。
 困惑するリッカをよそに、ルイーダは全く動じていなかった。そこで登場したのがあの宿王のトロフィーだ。
 トロフィーの黄金の輝きに気圧された面々が、口々にリッカをオーナーとして歓迎すると言い出した。トロフィーを抱えたリッカを拝み出した者までいる。
「この人たちヘン!あのトロフィー、何かヤバいパワーでも持ってんじゃね?」
「宿王の名が持つ力、なのではないでしょうか」
 サンディが人間たちの珍妙な行動におののいている。一方で、ユールは特に成り行きを心配していなかった。
(確かにここは大きな宿屋だが、リッカなら皆と力を合わせて上手くやっていけるだろう)
 リッカの凄さは、トロフィーなどなくても重々承知だ。
 新オーナーの元でいろいろと準備や支度があるのだろう。ルイーダから「夕飯の時間まで城下町見物してきなさい」と言われたユールは街へ出て、何となく気の向いた方へぶらぶら歩いてみることにした。 
 目印として大きな城があるので方角を見失うことはないのだが、歩けば歩くほど、どんどん人気のない方へ向かっているようだ。
「ちょっとー。ここ家しかないんですケドー。アンタ人ん家に何か用でもあるワケ?」
「いやあ、道なりにただ歩いているだけなんですけど」
「城はあっちでしょ?それ目指して歩けばニギヤカな所へ出るはずっ。ホラホラ、行こうよユールー!」
 家の裏手で何やら踏ん張っている老人を手伝おうとして邪険に追い払われたりしながら、ユールたちはようやく大通りに戻ってきた。知らぬ間に随分と街の奥まで来ていたらしい。城の跳ね橋がもうすぐそこだ。
「帰りはこの大通りをまっすぐ帰ればいいんですね。分かりやすいなあ」
「行きもこの大通りをまっすぐ来ればすぐだったんじゃね?」
 ユールの頭の上で腹ばいになり、サンディはすっかり不貞腐れている。
 それをまあまあと宥めながら、リッカにもらったおこづかいで何か買おうかなと、ユールは通り沿いの武器屋や防具屋をのぞいてみた。
 機嫌を直したサンディが武具を「こーでぃねーと」と称していろいろ見繕ってくれた。残念なことに、どれもユールの小さすぎる体格さえ考えなければ素晴らしい組み合わせだった。
「私の体と懐具合をもうちょっと考えて下さらないと」
「それじゃあ、ちっちゃくまとまっちゃって面白くないっての!」
 サンディのアドバイスを受けつつ、ユールが比較的安価な皮の装具をとっかえひっかえしていると、一人の少女が話しかけてきた。
「ねえ!あなた不思議な格好をしてるわね!」
「は?」
「その服真っ黒だったら完璧だったのになあ、惜しいなあ」
「これで黒は地味すぎじゃね?」
 天使の装束を褒められて悪い気はしなかったが、ユールもサンディと同意見だ。代わりに、黒がお好きなんですかとユールは少女に尋ねてみた。
「知らないの?今セントシュタインで流行中の小悪魔ファッションよ!」
「こあくま…」
 街の外に見習い悪魔ならうろついていたが、あれは黒じゃなくて緑だったかとユールは思い直した。
「そうだ!あなた旅人でしょ?よるのとばりって持ってない?」
「とばり、ですか…」
 持ってたらちょうだいと彼女に迫られたが、あいにく持ち合わせがない。
 ジュリアと名乗った娘は、それでも諦めず、
「セントシュタインの北の方にいる、かまっちとかいう魔物が持ってるらしいわよ。あたしいつもここに服を見に来てるから、旅の途中でとばりを見つけたらここに来て!お礼をするわ!」
 そう言い置いて、ジュリアは去っていった。
 頼まれごとをされると断れない。どうにかして希望を叶えてやりたいと思うユールは、しばし悩んだ。
 夜の帳は微かだが闇の力を持っているため、魔物が身に纏っていることが多い。人間は滅多に入手できない貴重な布だ。 
「う…ん、道具屋になら売っているかなあ」
「とびっきり怪しげな品物を扱ってる所じゃないと難しいんじゃない?」
 サンディの言うような怪しげな道具屋を探すことにして、ユールは大通りに戻った。
「あ、あの店何だか渋いっぽいヨ?」
「渋いと怪しいは違うと思います」
「いいからいいから!あの店構え、タダモノじゃないカンジだって!」
 サンディに半ば引きずられるようにして、ユールは一軒の店の前へとやって来た。
 ガランガランとくぐもったベルの音と共に重い木の扉を押し、中に入る。何かの薬だろうか、つんと鼻を刺す香りがした。窓がほとんど無く薄暗い店内には、瓶詰めの草やキノコ、ラベルのついた木箱が数え切れないくらい並んでいる。物は多いが店内は整頓されており、居心地は悪くはなかった。
 奥のカウンターで話し込んでいた若い男女が、揃ってこちらを見ていた。
カウンターにもたれるように立っているのは、ふわふわ波打つ銀髪と浅黒い肌のコントラストが美しい美女。カウンターの椅子に腰掛けて何やら荷を分けているのは、癖のない黒髪を肩まで伸ばした生真面目そうな青年だ。
「あら、可愛らしいお客さん」
 体を起こした美女がうっとりと笑った。さらりと背に流れた髪まで美しい。幼ささえ感じられるつぶらな赤い瞳が、彼女の大人びた雰囲気とは裏腹で印象的だ。
「あ、いえ!大した用事ではないので…」
 動揺のあまり、ユールは手近な瓶詰めを引っつかんでお手玉しながら言った。
「ガジガジトカゲを買いに来たのかい?それは君にはまだ早いと思うよ。産前産後の養生薬だから」
 青年に言われて手にした瓶をよく見ると、虫のおなかの模様がびっしりで相当気持ち悪い。ユールは顔を引きつらせたまま、瓶を元の場所に戻した。
「おつかいかな?小さいのに感心だね」
 青年がカウンターから出てきて、ユールの前で膝をついた。彼女の目線に合わせてくれているらしい。
「あのー、こちらで夜の帳は扱っておりますか?」
「残念だけどうちは薬屋だからね、置いてないんだ。帳を何に使うんだい?」
「知り合いが欲しがってまして。やっぱりお店には売ってませんか?かまっちから取ってくるしかないですかね?」
「取ってくるって君が?馬鹿を言うもんじゃない。危険すぎる。かまっちは凶暴な魔物だよ」
 天使だから多少凶暴な魔物でも無問題です、とは言えず、ユールはしょんぼりと黙り込んだ。
「…あったわ、店長」
「メル?」
 先程の美女が衣服の隠しから取り出した黒い布切れをユールに差し出した。カウンターの蝋燭の明かりも通さない、闇を凝縮したかのような黒。
「どうぞ。小さいお嬢さん」
「え、いいんですか?」
 もちろんと、メルと呼ばれた美女が笑う。夜の帳はしっとりとした手触りで、広げると風も無いのにヒラヒラはためいた。
「ありがとうございます!ああ、何と言うか…その…変な布ですね…」
 ユールの率直な感想に、大人たちが吹き出した。そりゃあ闇の力を持つ布だからね、とサンディが呆れ気味に呟いた。
「お知り合いにもよろしくね」
 ユールに悠然と微笑みかけた彼女は、カウンターに広げられた包みをいくつか手に取り、青年に銀貨を数枚渡し、二言三言会話をしたのち出ていった。
「綺麗な方ですね。確かメルとおっしゃる…?」
「彼女はメルフィナという魔法使いでね。この街で相棒と組んで便利屋のようなことをしているんだ。仕事が無い時はいつもルイーダの酒場にいるよ」
「私も酒場の上の宿屋に泊まってます。ええと、今日から」
「君も旅をしているのかい?」
「ええと、はい。そんな感じで」
 どんな感じよ、とサンディがぼやいたが無視をする。そこでハタと思いついた。
 これだけの大都市なら立派な天使像があるはず。天使像を通じて天使界と交信できれば、それが無理でもセントシュタインの守護天使がこちらを見つけてくれるのではないか。そして旅人なら天使像にお参りを希望しても何ら不思議ではない。
「そうだ。私、天使像にお参りしたいんですけど、どこにありますか?」
「お参りとは今時珍しいね。この街の人間は誰もそんなことしないのに」
 苦笑いとともに言われた言葉に、ユールは少なからずショックを受けた。街の人々の不信心に文句を言っていた守護天使ボルタスの嘆きが唐突に蘇る。
「天使像は城内の広場にあるけど、君一人で行くんだろうね」
「え、小さいからダメですかね?」
 返答を待つまでもなく、彼の顔に浮かんだ表情でばっちり分かってしまった。彼女一人で行っても、保護者と一緒に来なさいと衛兵に追い返されるのがオチだろう。
「私はこれから城に配達があるから、良ければ一緒に来るかい?」
「ぜひお願いします!店長さん!」
「はは…、私の名前はセラパレス。この薬屋の主だ。君は?」
「ユールと言います。ウォルロ村から来ました」
「ウォルロか。あそこの名水でないと作れない薬も多い。うちも大いに世話になっているよ」
 挨拶がてらセラパレスと握手をする。彼の実直そうな青い目と整った顔立ちが、上級天使コルズラスを思い出させた。
(コルズラス様よりは若々しいけど、苦笑いがそっくり)
 親しくしていた天使たちのことが無性に懐かしくなり、ユールは早く天使像を見に行きたくて仕方がなかった。
 セラパレスが支度のために中座し、店内にユールとサンディだけになった時、
「どーよ、ユール。アタシの直感も侮れないでショ?」
「本当にすごいです。サンディ」
 にまにまと、彼女たちは視線を交わし合った。