2012年2月20日月曜日

進むべき道


 ダーマの塔の奥に広がる異空間で、ユールたちは魔神と化したダーマ大神官と対峙していた。
「あのおっさん、力を求めすぎてヤバいものを呼び込んじまったみたいだな」
「魔神ジャダーマを外へ出すわけにはいきません。人々の行く末を誰よりも案じていらした大神官様のためにも…ここで止めてみせます!」
 ユールとアスラムが、先陣を切って魔神に攻撃を仕掛けた。
 爬虫類を思わせる長い尾を五月蝿そうに振りながら剣と拳の一撃をいなし、ジャダーマが両手を広げて雷撃を放ってきた。
 接近していた2人はあえなく吹っ飛ばされたが、セラパレスのホイミで体勢を立て直し、再び立ち向かっていく。
 雷撃のお返しにメルフィナがヒャダルコの氷塊をぶつけ、仲間たちにスカラをかけ終えたセラパレスも攻勢に加わった。
「愚かな人間どもよ。我が力の偉大さを思い知れ!」
 ジャダーマの両手が複雑な印を組むやいなや、中空にいくつも発生した竜巻がユールたちを取り囲み、強かに打ち据えた。 
「くそっ…本気出してきたな。堕ちても大神官ってわけか」
「この空間は魔力で溢れているから、ただでさえ魔法が暴走しやすいのよ」
 魔神の哄笑が響き渡る。ユールは不意に体の力が抜けるのを感じた。ジャダーマのマホトラで魔力を吸い取られたようだ。
「結構持っていかれ…って、うわっ!」
 また暴走竜巻に巻き込まれたユールは、魔法陣の端まで跳ね飛ばされてしまった。
 アスラムの蹴りが決まり、魔神の左腕がぶらりと垂れ下がった。しかし、
「おい、何だか急に堅くなったぞこいつ!」
 チャンスと見て更に拳を叩き込もうとしたアスラムの攻撃が、魔神のスカラによって阻まれてしまう。
 メルフィナのルカニが効いたが、すぐさまスカラで下げた防御力を上げられてしまう。
「焼け石に水かしら…ね」
 淡く笑みさえ浮かべながら、メルフィナが杖をジャダーマに向ける。
「この場の魔力を…利用させてもらいましょう」
 彼女の放つヒャダルコが暴走し、魔神を一瞬で氷柱に変えた。爆ぜた氷が全身に突き刺さり、たまらず魔神が膝をついた。
「私が応援に回りますから、アスラムさん、頼みます!」
 セラパレスの手当てで回復したユールが応援を繰り出す。
「これで目を覚ませ!」
 テンションの乗った渾身の右ストレートがジャダーマの顔面に決まった。魔法陣の中央に大の字に倒れるも、なお立ち上がろうともがいている。
 油断無く武器を構えた4人が取り囲む中、突如ジャダーマが胸を掻き毟り、苦しみ始めた。体から黒い波動が勢いよく吹き出している。
「ぐっ…オオオオオ!我の力が…力が消えてゆく…!」
 波動の放出が収まると、人間の姿に戻った大神官がぐったりと倒れていた。その隣には、黄金に光る丸いもの…女神の果実が転がっていた。
「女神の果実じゃん!おっさんに食べられちゃったんじゃなかったの?」
 サンディが嬉しそうに女神の果実を抱きかかえ、ユールは大神官の傍に駆け寄った。
「大神官様!」
 セラパレスの回復呪文を受け、ゆっくりと彼が目を開けた。魔神化が解けて間もないせいか、記憶に少々混乱が見られた。
「大神官様。光る果実を食べた影響で、神殿からダーマの塔にいらしたのですよ。覚えてらっしゃいますか?」
「果実…ああ、それを口にしたのは覚えておる。だが…それから、それから何が…。自分が自分でなくなっていく恐怖だけは、はっきりと覚えておる…」
「もう終わったことです。ご安心下さい」
 ユールが彼のか細い手を握り励ますと、ふらふら彷徨っていた視線がようやく定まった。
「そなたらは…皆よく見ると傷を負っておるではないか。一体わしはここで何を…」
 本当のことを告げたものかどうかユールが迷っていると、セラパレスが彼女の肩に手を置き、言った。
「ユール。ひとまず大神官様を神殿にお連れしよう。ルーラで飛んでもらえるか?」
「そうですね…。」
 サンディから女神の果実を受け取って袋に入れた後、ユールがルーラを唱えた。
 こうして一行はダーマ神殿に戻ってきた。…神殿の階段の下に。
「神殿全体を守護する魔力の影響で、キメラの翼で飛んできても階段の下に出るようになっている。まあ修行の一環ということじゃな」
 と、まだ朦朧としている大神官がブツブツ説明していたが、こんな時くらいはとユールたちは恨めしい思いに駆られた。
 高齢の大神官を交代で支えながら、ユールたちは階段を登った。
 沈み行く夕陽が、湖を、森を、空を茜色に染め上げてゆく。
「本当にこの島は夕陽が綺麗ですねえ」
「それにしても、人間が果実を食べるとロクなことにならないんですケド。あーやだやだ」
 景色をのんびり眺めるユールに、サンディがうんざりしたように呟いた。
「そうですね。聖なる世界樹に実ったものが、あんなむごい変化を齎すとは…いや、強すぎる力が人間のあるべき範疇を越え、その姿を歪めたという方が正しいでしょうか」
 サンディの言う通り、人間にとっては危険極まりない代物であることは間違いない。
 そんなものがゴロゴロ地上に落ちているなんて、とユールは焦りを覚えた。
「お?あれってもしかして…もしかして!?」
 階段ですれ違う転職希望者たちが大神官を連れた一行に気付き、手を貸そうと申し出てくれた。
「おお、皆すまぬな…」
 神官や警備兵たちも上から出迎えに降りてきた。大神官の無事を喜び、涙ぐんでいる者までいる。
(ここに集った人々にとって、大神官様が進むべき方向を照らしてくれる光なのですね)
 天使でありながら人間界で彷徨い、本来守護すべき人々に多くを教えられながらここにいる。そんな私の光はどこにあるのだろう。
 翌朝早く、ユールは一人で大神官に会いに言った。
 ダーマ神殿の儀式の間は建物の中で最も高い場所にあり、柱に囲まれたバルコニーの向こうには抜けるような青空が広がっている。
 天窓から燦々と降り注ぐ陽光が、祭壇に据えられた有翼の女神像と、その前に立つ大神官を神々しく照らしていた。
 己が魔神となり、危うく世界を滅ぼしかけたという事実を冷静に受け止めた大神官は、改めて彼女に礼を言った。
「わしは人々を良き方向へと導く力を求め、これまで修行に励んできた。あの果実はわしの望んだ力を与えてくれたかも知れないが、わしはその力に溺れてしまった。その結果…。そなたと仲間たちには感謝のしようもない。せめて我が転職の力を旅に役立てて欲しい。わしはダーマ大神官。転職によって人々をより良き道へと導くことこそ、わしの役目なのだ」
 右手に携えた書物に目を落とし、ゆっくりと、だが力強さを秘めた声で大神官は語った。
そんな彼にぐるぐる煮えきらぬ悩みを相談してよいものか。しばし逡巡した後、ユールは思い切って問いかけてみた。
「大神官様。ダーマの塔へ行ってからずっと考えていることがあるのです。私には果たすべき役目があります。ですが、それを果たそうとすればするほど正解から遠ざかっていくように思うのです」
「ふむ、今までのやり方でよいのか迷いが生まれた、と?」
「今まで迷うということすら知らなかったのです。私には間違いが許されないのです」
 天使として人間を守護することに加えて、彼女は果実の収集という天使界始まって以来の大任もこなさねばならない。
ただ単に怖気づいているだけなのか。昨夜一晩じっくり一人で考えてみたが、答えは出なかったのである。
 話を聞き終えた大神官は膝をつき、小柄なユールに目線を合わせ、言った。
「ひとたび道を選んだからといって、それで全てが丸く収まるわけではない。我らは生を受けると同時に問いを与えられ、終わりの無い答えの中を生かされておるのだ」
「…ひどく、不安です。大神官様」
「わしも不安になり、迷いもする。神ならぬ身ゆえな。わしが持つこの力は答えに近付く幾本かの道を指し示すのみ。道を歩むのはそなたら一人一人なのじゃ」
 昨日とは逆に、大神官がユールの小さな手を握り、励ますように力を込めた。 
「ユールよ。魔神となったあの時、わしは世界の人々の心に不安が満ちているのを感じた。この世界に何が起こっているのか、正確には分からぬが…このダーマ神殿にて新たな道を選びし者たちがいれば、案ずることはないと、わしは信じる。選び、試し、迷う中で彼らは更に強くなるのだから。…さあ、そなたも決めるが良い。己の進むべき道を。己の意思で」
 私の道。女神の定めた道を外れた、この私が歩むのは。
(…どうせ前例なしの規格外な天使なんですから、己の気の向くままにガンガンいっちゃいましょうか?)
 私が私の前例になる。少女の瞳にまっすぐな光が戻ったのを見て、大神官が微笑んだ。
「では、おつとめに参ろうか」

2012年2月13日月曜日

ダーマの塔


 翌朝早く、思わぬ寄り道で島の南端まで来てしまったユールたちは、改めてダーマの塔を目指して出発した。
 昨日と打って変わって天候は快晴。地図を持ったアスラムが最短距離を選んだためか、昼過ぎには塔の入口に着いてしまった。
「でっ…かい塔ですねー」
「神殿の階段といいココといい、足腰の鍛錬が何気に重要なんじゃね?ダーマの大神官やるには」
 王城を思わせる荘厳さで聳えるダーマの塔は、外壁の白大理石が木々の緑と空の青によく映える。塔の正面には華麗な意匠の大窓が切られており、その窓の数から見るに塔は6階建てのようだった。
 入口の扉も細かな装飾が施された立派なものだったが、取っ手も鍵穴も全く無かった。
「扉じゃなくて壁のようだが」
「塔に入るには作法に従うべし…。神官長さまがおっしゃっていたわね」
「あ、お辞儀!皆さん、一応本番前に復習しておきましょうか」
「えー、アタシもやんの、ソレ?」
 ダーマの塔に入るためには、きちんとしたお辞儀を見せなくてはならない。神官長直々の指導で練習した成果を見せる時が来たようだ。
 何度か動きを確認した後、サンディを含めた5人は扉の前で横一列に並び、扉をきっと見据え、45度の角度で腰を折った。
 すると、扉が中心から2つに割れ、静かに内側へ向けて開いた。
塔の中に入るとほぼ真四角の空間が広がっており、四方に切られた窓から入る光で十分に明るかった。構造自体は単純で階段を上へと登って行けばよいらしい。
 各階の壁や階段の裏側には、儀式に使う道具類などを納めた箱や壷が並んでいた。魔法の聖水など、ユールたちは使えそうなものをこっそり頂きながら進んでいたのだが、
「これ、きっと人食い箱だぜ。長く放置されてる物置とかが一番怪しいんだ」
 箱を開けようとする度、アスラムが不吉なことを言ってユールを脅す。人食い箱は不用意に開けると死の呪いを放ってくることもある凶悪な魔物で、用心するに越したことはないのだが、
「うっ…でもこの箱すごく気になるから、開けます!えいっ!」
「何だ、小さなメダルか。運が良かったな」
 脅しに屈することなく、ユールは目に付く宝箱を開けまくったが、とうとう最後まで人食い箱を引き当てることは無かった。
「やはり天使だから強運の持ち主なのかな?」
 セラパレスが感心したように言った。横でアスラムが何故か悔しがっている。
「でも、さっきからマージマタンゴのドルマが私に命中しまくりですけどね…いたた…」
「ははは、手当てしておこうか」
 この塔に生息する紫色のキノコは闇魔法の使い手であり、集団でドルマを大合唱されると結構怖いものがある。他にも、ドラキーマに眠らされたり、一つ目ピエロにイオをぶつけられたり、この塔は呪文が得意な魔物が多く集まっているようである。
「でも、セラパレスさんは何故か魔物たちに大注目されてるじゃないですか。さっき出た腐った死体の団体さんだって、全員あなたに見惚れて固まってましたし」
 おかげでほとんど無傷で死体の群れを退けることができたのだ。
 天使であるユールにはイマイチ基準が分からないが、おしゃれ度の高い装いをしている冒険者だと、魔物が見惚れて攻撃してこないことがあるようである。
 単純に高価な装備を身につければ良いということではなく、その人の身の丈に合った装いがばっちりキマることで魅力が倍増するらしい(サンディ談)。
「最近妙にモテモテだからな、店長は」
 アスラムがニヤニヤすると、セラパレスの眉根が盛大に寄った。
「浜で鎧を変えたせいかな。これのどこが魔物の好みに適うのかさっぱり分からないが」
 いや甲羅だろう、甲羅でしょ。ユールたちはセラパレスに聞こえないよう囁き合った。
 昨日立ち寄ったツォの浜の商店が、「お祈り」のおかげで生活が潤ったとかで店じまいセールを行っていた。そこで、ユールたちはいろいろと武具を買い込んだのだった。
 セラパレスが買ったのは、鉄の防具に亀の甲羅という実用一辺倒な組み合わせ。装備品はおしゃれか否かで選ぶアスラム曰く「人として勇気がありすぎる」チョイスだそうである。
 正面からはともかく、背中から見た時の脱力感はなかなかのものがある、と人間の服にあまり興味が無いユールでも思ったものだ。
 一方、おしゃれ最優先のアスラムが選んだのは草色の布地も軽やかな身かわしの服。ベクセリアでもらった派手な服がギラギラしすぎていて、彼の美意識的に辛いのだそうである。
 女性陣は銀細工が美しい髪飾りを新調したくらいである。ユールは着たきり雀の天使装束だし、メルフィナはダーマ神殿で買った「やすらぎのローブと春風のスカートのピンクコーデ」(サンディ談)で事足りているのだ。
「女子を差し置いて甲羅が魔物の視線を独り占めとか、何か納得いかないんですケド!」
「そうは言っても、魔物の気持ちは分かりませんからねえ。こればかりは何とも…」
 サンディの考える「女子力アップ大作戦」を拝聴しながら、ユールたちは引き続き塔の中を歩き回った。
 ふと、途中の石碑に刻まれたとある文言が気になって、ユールは立ち止まった。
「職業とは知られざる可能性、それは全ての人間に与えられた人生の選択…。ここで言う職業というのは、日々の糧を得るための手段ではなく、もっと大きなものを指しているように思います」
「人間が果たす役目、と考えてもいいかも知れないわね。与えられている選択肢が多すぎるから、自分の答えを見つけるのに一生かかることも少なくないけれど」
「自分の持って生まれた能力にもよるからな。なりたいものになる、というのはそう簡単なことではないんだよ」
「では、ずっと迷子のまま一生を終える人間もいるのですか?それはとても不安なことではありませんか?」
 ユールの問いに、仲間たちは困ったように顔を見合わせる。
 アスラムが苦い笑みを浮かべつつ、言った。
「不安でも何でも、本人がどうにかするしかない。あんたの役目はコレって、どっかのお偉いさんに決められても、それはそれで窮屈だと思うがな」
(窮屈…。天使の果たす役目は人間の守護、ひいては星のオーラの回収だ。そう決められている。迷うほど可能性がある状態ってどういうものなんだろうか)
 考え考え進んでいく内に、ユールたちはついに塔の屋上へとやって来た。4つの尖塔に囲まれた中央には石碑が一つ。その先には光の階段が伸びており、白っぽい光に包まれた異空間へと繋がっていた。
 ここまでの道のりで大神官に関する手がかりは全く無かった。おそらく彼はこの異空間の中にいるのだろう。
 かつてこの塔で転職の儀式が行われていた頃の名残であろうか。屋上の石碑に刻まれた文言は転職を考える者に向けたもので、「己で考え、決断しなければならない」とあった。
(職業の選択に限らず、人間は迷い多きもの。しかし、迷うことを知らない天使が果たしてそんな人間たちを導けるのだろうか。そもそも本当に天使は迷いを知らぬ存在なのか?こうしたことを考えてこなかっただけではないのか?)
「ユール、何してる。行くぞ」
 石碑の前から動かない彼女に、アスラムが声をかけた。
「さっさと大神官を見つけて、連れ戻すぞ」
 今、優先すべきことは何か。ユールははっと我に返った。
 ユールの頭の上に座っていたサンディが、不安そうにおずおずと言った。
「こん中、実は部外者禁止ってことはないよネ…?」
「それは大丈夫みたい。ただ、入ったら転職するまで出してもらえないかも?」
「げっ!あ、アタシ外で待ってよーかな…」  
「まあまあ冗談はそのくらいに。…では、行きましょうか」
 メルフィナがにっこり笑ってサンディを凍りつかせているのを窘めつつ、ユールは異空間へと一歩足を踏み出した。
 淡い光に包まれた広大なドーム。床一面に広がる黄金の魔法陣。
 その中心に、紫と白の長衣を纏った人物が立ち、両手を高々と差し上げ祈りを捧げていた。
 我に力を。ダーマの大神官として、人々を導く力を我に与えたまえ。一心不乱に祈る白髪の老人は、行方不明のダーマ大神官その人だった。
「とりあえずは元気そうだな。ただちょっと尋常じゃない雰囲気だが…女神の果実を食った影響かね?」
「大神官様!一緒に神殿へ帰りましょう!」
 ユールの呼びかけも、大神官には届いていないようだ。なおも力を乞い、祈りを続けている。
 なすすべも無く見守っていると、魔法陣から黒い波動が吹き上がり、大神官をあっという間に包み込んでしまった。
「大神官様…!」
 波動が巻き起こす突風で、ユールたちはその場に立っているのがやっとである。
「おお、力が…力が満ちてゆく…」
 ユールがどうにかこうにか視線を正面に向けると、黒い幕の隙間から大神官の顔が見えた。
「な、何事じゃ。身体が…。この身体は何じゃ。黒い力が溢れて…。違う…わしはこんな力を求めていたのではない!」
 喜悦の表情から一転、驚愕と恐れが入り混じる。突如、波動が勢いを増し、巨大な黒い球体となって彼の姿を完全に覆い隠してしまった。
(私の天使の力でも払えない…この波動は何だ!?)
 しんと静まり返ったドームの中央に黒い球体が浮かんでいる。その上部が割れ、中から禍々しい角と尾を持つ異形の生き物が現れた。
「…そうか。この力で人間どもを支配すれば良いということか。我はこれより魔神ジャダーマと名乗り、人間どもを絶対の恐怖で支配すると、ここに誓おう!」
 くつくつと笑うそれは、手の甲から長く伸びた爪をすり合わせながら言った。

2012年2月6日月曜日

迷子


 食事を終え、ユールたちは神殿の奥へと向かった。儀式の間へ続く回廊には警備兵がいて、それ以上先へ進めないようになっている。
 彼らは「大神官が行方不明で転職が出来ない」と、詰め掛ける転職志願者たちに機械的に繰り返し口上を述べている。
 事情を聞きにやってくる者と、諦めて帰ろうとする者で回廊は食堂以上に混雑していた。
「だから、何度も言うようだが、今は転職は…」
「すみません。行方不明の大神官様のことで、新たに分かったことがあるんです!」
 転職志願者と同じく追っ払われそうになって、ユールたちは何度も警備兵に食い下がった。
 よくよく事情を聞いて仰天した警備兵の取り次ぎにより、ダーマの神官長が話を聞いてくれることになった。
 神官たちの控えの間で、神官長とユールたちは向かい合っていた。
 太鼓腹と立派な口ひげで堂々とした体躯の神官長だが、眉毛はハの字に垂れており、心労で憔悴しきった様子だった。
「何ですと?大神官様が出ていったのは、光る果実を食べたせいなのですか?」
「はい。その果実はとても強い力を持っていて、おそらく大神官様はそれを制御できずに…」
 ユールから事情を聞き、むむっと眉間に皺を寄せ、神官長は黙り込んでしまった。
「そうか、ダーマの塔か!」
「え?」
 彼の言うダーマの塔とは、かつて転職の儀式が行われていたと言われる場所で、今は魔物の巣になっているらしい。
「そんな危険な所へ大神官様がお一人で向かわれるなど考えもしませんでしたが…。果実によって異常なほどの力を得たのであれば、塔の中であってもご無事でいらっしゃるかもしれません!」
「別な意味でご無事じゃないかもしれませんが…」
 果実の力が人間にどのような影響を及ぼすか、天使であるユールにも見当がつかない。
「ダーマの塔というのは、このアユルダーマ島の中にあるのでしょう?誰かがもう既に探しに行っているのでは?」
 メルフィナの問いに、神官長が首を振って答えた。
「この神殿に集いし者たちは、それぞれ道を究めた猛者ばかり。彼らはこの2週間、島内をくまなく捜索しているのですが、塔の出入りだけはこれまで許可してこなかったのです。我々では塔に潜む魔物には太刀打ちできませんし、何よりあの塔は神聖な儀式の場…。しかし、そのようなことを言っている場合ではないようですな。皆の力を借りて、一気にあの塔を…」
「神官長様。これだけ騒ぎになっている時に大勢で動けば、更に収集がつかなくなってしまいます。どうか私たちにダーマの塔を調査する許可をお与え下さい!」
「既に2週間が経過しています。これ以上時をかければ、大神官様の安否にも関わりますよ」
「俺たち、凶暴な魔物なら慣れてるしな」
「ダーマに来たばかりの私たちなら、他の猛者の皆さんの注意を引くことなく行動できるわね」
 ユールの申し出を、口々に仲間たちが後押しする。神官長は彼らを見つめ、しばしの逡巡の後に重々しく口を開いた。
「そちらの小さいお嬢さんに全てをお任せするのはいささか不安ですが…。分かりました。あなたがたに掛けてみるとしましょう!」
「このように体は小さいですが、私も歴戦の猛者の一人です。必ずや大神官様を無事に神殿へお連れいたします!」
 小さいと言われて意地になったユールが自信満々に言い切ったのを見て、サンディがぼやいた。
「歴戦の猛者はちょーっと言い過ぎじゃね?」
「あら、黒騎士に妖女に病魔。それなりに優秀な戦歴だと思うけれど?」
「…言われてみればそうかも」
 もうじき日没なので出立は明日ということになり、ユールたちは神官たちの居住区へ招かれ、そこで一夜を過ごしたのだった。
 しかし、翌朝の天気は冒険日和とはいかなかった。
 アユルダーマ島は天候の移り変わりが激しい土地である。
 夜明け前にしとしと雨が降り始めたかと思えば、あっという間に暴風雨。長く続く嵐ではないとは言え、ダーマの塔まで行かねばならない身には辛い。
 この天気の中を進むのか、と、今日一日を考えてユールは暗澹たる気持ちになった。
 雨音で起きてきた仲間たちも一様に暗い顔だ。
「ひどい雨だけど、それほど寒くないからまだマシね」
「歩いている内に止んでくれることを祈るしかないな」
 天候の回復を待っている余裕はない。神殿の警備兵の雨用外套を借りた一行は、再びあの長い階段を降りていった。
 目深に被ったフードで足元しか見えない状態なので、うっかり転ばないよう、おっかなびっくり。
「うう、吹きっ晒しの風がキツイですね。雨が痛いです」
「飛ばされて滝に落ちるなよー。回収が面倒だからな」
 階段を降りたユールたちは、草原に拓かれた街道を頼りに進んだ。雨に煙る視界の端でスライムたちがご機嫌に跳ね回っている。時折3匹組み合わさってスライムタワーと化し、こちらに体当たりしてくるのが厄介だ。
「雨と一緒にスライムまで降ってきたわね…」
「メル、呪文でぶっ飛ばせ!」
 4人が赤青緑とカラフルなスライムにまみれていると、今度はスライムナイトが横から参戦してきた。
「くそっ、新手か!」
 セラパレスが槍でスライムナイトと打ち合うのに、メルフィナが魔法で加勢する。
 濡れて張り付くフードが鬱陶しく、ユールはたまらず素顔を晒した。冷たいだの濡れるだのと、フードに隠れていたサンディが文句を言ったが、無視することにする。
 ユールが足元のスライムを蹴散らし、一息ついた所で突風が吹きつけてきた。その突風には青い腕が生えており、彼女の顔面を強かに打ち据える。
「いっ…!」
「大丈夫か」
 セラパレスがかまいたちの腕を槍で斬り飛ばし、叩かれてクラクラしているユールにホイミをかけた。
「全く、次から次へと面倒だな」
「魔物は雨とか気にしないから羨ましいですね」
 最後に残っていた魔物をメルフィナのイオが薙ぎ払い、ようやく辺りは静かになった。
「ユール。フード被らないと風邪引くよ~」
「いいですもう。ずぶ濡れですし」
「アタシも一緒にずぶ濡れなんですケド!ちゃんと被んなさいよね!」
 サンディの再度の文句を他所に、生温い雨に打たれながらユールは空を見上げた。雲が低く垂れ込め、山々の稜線もぼんやりしている。まだ塔らしきものは見えてこない。
 その後も魔物に邪魔されながら、一行は街道を歩き続けた。
 黙々と歩き続ける内に、ユールは雨によって周囲の緑がより濃く鮮やかに映るのを楽しむ余裕すら出てきた。神殿を出発した頃より雨の勢いも弱まっているようだ。
 昼食の休憩を兼ねて木陰に身を寄せた際、メルフィナがぽつりと言った。
「私たち、今どの辺りにいるのかしら」
 島の地図を全員で取り囲む。曇っていて太陽で方角が図れないため、周囲の地形で現在地を判断するしかない。
「えーと、街道の左側の森に入りましたから…この辺ですかね?」
 ユールは神殿の東に広がる森を指した。
「塔が見えないが、雲で隠れているのか?」
「雨がもうすぐ止みそうですから、そしたら見えてくるのでは」
 一行は森を出て再び歩き始めた。ほどなく雨は止んだが、塔はいつまでたっても見えてこない。
「おい、もっかい地図出せ、地図」
 アスラムにつつかれ、ユールは懐から地図を取り出した。
「俺たちが今いるのは…こっちじゃなくてここじゃないのか?」
 彼が神殿の東から南へと指を滑らせた。森に囲まれた湿地がある辺りである。
「え!?だって森があって高台があって、地図通りの地形ですよ?」
「ここは向かって左が高台で、向かって右が森になってるだろ。塔の周辺とは真逆だ。…お前またやったな」
「では、塔は…この高台の向こう側に…?」
「進んでも進んでも見えてこないわけだ」
 セラパレスが力なく笑った。
(光輪の力があれば天使界と常に交信できるから、現在地を間違えたりしないんですが…。空を飛んで上空から確認だってできますし)
 翼と光輪。失ったものは大きかったと、改めてユールは痛感させられた。がっくり肩を落とすユールの頭をポンポンとメルフィナが撫でた。
「ひどい雨で周りがよく見えなかったのだから、仕方ないわ」
「もうお前、地図没収な」
「はい、よろしくお願いします…」
 シュタイン湖に続いてここでも方向音痴を発揮したユールは、大人しくアスラムに地図を託した。
 来た道を戻ることも考えたが、せっかくここまで来たのだから、とユールたちは島の南端にあるツォの浜に行ってみることにした。
 ツォの浜について、ダーマの商人たちは口を揃えて「何もない田舎の漁村だよ」と言っていたが、海風に晒されボロボロになった入口の木戸と言い、陸にへばりつくように点在する小屋たちと言い、想像以上にうらびれた村だった。
 大き目の倉庫といった趣きの宿屋で部屋(というか寝床)を確保した後、ユールとサンディは浜の探検に出かけた。
 朝から降っていた雨が嘘のように晴れ上がり、空は赤く色づき始めている。しかし、
「何あの人だかり」
「お祭りでもあるんでしょうか」
 宿を出てすぐ、2人は奇妙な光景に出くわした。波打ち際に集まった人々が、皆そわそわしながら海の方向を見つめているのだ。
「すみません。これは一体何の集まりなのですか?」
「ああ、お祈りが始まるんだよ。大事なお祈りがね」
 豊漁の儀式かな、とユールが考えていると、人垣の中から少女が進み出た。ユールよりも小さなその子は、明るい色の髪をおさげに結い、洗いざらしの質素な服に身を包んでいる。
「オリガ!今日もたんまり頼むだぞー!」
 オリガと呼ばれた少女は海の中へ数歩進み、そのまま跪いた。小さな手がきゅっと胸の前で組み合わされる。
 ざざ…ん、ざざ…ん。波がくり返し打ち寄せる音に微かな地響きが混じる。それはだんだんと大きくなり、ユールが足に振動を感じるほどになった。
「なになに?ねえ、何なのよ?」
 サンディがユールの髪にしがみつく。砂浜が揺れているのに、人々は全く慌てる素振りが無い。
「来たぞ!ぬしさまだ!」
 オリガの目の前の海が小山のように盛り上がる。山が消えると同時に水と何か重たいものがユールたちにボタボタ降り注いだ。
「冷た…っ。もー、ほんっと最悪なんですケド!」
「空から魚が…!?」
 塩辛い水を浴びて立ち尽くすユールたちを他所に、濡れ鼠の人々は浜辺に散らばる魚を拾い集めていく。
 数が多いため、取り合いで喧嘩になったりはしないようだ。魚を手にした人々が口々にオリガに礼を言って手を合わせる。
「あの子は一体…?」
 海に佇んだまま大人たちを振り返った少女の表情は、夕陽の影になってしまってよく見えなかった。