2012年1月30日月曜日

果実の行方


 「青い木」が生えているアユルダーマ島は、世界地図のほぼ中心に位置する大きめの島である。
 北に転職の奇跡を司るダーマ神殿を擁し、人里は南にある小さな漁村が一つのみ、という緑深き秘境。
 湖の中心に建つ神殿を包み込むようにして、台地が島の北側一帯に広がっている。
屏風のように広がる台地も、神殿が建つ小島も、天よりの恵みたる雨をその岩肌に宿し、大小さまざまな滝を成している。
豊かな水量を保って流れ落ちる瀑布は、さながら水の天幕のよう。その眺めはまさに雄大の一言に尽きる。
 さて、ダーマ神殿へ入るには、湖畔から小島の頂上までまっすぐに伸びた階段を登らなければならない。ほとんど海と変わらない標高の湖から、屏風のように周囲を囲む台地よりも高く。もはや軽く登山である。
 湖畔から一時間かけて、ユールたちは神殿の階段を登り切った。
「空と海の青と…木々の緑が…眩しいですねえ」
 それにいい風、と、眼前の景色に目を細めながら、ユールは言った。「山登り」で汗ばんだ体に、ひんやりした風が心地よい。
「はあ…。次は階段の上にルーラで降りてくれよ…。いちいち下から登ってくるのはゴメンだぜ…」
「滝にかかる虹を見ながら歩くなんて、素敵だと思うけど」
 メルフィナが言った。息を切らせた一同の中で、彼女はサンディと共にけろりとしている。
「聞きしに勝る壮麗さだな…。しかし、ダーマの大神官が行方不明になり、転職ができなくなっているというのは本当なんだろうか」
 階段の途中で休憩していた人々が異口同音に語った内容がこれである。神殿の入口でも、神官たちが同じ説明をひたすら繰り返していた。
 ダーマには世界中から求道者が集まってくる。彼らは大神官の秘術により隠れた才能を開花させ、遥かな高みへ至らんと切磋琢磨するのであった。
 その大神官が失踪してから2週間。遠くからはるばるやって来た転職志願者の中には怒り出す者も出始めているようだ。
「いくら何でも、人一人が何の痕跡もなく消えたりはしないでしょう。大神官の行方について、何か知っている方がきっといるはずです」
 ユールたちはまず手始めに神殿の宿坊へと向かった。人の集まる場所には情報も集まるだろうと踏んでのことだ。
 転職の再開を待つ人々で、神殿内はどこもごった返しており、それを当て込んだ商人たちがさまざまな店を出している。ここでメルフィナが淡いピンクのローブ(魔力の加護があるらしい)を、セラパレスが珍しい薬草類を購入していた。
「君の袋のおかげで、仕入れが捗るよ」
 セラパレスは薬草の束をにこにこしながら袋に入れている。
 ユールが天使界から持ち帰った白い袋。ごわごわしたクッションカバーといった、一見何の変哲もない袋だが、中に何をどれだけ入れても決して溢れることがない。
 これも、世界樹の声の主が旅の助けに、と授けてくれたものである。
 買い物ついでに聞きかじった商人たちの噂によれば、大神官は2週間前の昼食時からいなくなったらしい。
 驚くべきことに、ここでは大神官であっても転職志願者たちと同じ場所で食事を摂ることになっているようだ。
 当時、給仕を担当したメイドによれば、
「何か変わったこと…。あ、大神官様がデザートにって果物を持っていらしたんです。私が皮を剥いてお出ししました」
 果物。いきなり当たりを引いてしまったかもしれない。わくわくしながらユールは尋ねた。
「それ、どんな果物でしたか?」
「私も初めて見る種類だったから、名前までは分からないわ」
「その果物、何か光ったりしてませんでしたか!?」
 勢い込んで尋ねてみても、どうだったかなぁとメイドの反応は鈍い。
「大神官様は果物がお好きなので、よく珍しい果物が献上されてくるんです。その日、武闘家に転職した人にもらったって、おっしゃってました」
「その武闘家って奴はとっくにここを出て行ってるんだろうな」
「いえ、まだしばらくここにいると思いますよ。さっき酒場の方に歩いて行くのが見えましたし」
「マジで!」
 ユールたちは慌てて食堂に隣接する酒場へ走った。武闘家らしき人物を探すも、カウンター周りに人が多すぎてなかなか見つからない。
そもそも男か女かも分からないので、ユールはとりあえずバーテンに話を聞いてみることにした。
「はあ?果実?ワインならいろいろ揃えてあるが、果物そのものは扱ってないぜ!」
 周囲のざわめきでユールの声がかき消されるので、アスラムが代わりに質問した。
「大神官に果実を献上した武闘家?ああ、そりゃハンさんだな。おーい、ハンさーん!」
 バーテンに呼ばれて、人を掻き分けやって来たのは、上半身裸の大柄な男性だった。
 彼は神殿に来る途中、茂みの中に転がっていた果実を拾ったのだという。
「あの果実、あまりにも旨そうで思わずオレもかぶりつきそうになったぜ。一体あの果実は何なんだろう。…なあ、もしかして大神官がいなくなったのはオレのせいなのか?」
「うんまあ、多分、そうなるんだろうな」
 アスラムが思いっきり頷いたので、ハンは慌て出した。
「おいおい、献上した果実が逃げ出すほど不味かったとしてもオレのせいじゃないぜ!大神官が戻ってこないのは、きっと別の理由があるんだよ!」
「ええきっとそうです。女神の果実が逃げ出すほど不味かったなど有り得ませんから」
「そっちかよ!」
 ユールが力強くハンの言葉を支持した。果実の味はともかくとして、セラパレスも同意見のようだ。
「大神官が誰にも何も告げずに出かけてしまうような、神殿を長時間不在にしてしまうような不測の事態が起きた、ということだろうな」
「だよな?果実食っただけで大神官がどこかに行っちまうなんておかしいもんなあ。でも、あんたの言う通り、仕事放り出して出かける用事って何かあるかな?病気?身内の不幸?急に何もかも嫌になっちゃったとか?」
「曲がりなりにもダーマの大神官なんですから、家出はないと思いますよ」
 ユールたちと一緒になって大神官失踪の原因を考えてくれているハンの姿に、メルフィナとサンディがそれぞれ感想を漏らした。
「彼、良い人ね。まるで我が事のように考えてくれているわ」
「お人好しっつーか、ノリ良すぎだっつーの。全く…」
 ああでもないこうでもないと仮説を並べ立てる人間たちの横で、ユールはふと思いついたことを尋ねてみた。
「食堂で毎日ごはんを食べるなら、大神官様はここでお酒を飲んだりするんでしょうか」
するよ、とあっさりバーテンが答えたので、ユールはびっくりした。
「大神官がな…ここでときどき愚痴るんだよ。わしは多くの人々を転職させたが、それで本当に人々をより良い道へ導くことができたのだろうか?…ってね。さすがのオレもその時は何て言ったらいいか分からなかったさ」
「はー…。大神官も人間なんだなあ。オレ、神様みたいなもんだと思ってたよ」
 ハンがぽつりと言った言葉が、その場にいた全員の感想だった。
情報の整理がてら、ユールたちは食堂でどうにか空席を見つけ、遅めの昼食を摂った。
ここの食堂では、何種類かの料理がそれぞれ大皿に盛られて並んでおり、各自好きなだけ器に取るという珍しいやり方をしている。
「炒め物を全部ごはんに混ぜて食べるとおいしいですよ~」
 器の中身をぐにぐに混ぜながら、ユールは言った。
「とてもそうは見えないがな」
 彼女の器の惨状をちらっと見たアスラムは、げんなりしている。その横では、セラパレスが根菜と豆の煮物で混ぜごはんに挑戦していた。
「煮物の辛味が米で軽減されて食べやすい。意外といけるぞ」
「えっ本当ですか。ちょっとおかわりしてきます」
セラパレスの感想を聞いて、ユールは2杯目のごはんを取りに席を立った。
「よく食べる子ね」
 菜っ葉の炒め物をサンディと分け合いながら、メルフィナはお茶を片手に微笑んだ。香草を煮出したお茶は独特の香りがするが、さっぱりしていて飲みやすい。
「食い過ぎじゃないのか。もの食う天使ってトコからして、何かおかしい気がするがな」
「きっと人間の食べ物が珍しいのよ」
 彼らの会話が一段落した所で、ごはんを器いっぱいに盛ったユールが戻ってきた。
「ちょっ、それさすがに多すぎじゃね!?」
「お前な、いくら料理が美味いからって食い切れるのか?」
「大丈夫です!」
周囲のツッコミをものともせず、ユールはメルフィナの炒め物も分けてもらって、2杯目の混ぜごはんに取り掛かった。
「ところで、行方不明の大神官だけど、ユールの探している果実のせいで、ほぼ確定ね」
「神殿の関係者にこのことを伝えた方がいいだろうな。食べ終わったら神官を探して…」
彼らが今後について相談している間に、ユールは混ぜごはんをぺろりと完食した。
「ホントに全部食べたちゃったよ…。つーかマジありえないし」
「どういう意味ですかね。…そういえばサンディ。テンチョーさんは見つかったんですか?」
「全ッ然!もー、どこに行っちゃったんだか」
 盛大なため息でサンディが答えた。近くにいるかも、とユールは器を片手にキョロキョロしてみたが、
「あー、それはないない。見たら一発で分かるもん」
サンディがきっぱりと断言した。
うちの師匠のように特徴的な外見なのかな、とテンチョーの姿がちょっと気になったが、彼女の疑問は次なる発見でかき消されてしまった。
「あ、さっきお話を伺ったメイドさんですね。休憩でしょうか」
 斜め前の席で見覚えのある女性が食事中だった。連れは赤い甲冑に身を包んだ若い女性で、食事とお喋りに忙しい様子だった。
「いいなあ、憧れちゃうなあ。女戦士ってカッコいいわ!私もここのオシゴトを辞めて戦士に転職してみようかしら」
「戦いの日々はもう飽きたんだ。普通の女の子に戻ろうかと思ってここに来たんだけど、この先に大きな戦いが待っている気がするんだ。戦士の勘ってヤツかな…」
「戦士としての道を全うすべきか否か…。お悩みが深いご様子ですね」
 ユールが女戦士の将来に思いを馳せていると、アスラムが悪戯っぽく笑いながら言った。
「それは違うな。わざわざ転職しなくても、この人の前では普通の女の子になれちゃうって男と出会えば一気に解決だ」
「それは、ダーマよりルイーダ向きの案件ね」
 メルフィナの発言に、セラパレスがぎょっとして言った。
「恋人斡旋までやってるのか、あそこは」
 アスラムたちの話についていけず、ユールはぽかんとしていた。
「これはどういうお話ですか」
「アンタ、もーちょっと世間での経験積んだ方がイイと思うヨ」
 天使として生を受けてこのかた150年。それではまだまだ足りないらしい。
 ユールは何だかよく分からないが、とりあえず「頑張ります」と宣言しておいた。

2012年1月14日土曜日

新たな使命



買い物や周辺の探検に一週間程を費やした後、ユールたちはセントシュタインへ戻った。
ベクセリア滞在中、セラパレスはルーフィンの研究室で錬金レシピの研究に勤しみ、メルフィナは武器を新調した。魔法使いらしく、鞭から杖に持ち替えることにしたらしい。
葬儀の際に街の若者と仲良くなったアスラムは、彼から友情の証として派手な服を渡された。顔を引きつらせつつも見事に着こなしているあたり、さすがだとユールは思った。
 ちなみにその若者は、恵まれた体格とガッツだけは十分な家事の才能を生かして、ルーフィンの助手を勤めることにしたようだ。
「助手を勤めるというか、勝手に留守宅に上がり込んだというか…。悪い人ではないんですけど」
「助手なのに研究室の出入りを禁止されてるしな。大丈夫かな、あいつ」
 いよいよベクセリアを発つ日。ユールたちは町長に会いに行った。
 元気を取り戻しつつある町長が、古文書をパラパラめくりながらこう言った。
「先日、ルーフィンの奴がのこのことこの家に顔を出したのですよ。今までの行いを反省するとかゴニョゴニョ柄にもないことを言って。まあそこまでは良かったのですが、その直後にここにある古文書を全部貸してくれときたんですよ。さすがにアレには開いた口が塞がりませんでしたな。…それにしても、よくもまあこんなものをスラスラ読めるもんですなあ…。あ、いや、別にあやつに影響されて古文書を読み始めたわけではないですぞ!私の溢れる向学心がこれに手を伸ばさせたのです!ええ、それだけですとも!」
「町長。私は何も言っていませんが…」
 ただ顔を出しただけなのに長々と力説され、ユールは半笑いだ。
一方のルーフィンについては、後でセラパレスが語った所によると、
「今回の一件で、何のために学問をするのか、その意味を見出すことができました。これからは自分の学問を街のため、世の中のために役立ててみようと思うんです。まあ、ぼくに何ができるかは分かりませんが、ゆっくりその方法を探していくつもりですよ」
 と言いつつ、手始めに義父の書斎を丸ごと調査したい、と付け加えたそうである。
 舅も婿も、お互い不器用ながら歩み寄ろうとしている。これなら心配いらないなとユールはほっと胸を撫で下ろした。
 数多のお土産を携えて一行がセントシュタインに戻った日の夜。ユールとサンディは峠の道へとやって来た。
 宿の部屋には置き手紙を残し、カウンターのラヴィエルに軽く挨拶をし、カマエルにはセラパレスのことをよくよく頼んでおいた。
 動物たちも寝静まる深夜。森の中の箱舟はユールたちの目には淡く発光して見えた。
 期待半分、諦め半分で箱舟の中に入った途端、2人は何とも言えない感覚に襲われた。
(鼓動のような、地響きのような…)
 箱舟の反応が前回と違うことに、出発準備に飛び回るサンディの声も弾む。
「いっくよー!」
 元気良く機嫌良く、運転士が号令を発した。ガタン!という衝撃と共に、箱舟が震え出した。
 勢いよく転びそうになったユールは、慌てて傍の手すりにしがみついた。
 揺れと共に、上から押さえつけられるような圧力が全身にかかる。翼があれば安定を保っていられるのだろうが、人間と変わらぬ体型のユールはすっかり揉みくちゃだ。
 小さな羽根をパタパタさせるサンディは、この状況でもケロっとしていて、羨ましい限りである。
「…えーと、これ今飛んでるんですか、もしかして?」
 揺れが収まった頃、彼女は運転士に聞いてみた。
「そーだよー。窓の外から覗いてみ?左に見えますのがぁ、天使界でございまぁす!」
 手すりを伝って左の窓から外を見ると、黒い靄のようなもので一面覆われていた。
「外が黒くてよく分かりません」
「えー?じゃ、これでどうかな?」
「ぶっ!」
 言葉が終わらぬ内に、ユールはムギュと体ごと窓に押し付けられた。どうやら箱舟が急旋回したらしい。
 間もなく、靄の中から石造りの建物が見えてきた。夜空を気まぐれに切り裂く稲光で、その全容が露わになる。
 外壁は大なり小なり崩落しており、木々は倒れ、芝は焼け焦げ、と無残な有様である。
 随分と荒れ果てた天使界の姿に、ユールはショックを隠しきれない。
「皆さんご無事でしょうか…」
 やがて、箱舟は完全に停止した。
 物思いに沈んでいたユールは、サンディに追い出されるようにして箱舟のタラップを降りた。
 そこは、天使界の最上層。世界樹の足元。長老以下、居並ぶ上級天使たちが、一様に目を丸くして彼女を見つめていた。
「あ…えーと…。た、ただいま戻りました…」
 十数人の視線を一身に浴びながら、ぎくしゃくと、ユールは帰還の挨拶をした。
 彼女の師が見ていたら、叱りつけてやり直しを命じるだろう、覚束ない動きだった。

「それにしてもよく無事だったわね~。あ、マスター。お茶、おかわり」
「はいよ、ラフェット」
 トルクアムの店で、帰還した守護天使ユールは食事に専念していた。
 なかなか仕入れに行けなくて出せる料理が少ない、と店主は恐縮していたが、限られた食材を風変わりなスパイスで味付けしたサラダや煮込み料理、そしてこの店特製の特大プリンなど、十分賑やかな食卓に彼女は大満足であった。
 地上に落ち、翼と光輪を失ったユールは紆余曲折の末に天使界へと戻ってきた。しかし、長老であるオムイでも失ったそれらを取り戻す術を知らない、ということだった。
 傷ついた天使は世界樹の根元で祈り、傷を癒す。治療のための瞑想中、つい居眠りしてしまったユールは奇妙な夢を見た。
「女の人と男の人の声がして、男の人の攻撃を女の人が防いだのです。私は人間を信じる、人間たちを滅ぼしてはいけない。この身に代えても人間と人間界を守る…と」
「夢の中で、何か邪悪な気配はした?」
 真実を記録する者の探究心を覗かせ、ラフェットが言った。
「いいえ、邪悪さは全く。でも、男の人の方には、畏怖というのでしょうか。身が竦んで動けなくなるような迫力がありました。で、夢から覚めると、世界樹から声が聞こえたのです」
 長老は、世界樹の根元で神と対話したユールを手招き、皆の前で宣言したのだ。
「ユールに神の託宣が下された。天の箱舟で地上にあるという青い木の元へ降り立ち、散り散りになってしまった女神の果実を集めよ、とな。皆、この若き天使の力となってやってくれ」
 結局、翼も光輪も戻らぬまま、ユールに新たな仕事が命じられた、というわけだ。
「それにしても、天使たちが随分いなくなってしまいましたね…」
 天使界を襲った悲劇の後、邪悪な光の原因や地上に落ちた同胞を探しに、何人もの天使たちが人間界へと旅立った。しかし、ユール以外は誰一人として戻って来ず、未だに誰とも連絡が取れない状態だという。
 地上に落ちた元弟子を探しに出た、師匠イザヤールも。
「まるでエルギオスの時のようだな」
「マスター。そのエルギオスというのはどういった方なのですか」
 聞き覚えのある名だ。ユールはトルクアムに尋ねた。
 彼はラフェットと意味ありげに視線を交わした。やがて、意を決したように図書室長が語り始めた。
「エルギオスは、イザヤールの師だった天使。何百年も前、ある小さな村の守護天使だった彼は地上に降りたまま消息不明になってしまったの。ゲートの近くにいつも鍵が掛かった扉があるでしょう?あの先にエルギオスの石碑があるの。誰よりも人間を愛した、偉大な天使だった彼のことを忘れぬように作られたのよ。…でも、彼の身に何が起きたかは今も不明のまま。時が経つにつれ、その存在は尊敬と共に恐れを抱かれ、遠ざけられてしまったの」
 確かに、見習いが学ぶ天使界の歴史でエルギオスについて習った覚えはない。
「石碑になったって、恐れられてたって、師匠は師匠だからな。弟子からすれば何年経っても色褪せないもんだろうさ」
「ええ、我が身に置き換えてみれば、すごくよく分かります」
「イザヤールは心配だったのよ。ユールまでエルギオスみたいに帰らないんじゃないかって。多分、今も人間界であなたを探してるんじゃないかな」
「師匠が…」
 プリンをすくう手が完全に止まってしまっているユールに、トルクアムが勇気づけるように言った。
「お前はお前の務めを果たせばいい。人間界で派手に動き回っていれば、イザヤールの方でお前を見つけるだろうさ。もし、あいつが天使界に戻ってきたら、俺やラフェットがお前の活躍を嫌ってほど語り尽くしてやるから」
「…そう、ですね。幸か不幸か、他のことに気を取られながらこなせる仕事ではないようですし」
 ならばコレを活力源にしよう、と、ユールは勢いよくプリンをかっこんだ。年長の天使たちはそれを笑いながら窘めた。
「こらこら、行儀が悪いぞ守護天使様」
「あ、そうだ。ユール、後で私の部屋に来て頂戴。守護天使の記録、つけないとね」
「ああ…就任して初めの一ヶ月しかまともに記録をつけませんでしたね」
 守護天使は一人一人活動記録を持つものだ。いろいろあってユールも忘れていたが、人間界にある守護天使像が彼女に反応しないので、箱舟で定期的に天使界に来て、ラフェットに申告する方法を取ることにしたのだ。
「お前も何かと型破りだよなあ」
 帰りがけ、店の外で見送りがてらトルクアムが言った。横でラフェットがうんうんと頷いている。
 それから図書室長の元で記録をつけ終え、ユールは箱舟へと戻った。サンディにまた地上まで運転してもらおうと思ったのだが、待てど暮らせど彼女は帰って来ない。
 実はサンディは「テンチョー」を探すためにユールと別行動を取っているのだ。
 このままボーッと待っていても仕方がないので、ユールはサンディを探しに行くことにした。
 足を棒にしてあちこちを歩き回り、多すぎる階段にへばっていた所、一人の見習い天使が荷物を抱えたまま転んでしまったのが見えた。彼女は慌てて助けに向かった。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。ありがと…っ!」
 立ち上がった見習い天使の顔が一気に青ざめた。
「ん、どうしました?」
「近づかないで!翼と光輪が無いの、うつったら怖いじゃん!」
(え…?)
 あまりのことに完全に思考が停止したユールを置いて、見習い天使は走り去っていった。
「こら!廊下をみだりに走ってはならぬ!」
 厳しい叱責の声が飛ぶ。見ると、コルズラスがこちらに歩いて来る所だった。
「ユールか。顔色が優れぬようだが、大丈夫か?疲れが出たのではないか」
「いえ…大丈夫です。お気遣い、感謝いたします」
 ユールの返事に、うむ、と重々しく彼は頷いた。
 コルズラスの弟子のラエルは師のお使いに出ていた。弟子の戻りがあまりに遅いので、師自ら出迎えに行く所だそうである。
(寄り道か買い食いか、また怒られるんだろうなあ)
 生暖かい笑みを浮かべてユールが友人の行く末に思いを馳せていると、コルズラスが意外な親心(師心?)を見せた。
「天使界の中で何があるのだとも思うのだが…いろいろと騒がしい昨今、用心するに越したことはない」
「はい、コルズラス様」
 用心といえば、と、ハタと彼が手を打った。
「さっきから奇妙な光の玉が、テンチョーテンチョーと叫びながらウロウロしているんだ。あれはもしや邪悪な光を放った輩の手下ではないだろうか」
 その変な光に思いっきり心当たりがあったが、ユールはコルズラスには何も言わず、そのまま別れた。
(上級天使にもサンディは完全には見えないのか。彼女が自分でそうしてるんですかねえ)
 そんなことを考えながら箱舟まで戻ると、いつの間にかサンディが運転席に戻って来ていた。
「聞いたよ~。何か青い木を目指すんだって?あんたは女神の果実、アタシはテンチョー。お互い探し物ガンバロー」
 おー、とユールはサンディと共に拳を上へと突き上げた。
 行きと同じく、あっという間に地上に降り立った箱舟は、青く輝く不思議な木を目指して飛んだ。
「おー、あったあった。ってか、本当に真っ青なんですケド!植物としてありえなくね?」
「きっと内側から光ってるんですよ」
「ふーん。ま、いいや。あっちにあるのがダーマとかいうトコらしいよ」
 顔を出したばかりの朝日を浴びて、青い木がキラキラ輝く。木の傍で、ユールは覚えたばかりの呪文を試してみることにした。
 ルーラという瞬間移動の魔法。これは、旅の助けとなるように、世界樹の声の主が授けてくれたものだ。
「へー、新しい呪文かあ。何かヤバい効果とかあったりする?」
「まさか! 効果は、人間界におけるキメラの翼と同じですよ」
「それ、ちょー便利じゃね?早く使ってみなって!」
 初めてのルーラは無事に発動し、2人は一瞬で早朝のセントシュタインへ降り立った。
 宿屋の自室にこっそり戻り、置き手紙を処分した後、ユールは、よしと気を引き締めた。
 こうして、新たな使命を帯びたユールは、人間界の仲間たちと共に更なる旅を続けてゆくこととなったのである。