2010年8月6日金曜日

土砂崩れの調査

 翌朝、わざわざリッカの家にまで迎えに来たニードと一緒に、ユールは峠の道へ向かった。
 左手に川、右手に森を見ながら街道を歩く。地面を踏みしめる感触と、吹き抜ける風の心地よさに舞い上がり、ユールは怪我も忘れてどんどん先へ行ってしまい、ニードに呆れられた。
 外をうろつく魔物たちは数こそ多かったが、どれものんびり歩いたり飛んだりしている。こちらから近寄っていかなければほとんど襲い掛かってくることは無かった。
 ただ、ろくに前も見ずに街道を走ったユールが砂袋に蹴つまづいて転び、激怒した砂袋…ドロザラーに追いかけ回された時は少々危なかった。結局、2人がかりでドロザラーを川へ突き落として難を逃れたが、
「地面に落ちているものには気をつけます…」
「道の真ん中で寝てるあいつもどうかと思うがな。ってか、あんまり考え無しに走り回るんじゃねえよ」
 単独行動禁止、とニードに言い渡されたりしつつ、のんびり街道を進んでいった。
 しばらくすると、単調な景色に飽きてきたのか、今度はニードが街道を逸れて藪に立ち入り、モーモンに噛み付かれた。ユールが何とか引き剥がそうとしたが、モーモンは怖い顔で彼の腕に食いついて離さない。
 そこへリリパットの集団が現れ、一斉に矢を射かけてきた。
「街道まで戻って!」
 ユールは手近な石を拾ってリリパットたちに投げつけ、足止めを図った。彼女の声に応じて、モーモンをぶら下げたままニードが走る。
 的が分散して戸惑っているリリパットを、ユールは片っ端から銅の剣で叩きのめしていった。近づいてしまえば彼らは弓を使えない。数は多かったが、ユール一人で何とか全部やっつけることができた。
 街道まで戻ると、木陰でニードが腕をさすりながら待っていた。
「あれ?モーモンはどうしました」
「どっか行っちまったぜ。走ってる間に落っことしたのかもな…イテテ」
「手当てしますから、そのままで」
 ユールは、くっきりと歯型がついたニードの腕に手をかざした。手のひらに暖かな力が集まってくる感覚に、彼女は思わず笑みを浮かべた。
(よかった、魔法は使えるみたい)
 天使による癒しの術が、瞬く間に傷を癒していく。それを目の当たりにしたニードはただただ目を丸くしている。
「お前、ホイミ使えんのか!すげえな!」
 噛まれた方の腕をぶんぶん振って、何ともないことを確かめ、彼は笑顔になった。
「あはは…まあ、旅芸人ですから」
 厳密に言うと、人間の使う呪文とは発動条件が異なる術なのだが、ユールは適当に調子を合わせておくことにした。癒しの効果はどちらも同じである。
「いやぁ、さっきは危なかったな。ホントに魔物がウヨウヨいるぜ」
 少し休憩してから、再び街道を進む。昼前には峠の道の入口に到着した。
 目の前に広がる光景に、ユールは唖然とした。銀色に輝く巨大な物体が木立に突っ込んでいる。
 煙突のついた箱型の乗り物…光を失っているが、どう見ても天の箱舟の先頭部分だった。
「ニードさん!これは」
「おー、木が倒れてるな」
「木じゃなくて、乗り物が!」
「何言ってんだお前。地震で木がバタバタ倒れてるだけだろ?」
 ニードには箱舟が見えていないようだ。彼が人間で自分が天使であることが関係しているのだろうか。
「土砂崩れの現場はもっと奥みたいだな…。おら、さっさと行くぞ!」
 彼はスタスタと歩いていってしまったが、ユールはその場を離れるつもりはなかった。地上に落ちて初めて天使界と関わりのあるものを見つけたのだ。
 ユールは恐る恐る箱舟へと近づいてみた。
「誰か、いませんか…」
 声をかけながらドアを叩いてみたが、応答はない。取っ手を引っ張ってみたが、びくともしなかった。
 中に誰もいないのか。箱舟は壊れてしまっているのか。気になることは山のようにあったが、これ以上ここにいるとニードが戻ってきてしまうだろう。
「また後で来よう…」
 次に来た時、箱舟がいなくなっていることはないだろう。後ろ髪を引かれる思いで、ユールはニードの後を追った。
 緩やかな坂道を歩いていくと、木立に囲まれた広場に出た。
 馬車が数台並んでもなお余るほどの広さがある。旅人たちの休憩所といったところだろうか。
 そのすぐ先で街道が寸断されていた。土砂とともに大小さまざまな岩や木々が重なり合い、人間の背丈を遥かに越える高さまで積み上がっているのだ。
 突き出た岩を足がかりに、ニードが上へ登ろうとしている。しかし、体重を掛けるそばから足場が崩れていくので、どうにもならない。
「くそっ、思った以上にひどい状況だな。これを登って向こう側に行けるかと思ったけど、無理だな」
 目の前の土くれの山を見上げて、2人でため息をついていると、
「おーい!そちらに誰かいるのか!?いるなら返事をしてくれ!」
 向こう側から、若い男の声が聞こえてきた。
「土砂崩れの様子を見に来たウォルロ村の者だ!あんたは誰だ!?」
 ニードが声を張り上げると、
「私はセントシュタインの兵士だ!王命により土砂の撤去を行っている!」
「おう、助かるぜ!街道の復旧はいつ頃になりそうなんだ!?」
 少し間をおいてから、兵士の声が聞こえてきた。土砂崩れの規模が大きいので数日はかかる、ということだった。
「土砂崩れは、お城の兵士たちに任せましょう」
「そうだな。ひとまずこのことを村の皆に知らせよう。お城の兵士さーん!後はよろしく頼んだぜー!」
 ニードとユールが帰ろうとした時、慌てたような兵士の声が聞こえて来た。
「一つ聞かせてくれ!そなたの村に、ルイーダという女性は滞在していないか?」
「いや、いないと思うぜ!ここ最近、村に余所者は来てないからな!…あ、お前がルイーダさんだったりしねえよな?」
 もちろん違います、とユールは首を振った。
「実は、城下の酒場で働いている婦人ルイーダが、大地震の日から行方不明なのだ!ウォルロ村に行くと知り合いに話していたらしい!」
「峠の道を通った可能性が高いってことか。…ん、おい兵士さん!その人キサゴナ遺跡を通ったんじゃないのか!?」
「あの遺跡は途中で天井が崩れ、奥まで行けない状態だそうだ!すまないが、村へ戻ったらルイーダのことを聞いてみてもらえるか!?」
「分かったぜ!…おら、帰るぞユール。その人のこと、親父に聞けば何か分かるかも知れねぇ」
 来た道を戻りながら、ユールはニードにキサゴナ遺跡のことを尋ねてみた。
「峠の道が開通する前は、キサゴナ遺跡を通ってお城と村を行き来していたんですよね?魔物が住み着いて通れなくなったので、百年くらい前に峠の道を切り開いたと」
「よく知ってるな。リッカに聞いたのか?今じゃ遺跡もあちこち脆くなってていつ崩れるかって状態らしい。魔物も出る中、わざわざあそこを通ろうなんて奴はいねえだろうよ」
 大地震で街道が塞がれても諦めず、敢えて危険な道を通ってでもウォルロ村を目指さなくてはならない理由。
 ユールには見当もつかなかったが、よくよくの事情があったのだろう察せられた。
「ニードさん。私、キサゴナ遺跡に行ってみたいです」
 ニードはしばし無言でユールを見下ろしていたが、
「お前、馬鹿だろ」
「何が馬鹿ですか」
「あのな。遺跡には魔物が出る。中は古くて崩れやすくなってる。つまり、とーっても危ないんだ。分かったか?分かったな?分かったら返事しろ返事」
「でも」
「とにかく危険なんだよあそこは!村に帰ったらルイーダさんが来てるかも知れないだろーが」
 ちなみに遺跡はあっちだ、とニードが指差した方向には、鬱蒼と生い茂る森が広がっていた。ひょろひょろと頼りない道が奥へ向かって伸びている。
 この先に遺跡があると聞くと今すぐ出発したくなるのが人情だが、そろそろ腹が減ったとニードが休憩を宣言したので、川べりで昼食を摂ることにした。
 天使であるユールは空腹を滅多に感じないので気付きにくいのだが、もう午後も遅い刻限だった。
 川面を渡るひんやりした風に吹かれながら、草地に座り込んでサンドイッチをかじる。
 ニードの子分が出がけに持たせてくれたものだ。きちんと2人分、しかも水筒に紅茶まで用意してある徹底振りだ。
「あいつ、無駄に器用なんだよなぁ」
「本当にお母さんみたいですよね。あ、このジャムサンド、おいしい!」
「え、どれだよ。オレも食いてぇそれ」
 食事を堪能した後、ユールは昨夜読んだ本の内容をふと思い出し、尋ねた。
「あの、この川の反対側って大王蜘蛛の巣があるんですよね?あっちの森には、薬になる珍しい花が咲いてるんですよね?」
「ああ?何だよ行きてぇのか。花の方は一旦街道を戻らなきゃならねぇからダメだぞ。日暮れまでに村へ帰るんだからな」
「ええー」
「花ならそこにも咲いてるだろ!…まあ、蜘蛛の巣はこっからそう遠くないから、そっちだったら行ってもいいけどな」
「じゃあ、早速行きましょう!」
「あー、地震で潰れてたりしてな、蜘蛛の巣」
「何てことを言うんですか!楽しみにしてるのに!」
 ニードの案内で川を遡ること数刻。ウォルロ村を対岸に見下ろす丘に大きな穴が開いていた。穴の上にはキラキラした糸が複雑な文様を描くように張り巡らされている。
 大王蜘蛛の巣は、地震で潰れたりはしていないようだ。陽光にきらめく巣の美しさにユールが見惚れていると、
「ほれ、おみやげ」
 ニードが巣の糸を数本千切り、くるくると丸めて投げて寄越した。
「うわ。ねっちょりとしてますね…」
「葉っぱか何かで包んで持ってけ。ウォルロの名産・まだらくもいとだ」
「名産!?言われてみれば、おいしそうなとろけ具合ですね」
「それ、食いモンじゃねえから」
「…残念です」
 ユールはニードの真似をして。まだらくもいとを丸めて葉で包んでみた。何個かやっているうちに楽しくなってきたが、あまり取りすぎては巣が壊れてしまう。
「寄り道はこれで終わりだ!もう帰らないとやばいぜ!」
 蜘蛛の巣に夢中なユールをニードが急かす。見ると、空が淡く色づき始めている。
 ユールはおとなしくニードと共に村へ戻ることにした。

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