2012年2月6日月曜日

迷子


 食事を終え、ユールたちは神殿の奥へと向かった。儀式の間へ続く回廊には警備兵がいて、それ以上先へ進めないようになっている。
 彼らは「大神官が行方不明で転職が出来ない」と、詰め掛ける転職志願者たちに機械的に繰り返し口上を述べている。
 事情を聞きにやってくる者と、諦めて帰ろうとする者で回廊は食堂以上に混雑していた。
「だから、何度も言うようだが、今は転職は…」
「すみません。行方不明の大神官様のことで、新たに分かったことがあるんです!」
 転職志願者と同じく追っ払われそうになって、ユールたちは何度も警備兵に食い下がった。
 よくよく事情を聞いて仰天した警備兵の取り次ぎにより、ダーマの神官長が話を聞いてくれることになった。
 神官たちの控えの間で、神官長とユールたちは向かい合っていた。
 太鼓腹と立派な口ひげで堂々とした体躯の神官長だが、眉毛はハの字に垂れており、心労で憔悴しきった様子だった。
「何ですと?大神官様が出ていったのは、光る果実を食べたせいなのですか?」
「はい。その果実はとても強い力を持っていて、おそらく大神官様はそれを制御できずに…」
 ユールから事情を聞き、むむっと眉間に皺を寄せ、神官長は黙り込んでしまった。
「そうか、ダーマの塔か!」
「え?」
 彼の言うダーマの塔とは、かつて転職の儀式が行われていたと言われる場所で、今は魔物の巣になっているらしい。
「そんな危険な所へ大神官様がお一人で向かわれるなど考えもしませんでしたが…。果実によって異常なほどの力を得たのであれば、塔の中であってもご無事でいらっしゃるかもしれません!」
「別な意味でご無事じゃないかもしれませんが…」
 果実の力が人間にどのような影響を及ぼすか、天使であるユールにも見当がつかない。
「ダーマの塔というのは、このアユルダーマ島の中にあるのでしょう?誰かがもう既に探しに行っているのでは?」
 メルフィナの問いに、神官長が首を振って答えた。
「この神殿に集いし者たちは、それぞれ道を究めた猛者ばかり。彼らはこの2週間、島内をくまなく捜索しているのですが、塔の出入りだけはこれまで許可してこなかったのです。我々では塔に潜む魔物には太刀打ちできませんし、何よりあの塔は神聖な儀式の場…。しかし、そのようなことを言っている場合ではないようですな。皆の力を借りて、一気にあの塔を…」
「神官長様。これだけ騒ぎになっている時に大勢で動けば、更に収集がつかなくなってしまいます。どうか私たちにダーマの塔を調査する許可をお与え下さい!」
「既に2週間が経過しています。これ以上時をかければ、大神官様の安否にも関わりますよ」
「俺たち、凶暴な魔物なら慣れてるしな」
「ダーマに来たばかりの私たちなら、他の猛者の皆さんの注意を引くことなく行動できるわね」
 ユールの申し出を、口々に仲間たちが後押しする。神官長は彼らを見つめ、しばしの逡巡の後に重々しく口を開いた。
「そちらの小さいお嬢さんに全てをお任せするのはいささか不安ですが…。分かりました。あなたがたに掛けてみるとしましょう!」
「このように体は小さいですが、私も歴戦の猛者の一人です。必ずや大神官様を無事に神殿へお連れいたします!」
 小さいと言われて意地になったユールが自信満々に言い切ったのを見て、サンディがぼやいた。
「歴戦の猛者はちょーっと言い過ぎじゃね?」
「あら、黒騎士に妖女に病魔。それなりに優秀な戦歴だと思うけれど?」
「…言われてみればそうかも」
 もうじき日没なので出立は明日ということになり、ユールたちは神官たちの居住区へ招かれ、そこで一夜を過ごしたのだった。
 しかし、翌朝の天気は冒険日和とはいかなかった。
 アユルダーマ島は天候の移り変わりが激しい土地である。
 夜明け前にしとしと雨が降り始めたかと思えば、あっという間に暴風雨。長く続く嵐ではないとは言え、ダーマの塔まで行かねばならない身には辛い。
 この天気の中を進むのか、と、今日一日を考えてユールは暗澹たる気持ちになった。
 雨音で起きてきた仲間たちも一様に暗い顔だ。
「ひどい雨だけど、それほど寒くないからまだマシね」
「歩いている内に止んでくれることを祈るしかないな」
 天候の回復を待っている余裕はない。神殿の警備兵の雨用外套を借りた一行は、再びあの長い階段を降りていった。
 目深に被ったフードで足元しか見えない状態なので、うっかり転ばないよう、おっかなびっくり。
「うう、吹きっ晒しの風がキツイですね。雨が痛いです」
「飛ばされて滝に落ちるなよー。回収が面倒だからな」
 階段を降りたユールたちは、草原に拓かれた街道を頼りに進んだ。雨に煙る視界の端でスライムたちがご機嫌に跳ね回っている。時折3匹組み合わさってスライムタワーと化し、こちらに体当たりしてくるのが厄介だ。
「雨と一緒にスライムまで降ってきたわね…」
「メル、呪文でぶっ飛ばせ!」
 4人が赤青緑とカラフルなスライムにまみれていると、今度はスライムナイトが横から参戦してきた。
「くそっ、新手か!」
 セラパレスが槍でスライムナイトと打ち合うのに、メルフィナが魔法で加勢する。
 濡れて張り付くフードが鬱陶しく、ユールはたまらず素顔を晒した。冷たいだの濡れるだのと、フードに隠れていたサンディが文句を言ったが、無視することにする。
 ユールが足元のスライムを蹴散らし、一息ついた所で突風が吹きつけてきた。その突風には青い腕が生えており、彼女の顔面を強かに打ち据える。
「いっ…!」
「大丈夫か」
 セラパレスがかまいたちの腕を槍で斬り飛ばし、叩かれてクラクラしているユールにホイミをかけた。
「全く、次から次へと面倒だな」
「魔物は雨とか気にしないから羨ましいですね」
 最後に残っていた魔物をメルフィナのイオが薙ぎ払い、ようやく辺りは静かになった。
「ユール。フード被らないと風邪引くよ~」
「いいですもう。ずぶ濡れですし」
「アタシも一緒にずぶ濡れなんですケド!ちゃんと被んなさいよね!」
 サンディの再度の文句を他所に、生温い雨に打たれながらユールは空を見上げた。雲が低く垂れ込め、山々の稜線もぼんやりしている。まだ塔らしきものは見えてこない。
 その後も魔物に邪魔されながら、一行は街道を歩き続けた。
 黙々と歩き続ける内に、ユールは雨によって周囲の緑がより濃く鮮やかに映るのを楽しむ余裕すら出てきた。神殿を出発した頃より雨の勢いも弱まっているようだ。
 昼食の休憩を兼ねて木陰に身を寄せた際、メルフィナがぽつりと言った。
「私たち、今どの辺りにいるのかしら」
 島の地図を全員で取り囲む。曇っていて太陽で方角が図れないため、周囲の地形で現在地を判断するしかない。
「えーと、街道の左側の森に入りましたから…この辺ですかね?」
 ユールは神殿の東に広がる森を指した。
「塔が見えないが、雲で隠れているのか?」
「雨がもうすぐ止みそうですから、そしたら見えてくるのでは」
 一行は森を出て再び歩き始めた。ほどなく雨は止んだが、塔はいつまでたっても見えてこない。
「おい、もっかい地図出せ、地図」
 アスラムにつつかれ、ユールは懐から地図を取り出した。
「俺たちが今いるのは…こっちじゃなくてここじゃないのか?」
 彼が神殿の東から南へと指を滑らせた。森に囲まれた湿地がある辺りである。
「え!?だって森があって高台があって、地図通りの地形ですよ?」
「ここは向かって左が高台で、向かって右が森になってるだろ。塔の周辺とは真逆だ。…お前またやったな」
「では、塔は…この高台の向こう側に…?」
「進んでも進んでも見えてこないわけだ」
 セラパレスが力なく笑った。
(光輪の力があれば天使界と常に交信できるから、現在地を間違えたりしないんですが…。空を飛んで上空から確認だってできますし)
 翼と光輪。失ったものは大きかったと、改めてユールは痛感させられた。がっくり肩を落とすユールの頭をポンポンとメルフィナが撫でた。
「ひどい雨で周りがよく見えなかったのだから、仕方ないわ」
「もうお前、地図没収な」
「はい、よろしくお願いします…」
 シュタイン湖に続いてここでも方向音痴を発揮したユールは、大人しくアスラムに地図を託した。
 来た道を戻ることも考えたが、せっかくここまで来たのだから、とユールたちは島の南端にあるツォの浜に行ってみることにした。
 ツォの浜について、ダーマの商人たちは口を揃えて「何もない田舎の漁村だよ」と言っていたが、海風に晒されボロボロになった入口の木戸と言い、陸にへばりつくように点在する小屋たちと言い、想像以上にうらびれた村だった。
 大き目の倉庫といった趣きの宿屋で部屋(というか寝床)を確保した後、ユールとサンディは浜の探検に出かけた。
 朝から降っていた雨が嘘のように晴れ上がり、空は赤く色づき始めている。しかし、
「何あの人だかり」
「お祭りでもあるんでしょうか」
 宿を出てすぐ、2人は奇妙な光景に出くわした。波打ち際に集まった人々が、皆そわそわしながら海の方向を見つめているのだ。
「すみません。これは一体何の集まりなのですか?」
「ああ、お祈りが始まるんだよ。大事なお祈りがね」
 豊漁の儀式かな、とユールが考えていると、人垣の中から少女が進み出た。ユールよりも小さなその子は、明るい色の髪をおさげに結い、洗いざらしの質素な服に身を包んでいる。
「オリガ!今日もたんまり頼むだぞー!」
 オリガと呼ばれた少女は海の中へ数歩進み、そのまま跪いた。小さな手がきゅっと胸の前で組み合わされる。
 ざざ…ん、ざざ…ん。波がくり返し打ち寄せる音に微かな地響きが混じる。それはだんだんと大きくなり、ユールが足に振動を感じるほどになった。
「なになに?ねえ、何なのよ?」
 サンディがユールの髪にしがみつく。砂浜が揺れているのに、人々は全く慌てる素振りが無い。
「来たぞ!ぬしさまだ!」
 オリガの目の前の海が小山のように盛り上がる。山が消えると同時に水と何か重たいものがユールたちにボタボタ降り注いだ。
「冷た…っ。もー、ほんっと最悪なんですケド!」
「空から魚が…!?」
 塩辛い水を浴びて立ち尽くすユールたちを他所に、濡れ鼠の人々は浜辺に散らばる魚を拾い集めていく。
 数が多いため、取り合いで喧嘩になったりはしないようだ。魚を手にした人々が口々にオリガに礼を言って手を合わせる。
「あの子は一体…?」
 海に佇んだまま大人たちを振り返った少女の表情は、夕陽の影になってしまってよく見えなかった。 

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