2010年10月26日火曜日

才能を見抜く目

 月明かりに煌々と照らされた滝のほとりで、彼女はせっせと穴を掘っていた。
 夜のウォルロ村はしんと静まり返っている。ざくざくと土を掘る音は、瀑布の轟音がかき消してくれた。
 やがて彼女は、布にくるまれた包みを掘り当てた。それは随分と縦に長かったので、彼女は落とさぬように用心しながら穴から包みを引き上げ、布をほどいた。
 中から現れた金色が月明かりをはじいて、夜の闇の中で燦然と輝いた。
 彼女と、その背後で作業を見守っていた者たちは、詰めていた息をほっと吐き出した。

 話は少々前へ遡る。
 キサゴナ遺跡で行方不明になっていたルイーダを助け、ユールは日没前に村へ戻ってきた。
 彼女が井戸掃除を抜け出した件はウィックが上手く誤魔化してくれたようで、誰にも不審がられることはなかった。
 というよりも、その時のウォルロ村はワケありの客人登場で騒然としていて、怪しい旅芸人は大分影が薄くなっていたのだった。
 客人…ルイーダは村に着くなり宿屋へ急行し、主人のリッカを「伝説の宿王の娘」と呼び、セントシュタイン行きを打診したのだ。経営の危機に直面している宿屋を建て直して欲しいと。父親の死後、村の宿屋を一人で立派に切り盛りしているとはいえ、リッカは大都会の宿屋の経営者となるには若すぎる。
 しかし、ルイーダはその点全く気にしていないようだ。宿屋の食堂で夕食を摂りながら、ユールは彼女たちの押し問答を見守ることになった。
「じゃあ、父さんは、セントシュタインにいた頃、伝説の宿王って呼ばれてたんですか?」
「ええ、そうよ。そりゃあ凄かったんだから!若くして宿屋を立ち上げ、並み居るライバルを押しのけて、たちまち宿屋を大きくしたわ!」
 ルイーダの語る宿王の姿と、自身の記憶にある父の姿が重ならず、リッカは困惑しているようだった。
「あの、宿王というのは?」
 ユールが質問すると、ルイーダが教えてくれた。
「宿王グランプリというのが定期的に開かれるんだけど、接客態度から何から数々の課題が出されて世界中の宿屋が競い合うの。そして優勝した宿屋の主人を王様が表彰なさる。それが宿王」
「大変な栄誉、ということですね。でも、宿王となったリベルトさんがどうしてこの村に?」
 そこが分からないのよね、と、ルイーダも首をかしげた。
「とにかく、宿王の去ったセントシュタインの宿屋は、今大ピンチなの。そこで伝説の宿王に復帰願って立て直しを図ろうとしたんだけど、まさかリベルトさんが2年も前に亡くなってたなんて知らなくて…ごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ…せっかく来ていただいたのに…」
「いいのよ。セントシュタインには代わりにあなたを連れて行くから、大丈夫」
 きっぱりと言い切るルイーダに、さすがにリッカの眉根が寄った。
「その話、無理がありません?私じゃこの宿屋をやってくのさえ精一杯なんですよ。それに…やっぱり私、父さんが伝説の宿王だったなんてどうしても信じられません」
「そう言われてもね…事実は事実だから。しかもあなたは宿王の才能を受け継いでいる。私には人の才能を見抜く力があるのよ」
 一歩も引かない相手に、リッカは俯いて黙り込んでしまった。気まずい雰囲気を何とかしようと、おろおろ腰を上げかけたユールが何か言う前に、
「ユール。帰りがけに明日の朝ごはんをおじいちゃんの所へ持って行って頂戴。私は今晩ここに詰めてるから、おじいちゃんのこと、くれぐれもよろしくね」
「え、はい…」
 ユールに用事を言いつけ、ルイーダに食後のお茶を出してから、リッカはパタパタと奥へ駆け込んでいってしまった。
「結構ガンコな子ね。これは長期戦になるかな?」
 淹れたてのお茶の香りにうっとりしながら、ルイーダはやれやれと呟いた。
「ルイーダさんが唐突すぎるのだと思います。いきなりセントシュタインで宿屋経営しろと言われたら、びっくりするに決まっていますよ」
「そうねえ。でも、あの子に才能があるのは確かなことなのよ」
 確固たる信念があるようで、幾度目かになる断言をくり返す彼女に、ユールはため息をつく。
「あの子の目が、必要なの」
「目、ですか…?」
 ルイーダは持っていたカップを置くと、静かに話し始めた。
「リベルトさんが去った後、新しくオーナーになった人の下で、リベルトさんのやり方を忠実に守って、皆で力を合わせて宿屋を盛り立ててきたの。何年かはそれでも充分だった。けれどね…他の宿屋はどんどん進歩していくのに、私たちの宿屋はずっと同じところで足踏みしていたの」
「リベルトさんのやり方では、不十分だったのですか?」
 ゆるく首を振って、ルイーダがユールの問いに答えた。
「お客様の変化に対応していかなきゃ。その変化を見極められる目、一緒に働く人たちを全体として見渡せる目を、あの子は持ってるの」
 ここ最近では、リベルトの後を継いだオーナーがいなくなり、ルイーダが方々から見つけてきた有能な人材で何とか経営を維持している状況らしい。
「時間がないのよ。このままじゃ今度の宿王グランプリどころか、宿屋をやってくことすらおぼつかないわ。リベルトさんの宿屋が無くなってしまうかも知れないの」
 テーブルに頬杖をついて気だるげに見せていても、彼女の瞳には焦りが滲んでいた。
「ルイーダさん。このウォルロ村の宿屋も、リベルトさんの宿屋です。この状況でセントシュタインの宿屋を立て直せるのはリッカしかいない。私もそう思います。ですが、あなたと同じくらい、リッカはこのウォルロ村の宿屋を大事に思っています。それを脇に置いて共に来いというのは、あまりにも乱暴なのではありませんか?彼女が父親の過去を受け止められるまで、この宿屋をしっかり後へ引き継ぐまで…どうか時間を下さい」
 最後に頭を下げたユールを、ルイーダは黙って見つめていた。
「そう…ね。中途半端が一番良くないわよね。あーあ!最近仕事が忙しくてロクに休めなかったし、予想外の長旅で疲れちゃったから、しばらくここでゆっくりしてこうかな?」
 コキコキと首を回し、ユールに向き直ったルイーダはニッと笑った。
「リッカも凄い子だけど、あなたは更に上を行く凄さを持ってるわね。しかも、私より年上と見た」
 いきなり自分の鑑定が始まって、ユールは慌てた。
「私はただの旅芸人ですよ。ちょっといろいろ怪しげなだけで、他は特に何も普通です」
「あらあら、隠さなくてもいいのに。全部お見通しだもの。何かが足りないような気がするけど、伝承だと思っていた存在が目の前にいるんだから、これは信じるしかないわよね」
「…何でそこまで見えるのですか」
 昔からこうだ、とあっけらかんと言われ、ユールの肩からがくりと力が抜けた。
 きっとルイーダは今までもこうして「あなたは○○ね!」といきなり断言して他人の度肝を抜いてきたのだろう。
 特殊な能力を持って生まれつく人間は少なくないのだが、落ちて間もないこの地上で立て続けに当たりを引くとは。ユールは己の幸運だか不運だかを思って、遠い目になった。

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