2010年8月27日金曜日

キサゴナ遺跡

 いきなり村人に見つかるアクシデントはあったものの上手く誤魔化し、無事に村を抜け出したユールは、村の外を徘徊する魔物たちに煩わされることなく、昼前にはキサゴナ遺跡へたどり着いた。
 遺跡の内部はほのかに明るかった。壁や天井が崩れ、隙間から陽光が差し込んでいる。石畳の床は風に運ばれ根付いたらしい植物でところどころ緑に覆われている。
 入口正面の床には地下水を汲み上げた泉が作られており、壁の薄青い石材とともに静謐な雰囲気を醸し出している。人はおろか、魔物の姿も見えない。
 泉の先には巨大な壁画があった。大きな茶色い塊(角の生えた獣のように見える)、不思議な装飾が施された貫頭衣を身につけた人々、いたるところにちりばめられた六角形の意匠。
 今はもう滅びてしまった太古の民族が残した記録である。絵と共に書かれた文字は古すぎて、天使であるユールにも読むことは出来なかった。
「あれ、扉がない。向こう側から来た人はどうするんだろう…」
 昨夜読んだ本によれば、峠の道が完成し遺跡を封鎖する際に、魔物が沸いて出てこないようウォルロ側の出入口を閉めたらしい。残念ながら開閉の方法までは載っていなかった。
「普通の人間が開け閉めできる仕掛けだから、そんなに難しいものじゃないはずだけど…」
 壁画を撫でたりさすったりしていたユールは、ふと視線を感じて後ろを振り返った。
 人の好さそうなおじさんが、ぽつんと一人で立っていた。彼の背後の景色がうっすらと透けている。幽霊だ。こんな場所に出る割に、彼から邪悪な気配は感じられない。悪い幽霊ではなさそうだ、とユールはひとまず安堵した。
 おじさんの幽霊の口元がパクパクと動いている。ユールは彼の傍へと近づいていった。
「…像の…背中に…」
 像なんてあったっけ、と目をぱちくりさせる彼女を置いて、おじさんの幽霊は泉の横の通路へと歩いて(正確には漂って)行ってしまった。
 細長い回廊の先に、剣を構えた戦士像があった。かなり苔むしているが、何とか原型を留めてはいる。
 おじさんの幽霊は像の背中に回り込み、消えた。背の低いユールは像の台座を踏み台にして、あちこち調べてみた。すると、像の背中の中心に六角形の赤い石が埋め込まれているのを見つけた。
 恐る恐る押してみると、ガコン…とどこかで重たいものが動いたような音がした。急いで壁画の所へ戻ってみると、壁画が半分スライドし、その先へ行けるようになっていた。
 ありがとうございます、と親切な幽霊に礼を言って手を合わせてから、ユールは階段を下りて遺跡の奥へと向かった。
 壁の塗料が淡く発光していたので道中の明かりに困ることはなかった。
 ルイーダらしき女性はまだ見つからない。さらにいくつか階段を下りたが、その度に魔物の数が増えていった。大して手強い相手でもないので、ユールはそれらを軽く追い払いながら先を急ぐ。
 通路の隅に置かれたツボや箱の中には、たまに薬草や武具などが入っていることがある。それを見つけるのが楽しくて、ユールはだんだん宝探しに来ているような気分になってきた。
「守護天使たるもの、落ちているものを漁るなど!」と小言を言う師の顔がちらついたが、気にしないことにする。
 その直後、さかさに振ってみた袋が突然笑い出した。彼女は慌てて手を離したが、笑い袋にしたたかに噛まれて痛い目を見た。
(もしかして、やっぱり師匠が見ているのかな?)
 見てるなら弟子の困窮を何とかして欲しいと思いつつ笑い袋を撃退し、遺跡の奥へと進む。途中で出くわした邪悪な人魂や幽霊を追い払い、とうとうユールは祭壇のようにがらんとした広間にたどり着いた。
 あちこちに天井から崩れ落ちたとおぼしき石くれが積み上がっている。中央の瓦礫の横に人が倒れていた。
 ユールは慌ててその人の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
 長い髪を一つに結って背に垂らした女性が、意識なく横たわっていた。目立った傷も出血もないので、ほどなく目を覚ますだろう。足が瓦礫の下敷きになっていて見えないのが気がかりだが。
 彼女の耳元で、ユールは大声で呼びかけた。何度かそれをくり返していたら、女性が呻きながらうっすらと目を開けた。
「う…ん?んん?っと…あらビックリ!こんな所で人に会うなんて、珍しいこともあるものね…もしかしてあなた魔物?それにしては小さいわね」
「魔物じゃありません!ところで、足は大丈夫なんですか。瓦礫の下に…」
 目が開いた途端、元気良く喋り出した女性に面食らいながら、ユールは話を続けた。
「折れてないから大丈夫よ。瓦礫に足を挟まれちゃって動けなくなってるだけだから。ああでも助かったわ。ちょっとそこの瓦礫をどけて下さらない?あともう少しで足が動かせそうなのよ。ヤツが来る前に何とかしないと…」
「えーと、この辺ですね…っと」
 ヤツ、というのが気になったが、まずは女性の救出が先だ。ユールが瓦礫に手を掛けた瞬間、ズシンと腹の底に来るような大きな地響きがした。
「来たわ、ヤツよ!」
 女性の警告と共に奥から一頭の猛獣がその巨体を覗かせた。何かを探るように、鼻をひくつかせている。
 壁画に描かれた獣のような茶色い塊が立体化したらちょうどこんな感じだろうかと、ユールは呑気に考えていた。
 獣つながりで、昨夜読んだキサゴナ遺跡の本に暴れん坊の獣の伝承があったことを思い出した。獣の名はブルドーガ。とにかく大きく力の強かったその獣は、全てを踏み潰して破壊の限りを尽くしたのだという。
(あの絵は猛獣注意!という意味だったのかな?)
 今更気付いても手遅れだ。ブルドーガはじりじりとこちらに向かってきている。動けない女性から出来る限り猛獣を引き離さなければならない。ユールは敢えてブルドーガの前に身を躍らせた。
「さあ、私と鬼ごっこしましょう!」
 銅の剣を振って挑発すると、ブルドーガはいきり立ってユールの方へ向かってきた。どすどすどすと土埃を巻き上げながら迫ってくる。予想より速い。
 ブルドーガに追いかけられながら、ユールは広場を走り回り、壁や柱の状態を見ていった。素手ではとてもブルドーガには敵わないので、瓦礫の下敷きにして倒すしかないと判断した。
 脆くなっている壁に彼女自身を囮として猛獣を突進させる。さじ加減を誤れば、ぺしゃんこになるのはこちらの方だというギリギリの作戦だ。
 ブルドーガがひときわ大きく跳躍し、足を踏み鳴らす。地響きと共に崩れた天井がバラバラと降ってきた。ユールは頭を庇って何とかやり過ごす。動けない女性のことが気がかりだが、無事を祈るほか無い。
 猛獣との果てしない追いかけっこに、ユールの息が上がってきた。ブルドーガの方も焦らされて苛立っているのか、突進の勢いが増してきている。そろそろケリをつけないと、ユールも女性もただではすまないだろう。
 ユールは奥の壁の傍で、瓦礫に足を取られた振りをしてうずくまった。チャンスとばかりに突進してきたブルドーガをギリギリまで引きつけ、脇へ飛びのいた。
 ブルドーガが壁に激突した衝撃で近くの柱や天井が崩れ、瓦礫の雨となって次々に降り注ぐ。猛獣の咆哮が響き渡った。
 もうもうと巻き上がった土埃で何も見えない。ユールはブルドーガが突っ込んでいった一角から目を離さず、視界が晴れるのを待った。
 ほどなくして視界が晴れ、様子がよく見えるようになった。瓦礫の山が完全に猛獣の姿を覆い隠していた。石の隙間からちょろりと覗いた尻尾は力なく垂れ下がったままだ。
 しん、と辺りは静まり返っている。どうやらブルドーガを撃退することに成功したようだ。ユールはほっと一息をついた。そして、大事なことを思い出す。
「ちょ、あの、無事ですか女性の方!」
 広間中央の瓦礫の山には誰もいない。さあっと血の気が引いた。そこへ、
「あなた見かけによらず強いのねー!」
 ユールの肩をバンバン叩いたり揺すったりしているのは、瓦礫の下敷きになっていた女性だった。彼女から力いっぱい感謝されて、ユールはフラフラになってしまった。
 ブルドーガが現れる前と比べて、女性はすっかり元気になっている。戦いのどさくさで足が抜けた彼女は、物陰に隠れて難を逃れたようだった。
「さあ、いつまでもこんなとこにいて、また魔物に襲われてもつまらないから、外に出ましょ」
 ユールと女性は連れ立って遺跡の中を歩いた。遅ればせながらの自己紹介で、この女性はやはりセントシュタインのルイーダであることが判明した。
 危険な遺跡に入り込みながらほぼ無傷で数日を過ごし、暴れ回る猛獣をよそにちゃっかり自らの安全を確保しているというこの女性に、ユールはただならぬものを感じた。
「やっぱりボストロール並みにお強かったりするんですかね…」
「ん?ボストロール?」
「い、いえ。独り言です」
 むしろ失言だった、とまでは言わず、ユールはルイーダにわざわざ遺跡を通った理由を尋ねた。
 彼女は、ある人物に会うためにウォルロ村を目指したということだった。
「宿屋をやってるリベルトさん。もう何年も会ってないんだけど」
「リベルト…。もしかして娘さんが1人いらっしゃる方でしょうか?」
「そうそうその人!お元気にしてらっしゃるかしら」
 ユールはウォルロ村の守護天使である。ウォルロで暮らした人間の名は、全て彼女の頭に入っている。ユールの表情が曇った。
「ルイーダさん。リベルトさんですが、2年前に流行り病で亡くなられています」
「ええっ!?リベルトさんはもういないの!?亡くなったって…!」
 にわかには信じがたい事実だったのだろう。愕然としたルイーダがユールの腕を掴む
「何てこと…。じゃあ、彼が亡くなったってことは、ウォルロ村の宿屋は今どうなっているの?」
「娘のリッカさんが1人で切り盛りしています。ウォルロは辺鄙な村ですが、意外にも繁盛しているんですよ」
 ユールの話を聞いたルイーダは、「そうなの…」と一言呟いたきり、何も言わなかった。何やら物思いにふけっている彼女に配慮して、ユールも無言で出口を目指した。
 壁画の仕掛けが開いたままになっていたので念入りに閉じておき、2人はとうとう遺跡の出口へ到着した。
 木漏れ日が優しく降り注ぐ中、ようやく人心地ついた所で、
「それじゃ、お先に失礼するわね!お礼は改めて。アデュー!」
 唖然とするユールに向かって、ルイーダは片手を挙げて眉の辺りで指を2本揃えるという奇妙なしぐさをし、森の中へと駆け出していった。
「え…と、一緒に村まで行けばいいのに…」
 ルイーダにつられて片手を挙げ、しぐさに答えてしまったユールだったが、彼女の方もそろそろ出発しなければウィックとの約束に間に合わなくなる。
(とりあえず、ルイーダさんがお元気そうで何より…なのかな?)
 ユールは、とぼとぼと帰路についた。

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