2010年7月14日水曜日

実りの時

 星のオーラが3つ集まったし、そろそろ世界樹に捧げに行こうかなぁ、などと考えながらユールが振り返ると、目の前にイザヤールが立っていた。
 最初、師によく似た村人かと思って、まじまじと見入ってしまった。しかし、翼や剃髪などどこを取っても特徴的な彼のそっくりさんが人間界にいるとも考えにくい。
「し、師匠…?あの、えっと…お久しぶり…です?」
 突然の登場に驚き、弟子の語尾が半端に上がってしまっても、イザヤールは特に何も言わなかった。
 聞かなかったことにするらしい。挨拶は全ての基本だと、修行時代に厳しく躾けられたことをユールは思い出した。
「ユールよ。しっかり役目に励んでいるようだな。随分と驚いているようだが、私がこの村に来るのは、もういらぬお世話かな?」
 聞き覚えのある声だ。他人の空似ではなく、ばっちり本人だ。
 いらぬ世話などととんでもない。予想より早かった再会についついはしゃいでしまう。
「またお会いできて嬉しいです!お話したいこともたくさんありますし。あ、師匠、地上でのお仕事は如何ですか?」
 イザヤールはこのウォルロ村がある大陸の上半分を回ってきた所なのだそうだ。天使界へ戻るかと聞かれ、手の中の星のオーラを見つめつつ、ユールは「はい」と答えた。
「そうか。気をつけて帰るのだぞ。私はしばらく下界に留まるとしよう。…んっ!?」
 師の視線を追って、弟子も夜空を見上げた。星々の海を一直線に横切っていく光の帯…馬車の荷台に屋根を付け、それを数台繋げたような形をしており、先頭の煙突からポーッという音と共に星屑を吹き出していた。
「あれは…流れ星?」
「いいや、天使たちが神の国に帰る際に乗ると言われている、天の箱舟だ」
 ユールはこれまで夜空を駆け巡る箱舟の伝承を耳にしたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。
「そういえば、昨夜もああして飛んでいましたよ」
「私とてそう何度も見ているわけではないが、箱舟が慌しく飛び回るなどこれまで無かったことだ。何事かあったのだろうか…」
「師匠。先日天使界に帰参した際に、いよいよ女神の果実の実りが近いという話を聞きました。もしかしたら」
 ふむ、と顎に手をやり、しばらく考え込んでいたイザヤールだったが、
「…気が変わった!ユールよ、私も天使界へ戻ることにする」
 言い終えるやいなや飛び立つ師に置いていかれぬよう、ユールも慌てて翼を広げた。
 師弟揃って天使界に戻るのは久しぶりだ。ゲートの前で長老に話があると言う師と別れ、ユールは世界樹へと向かった。
 天使たちの様子がいつもと違って見える。ざわついているというか、何となく落ち着かない空気に包まれている。
 こんな時でも冷静に日々の記録を続けているラフェットも、同じことを感じているようだ。
「間もなく神の国からお迎えが来る…昨日、オムイ様からお言葉があったのよ。あなたの持っているその3つが、最後に捧げられるオーラとなるかも知れないわね」
 天使界の歴史に残る偉業だ。もしそうなったら大々的に記録に残してもらえるのだろうか、とユールはちょっと考えた。
「たおやかで美しく、才能に溢れた若き守護天使が最後のオーラを捧げると…みたいな感じですかね?」
「ユール、かっこいー」
 師の傍らで本を片付けていたアケトが、律儀に合いの手を入れてくれた。だが、
「人間は時に歴史を書き換えるけれど、天使たる私が記録するのは事実のみ。良くも悪くも、ありのままの姿しか残せないわ」
 「可愛い天使」くらいなら書いてあげられるかも? 司書長に思いっきり笑われてしまった。
 オムイは世界樹へ向かったということで不在だったが、長老の間の近くでは、コルズラスとラエルの師弟がこれまたいつも通りに修行に励んでいた。
 師弟並んで瞑想しているのだが、弟子の方は気もそぞろで、もじもじそわそわと全く集中できていなかった。
 前回のように邪魔になっては申し訳ない、とそのまま気付かぬフリで通り抜けようとしたが、ラエルに小声で呼び止められてしまった。
「なあユール。オレにも世界樹が見られるよう、こっそり手引きしてくれないか?」
 師と共に瞑想中だというのに堂々と私語、しかも内容が物騒だ。ユールは無言でラエルの頭をひっぱたいた。
「あのな、オレの案としちゃ、まずユールが見張りのおっさんの気を逸らせて」
「いやそれ無理だから。諦めて瞑想してなさいっ」
「で、その間にオレがこっそり…」
「こらこら!そういう話を師匠である私の目の前でするんじゃない!」
 コルズラスが弟子の頭にゲンコツを食らわせた。ぐりぐりと拳を押しつけている。
「ちぇっ!ユールが話に乗ってくるから、また師匠に怒られちまったよ…」
(乗ってないし!通りかかっただけだし!)
 その思いを視線に込めてギッとラエルを睨みつけるが、痛い痛いと騒ぐ彼はてんで気付かない。
 罰としてラエルに腕立て100回を言い渡した後、コルズラスが渋い顔をしながらユールに向き直った。
 対するユールは、生真面目さでもとっつきにくさでもイザヤールに比肩する彼の、眉間にくっきり刻まれた皺が怖いような、申し訳ないような、微妙な気分に陥っていた。
「うちの弟子は言うこと成すこととにかく軽率でいかん。そなたもあまりこやつの言い出すことを真に受けないでもらいたいな」
 毎度お騒がせしてすみませんと彼女は黙って頭を下げた。彼の表情からも声音からも、弟子の教育の苦労が偲ばれた。
 そのうちコルズラスからイザヤールへ苦情が行くかもしれない。独り立ちしても師に迷惑をかける弟子、というのはかなり恥ずかしいので、苦情はちょっと勘弁してほしいところだ。
 世界樹へ至る外周通路は、いつになく天使たちでごった返していた。上級天使のほとんどが弟子を伴って外へ出てきているようだ。
 今夜は雲が多いせいか余計に夜の闇が深く感じられる。半ばを過ぎた辺り、階段の縁にトルクアムの姿を見かけたユールが挨拶しに行くと、彼はお疲れ、と片手を上げて答えてくれた。
「すごい騒ぎですね、マスター」
「ああ、ちょっと前から変わった流れ星が出てるなーと思ったら、例の長老のお言葉だ。何かが起きるって嫌でも気付くさ」
「そうですね…とても大きな、何かが起きようとしています。天使界の歴史に残るような」
「歴史か。そういえば天使界は今、何もない荒野の上を漂っているそうだ。確か大昔に大きな国が栄えていた場所だったな…。栄枯盛衰、人間の歴史など虚しいものだ」
 縁起が悪いと取ればいいのか、これからが天使界の絶頂期だと考えればいいのか。迷ったユールは黙って話の続きを待った。
「…彼はついに帰らなかったか」
「彼?」
 夜空の星を見つめたまま、トルクアムが言った。まるで星々の一つ一つに答えを求めるかのように。
「大昔にエルギオスという偉大な天使がいてな。彼は地上に降りたきり戻らなかったんだ」
「その方は、星になってしまったのでは?」
「いいや。それはない」
 天使が「死ぬ」と、夜空の星となって永遠に輝き続ける。今なお務めを果たし続ける同胞と人間たちを見守るためだと言われていた。
 残念ながら、と語尾に付きそうな彼の声音に、ますますユールは混乱した。
「まあ、お前もいずれ知ることになる話だ。頭の片隅にでも入れておけ」
 すっかり眉根が寄ってしまっているユールの額をぴしゃりと叩き、トルクアムが笑う。
「ほら、星のオーラを捧げに行くんだろう?時期が時期だから観客が多そうだ。ドジって格好悪いとこ見せるなよ」
「えっ、イヤなこと言わないでくださいよ!」
 おたおたと腰を浮かすユールの手を引いてやりながら、トルクアムが立ち上がった。
「お前の師匠イザヤールも、そのまた師匠も、天使界に名を残す偉大な守護天使だった。師匠たちの名に恥じぬよう、お前も頑張るんだぞ!」
 ばちんと音がしそうな小粋なウインクつき。ユールは不覚にもちょっとぐっときてしまった。
 長老とイザヤールは上にいる、とついでに教えてもらい、急いで階段を駆け上がる。年長者を待たせるわけにはいかない。
 道々すれ違う天使たちから掛けられる期待の声とは裏腹に、彼女は何とも言いがたい胸騒ぎと戦っていた。
 ユールは最後の階段の途中で振り返り、下の様子をうかがってみた。心なしか、天使界の下部を漂う雲が黒く厚くなってきている気がする。
 確実に何かが起きようとしている。しかし拭い去れぬ不安もまた、同じくらい強く感じるのだ。
 胸騒ぎの正体をつかめぬまま、彼女は世界樹の根元へと到着した。
 長老オムイとイザヤールが並んで樹を見上げている。他に見物の天使は見当たらない。
 彼女の気配を察したのか、イザヤールがゆっくりと振り向いた。いつも通りの冷静なその顔に、ユールは少しだけほっとした。
「来たか、ウォルロ村の守護天使ユールよ」
「お待たせしてすみませんでした」
 よいよい構わぬ、とオムイはユールの到着を飛び上がらんばかりに喜んでいる。実際に長老の足は地面からちょっとだけ浮き上がっていた。
「ふぉっふぉっふぉ。あと少しで世界樹が実を結ぶはずじゃ。女神の果実が実る時、神の国への道は開かれ、我ら天使は永遠の救いを得る…」
「そして、その道を開き我らを誘うは、天の箱舟。さあ、ユールよ。星のオーラを捧げるのだ。オムイ様と私の予測が正しければ、いよいよ世界樹が実を結ぶだろう」 
 初めての時と同じように師に促され、ユールは世界樹の根元に立った。
 自分のこの手が、女神の果実を実らせる。誇らしい気持ちと先程から影を落とす不安とで、ユールは複雑な気持ちだった。
 彼女が手にしたオーラを求めるように、樹の幹がざわめいているのが感じられる。いずれにせよ、ここで止めるわけにはいかなかった。
 世界樹に星のオーラを捧げるべく、ウォルロ村の守護天使は迷う心を振り切り、両手を高々と差し上げた。

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