2012年2月20日月曜日

進むべき道


 ダーマの塔の奥に広がる異空間で、ユールたちは魔神と化したダーマ大神官と対峙していた。
「あのおっさん、力を求めすぎてヤバいものを呼び込んじまったみたいだな」
「魔神ジャダーマを外へ出すわけにはいきません。人々の行く末を誰よりも案じていらした大神官様のためにも…ここで止めてみせます!」
 ユールとアスラムが、先陣を切って魔神に攻撃を仕掛けた。
 爬虫類を思わせる長い尾を五月蝿そうに振りながら剣と拳の一撃をいなし、ジャダーマが両手を広げて雷撃を放ってきた。
 接近していた2人はあえなく吹っ飛ばされたが、セラパレスのホイミで体勢を立て直し、再び立ち向かっていく。
 雷撃のお返しにメルフィナがヒャダルコの氷塊をぶつけ、仲間たちにスカラをかけ終えたセラパレスも攻勢に加わった。
「愚かな人間どもよ。我が力の偉大さを思い知れ!」
 ジャダーマの両手が複雑な印を組むやいなや、中空にいくつも発生した竜巻がユールたちを取り囲み、強かに打ち据えた。 
「くそっ…本気出してきたな。堕ちても大神官ってわけか」
「この空間は魔力で溢れているから、ただでさえ魔法が暴走しやすいのよ」
 魔神の哄笑が響き渡る。ユールは不意に体の力が抜けるのを感じた。ジャダーマのマホトラで魔力を吸い取られたようだ。
「結構持っていかれ…って、うわっ!」
 また暴走竜巻に巻き込まれたユールは、魔法陣の端まで跳ね飛ばされてしまった。
 アスラムの蹴りが決まり、魔神の左腕がぶらりと垂れ下がった。しかし、
「おい、何だか急に堅くなったぞこいつ!」
 チャンスと見て更に拳を叩き込もうとしたアスラムの攻撃が、魔神のスカラによって阻まれてしまう。
 メルフィナのルカニが効いたが、すぐさまスカラで下げた防御力を上げられてしまう。
「焼け石に水かしら…ね」
 淡く笑みさえ浮かべながら、メルフィナが杖をジャダーマに向ける。
「この場の魔力を…利用させてもらいましょう」
 彼女の放つヒャダルコが暴走し、魔神を一瞬で氷柱に変えた。爆ぜた氷が全身に突き刺さり、たまらず魔神が膝をついた。
「私が応援に回りますから、アスラムさん、頼みます!」
 セラパレスの手当てで回復したユールが応援を繰り出す。
「これで目を覚ませ!」
 テンションの乗った渾身の右ストレートがジャダーマの顔面に決まった。魔法陣の中央に大の字に倒れるも、なお立ち上がろうともがいている。
 油断無く武器を構えた4人が取り囲む中、突如ジャダーマが胸を掻き毟り、苦しみ始めた。体から黒い波動が勢いよく吹き出している。
「ぐっ…オオオオオ!我の力が…力が消えてゆく…!」
 波動の放出が収まると、人間の姿に戻った大神官がぐったりと倒れていた。その隣には、黄金に光る丸いもの…女神の果実が転がっていた。
「女神の果実じゃん!おっさんに食べられちゃったんじゃなかったの?」
 サンディが嬉しそうに女神の果実を抱きかかえ、ユールは大神官の傍に駆け寄った。
「大神官様!」
 セラパレスの回復呪文を受け、ゆっくりと彼が目を開けた。魔神化が解けて間もないせいか、記憶に少々混乱が見られた。
「大神官様。光る果実を食べた影響で、神殿からダーマの塔にいらしたのですよ。覚えてらっしゃいますか?」
「果実…ああ、それを口にしたのは覚えておる。だが…それから、それから何が…。自分が自分でなくなっていく恐怖だけは、はっきりと覚えておる…」
「もう終わったことです。ご安心下さい」
 ユールが彼のか細い手を握り励ますと、ふらふら彷徨っていた視線がようやく定まった。
「そなたらは…皆よく見ると傷を負っておるではないか。一体わしはここで何を…」
 本当のことを告げたものかどうかユールが迷っていると、セラパレスが彼女の肩に手を置き、言った。
「ユール。ひとまず大神官様を神殿にお連れしよう。ルーラで飛んでもらえるか?」
「そうですね…。」
 サンディから女神の果実を受け取って袋に入れた後、ユールがルーラを唱えた。
 こうして一行はダーマ神殿に戻ってきた。…神殿の階段の下に。
「神殿全体を守護する魔力の影響で、キメラの翼で飛んできても階段の下に出るようになっている。まあ修行の一環ということじゃな」
 と、まだ朦朧としている大神官がブツブツ説明していたが、こんな時くらいはとユールたちは恨めしい思いに駆られた。
 高齢の大神官を交代で支えながら、ユールたちは階段を登った。
 沈み行く夕陽が、湖を、森を、空を茜色に染め上げてゆく。
「本当にこの島は夕陽が綺麗ですねえ」
「それにしても、人間が果実を食べるとロクなことにならないんですケド。あーやだやだ」
 景色をのんびり眺めるユールに、サンディがうんざりしたように呟いた。
「そうですね。聖なる世界樹に実ったものが、あんなむごい変化を齎すとは…いや、強すぎる力が人間のあるべき範疇を越え、その姿を歪めたという方が正しいでしょうか」
 サンディの言う通り、人間にとっては危険極まりない代物であることは間違いない。
 そんなものがゴロゴロ地上に落ちているなんて、とユールは焦りを覚えた。
「お?あれってもしかして…もしかして!?」
 階段ですれ違う転職希望者たちが大神官を連れた一行に気付き、手を貸そうと申し出てくれた。
「おお、皆すまぬな…」
 神官や警備兵たちも上から出迎えに降りてきた。大神官の無事を喜び、涙ぐんでいる者までいる。
(ここに集った人々にとって、大神官様が進むべき方向を照らしてくれる光なのですね)
 天使でありながら人間界で彷徨い、本来守護すべき人々に多くを教えられながらここにいる。そんな私の光はどこにあるのだろう。
 翌朝早く、ユールは一人で大神官に会いに言った。
 ダーマ神殿の儀式の間は建物の中で最も高い場所にあり、柱に囲まれたバルコニーの向こうには抜けるような青空が広がっている。
 天窓から燦々と降り注ぐ陽光が、祭壇に据えられた有翼の女神像と、その前に立つ大神官を神々しく照らしていた。
 己が魔神となり、危うく世界を滅ぼしかけたという事実を冷静に受け止めた大神官は、改めて彼女に礼を言った。
「わしは人々を良き方向へと導く力を求め、これまで修行に励んできた。あの果実はわしの望んだ力を与えてくれたかも知れないが、わしはその力に溺れてしまった。その結果…。そなたと仲間たちには感謝のしようもない。せめて我が転職の力を旅に役立てて欲しい。わしはダーマ大神官。転職によって人々をより良き道へと導くことこそ、わしの役目なのだ」
 右手に携えた書物に目を落とし、ゆっくりと、だが力強さを秘めた声で大神官は語った。
そんな彼にぐるぐる煮えきらぬ悩みを相談してよいものか。しばし逡巡した後、ユールは思い切って問いかけてみた。
「大神官様。ダーマの塔へ行ってからずっと考えていることがあるのです。私には果たすべき役目があります。ですが、それを果たそうとすればするほど正解から遠ざかっていくように思うのです」
「ふむ、今までのやり方でよいのか迷いが生まれた、と?」
「今まで迷うということすら知らなかったのです。私には間違いが許されないのです」
 天使として人間を守護することに加えて、彼女は果実の収集という天使界始まって以来の大任もこなさねばならない。
ただ単に怖気づいているだけなのか。昨夜一晩じっくり一人で考えてみたが、答えは出なかったのである。
 話を聞き終えた大神官は膝をつき、小柄なユールに目線を合わせ、言った。
「ひとたび道を選んだからといって、それで全てが丸く収まるわけではない。我らは生を受けると同時に問いを与えられ、終わりの無い答えの中を生かされておるのだ」
「…ひどく、不安です。大神官様」
「わしも不安になり、迷いもする。神ならぬ身ゆえな。わしが持つこの力は答えに近付く幾本かの道を指し示すのみ。道を歩むのはそなたら一人一人なのじゃ」
 昨日とは逆に、大神官がユールの小さな手を握り、励ますように力を込めた。 
「ユールよ。魔神となったあの時、わしは世界の人々の心に不安が満ちているのを感じた。この世界に何が起こっているのか、正確には分からぬが…このダーマ神殿にて新たな道を選びし者たちがいれば、案ずることはないと、わしは信じる。選び、試し、迷う中で彼らは更に強くなるのだから。…さあ、そなたも決めるが良い。己の進むべき道を。己の意思で」
 私の道。女神の定めた道を外れた、この私が歩むのは。
(…どうせ前例なしの規格外な天使なんですから、己の気の向くままにガンガンいっちゃいましょうか?)
 私が私の前例になる。少女の瞳にまっすぐな光が戻ったのを見て、大神官が微笑んだ。
「では、おつとめに参ろうか」

2012年2月13日月曜日

ダーマの塔


 翌朝早く、思わぬ寄り道で島の南端まで来てしまったユールたちは、改めてダーマの塔を目指して出発した。
 昨日と打って変わって天候は快晴。地図を持ったアスラムが最短距離を選んだためか、昼過ぎには塔の入口に着いてしまった。
「でっ…かい塔ですねー」
「神殿の階段といいココといい、足腰の鍛錬が何気に重要なんじゃね?ダーマの大神官やるには」
 王城を思わせる荘厳さで聳えるダーマの塔は、外壁の白大理石が木々の緑と空の青によく映える。塔の正面には華麗な意匠の大窓が切られており、その窓の数から見るに塔は6階建てのようだった。
 入口の扉も細かな装飾が施された立派なものだったが、取っ手も鍵穴も全く無かった。
「扉じゃなくて壁のようだが」
「塔に入るには作法に従うべし…。神官長さまがおっしゃっていたわね」
「あ、お辞儀!皆さん、一応本番前に復習しておきましょうか」
「えー、アタシもやんの、ソレ?」
 ダーマの塔に入るためには、きちんとしたお辞儀を見せなくてはならない。神官長直々の指導で練習した成果を見せる時が来たようだ。
 何度か動きを確認した後、サンディを含めた5人は扉の前で横一列に並び、扉をきっと見据え、45度の角度で腰を折った。
 すると、扉が中心から2つに割れ、静かに内側へ向けて開いた。
塔の中に入るとほぼ真四角の空間が広がっており、四方に切られた窓から入る光で十分に明るかった。構造自体は単純で階段を上へと登って行けばよいらしい。
 各階の壁や階段の裏側には、儀式に使う道具類などを納めた箱や壷が並んでいた。魔法の聖水など、ユールたちは使えそうなものをこっそり頂きながら進んでいたのだが、
「これ、きっと人食い箱だぜ。長く放置されてる物置とかが一番怪しいんだ」
 箱を開けようとする度、アスラムが不吉なことを言ってユールを脅す。人食い箱は不用意に開けると死の呪いを放ってくることもある凶悪な魔物で、用心するに越したことはないのだが、
「うっ…でもこの箱すごく気になるから、開けます!えいっ!」
「何だ、小さなメダルか。運が良かったな」
 脅しに屈することなく、ユールは目に付く宝箱を開けまくったが、とうとう最後まで人食い箱を引き当てることは無かった。
「やはり天使だから強運の持ち主なのかな?」
 セラパレスが感心したように言った。横でアスラムが何故か悔しがっている。
「でも、さっきからマージマタンゴのドルマが私に命中しまくりですけどね…いたた…」
「ははは、手当てしておこうか」
 この塔に生息する紫色のキノコは闇魔法の使い手であり、集団でドルマを大合唱されると結構怖いものがある。他にも、ドラキーマに眠らされたり、一つ目ピエロにイオをぶつけられたり、この塔は呪文が得意な魔物が多く集まっているようである。
「でも、セラパレスさんは何故か魔物たちに大注目されてるじゃないですか。さっき出た腐った死体の団体さんだって、全員あなたに見惚れて固まってましたし」
 おかげでほとんど無傷で死体の群れを退けることができたのだ。
 天使であるユールにはイマイチ基準が分からないが、おしゃれ度の高い装いをしている冒険者だと、魔物が見惚れて攻撃してこないことがあるようである。
 単純に高価な装備を身につければ良いということではなく、その人の身の丈に合った装いがばっちりキマることで魅力が倍増するらしい(サンディ談)。
「最近妙にモテモテだからな、店長は」
 アスラムがニヤニヤすると、セラパレスの眉根が盛大に寄った。
「浜で鎧を変えたせいかな。これのどこが魔物の好みに適うのかさっぱり分からないが」
 いや甲羅だろう、甲羅でしょ。ユールたちはセラパレスに聞こえないよう囁き合った。
 昨日立ち寄ったツォの浜の商店が、「お祈り」のおかげで生活が潤ったとかで店じまいセールを行っていた。そこで、ユールたちはいろいろと武具を買い込んだのだった。
 セラパレスが買ったのは、鉄の防具に亀の甲羅という実用一辺倒な組み合わせ。装備品はおしゃれか否かで選ぶアスラム曰く「人として勇気がありすぎる」チョイスだそうである。
 正面からはともかく、背中から見た時の脱力感はなかなかのものがある、と人間の服にあまり興味が無いユールでも思ったものだ。
 一方、おしゃれ最優先のアスラムが選んだのは草色の布地も軽やかな身かわしの服。ベクセリアでもらった派手な服がギラギラしすぎていて、彼の美意識的に辛いのだそうである。
 女性陣は銀細工が美しい髪飾りを新調したくらいである。ユールは着たきり雀の天使装束だし、メルフィナはダーマ神殿で買った「やすらぎのローブと春風のスカートのピンクコーデ」(サンディ談)で事足りているのだ。
「女子を差し置いて甲羅が魔物の視線を独り占めとか、何か納得いかないんですケド!」
「そうは言っても、魔物の気持ちは分かりませんからねえ。こればかりは何とも…」
 サンディの考える「女子力アップ大作戦」を拝聴しながら、ユールたちは引き続き塔の中を歩き回った。
 ふと、途中の石碑に刻まれたとある文言が気になって、ユールは立ち止まった。
「職業とは知られざる可能性、それは全ての人間に与えられた人生の選択…。ここで言う職業というのは、日々の糧を得るための手段ではなく、もっと大きなものを指しているように思います」
「人間が果たす役目、と考えてもいいかも知れないわね。与えられている選択肢が多すぎるから、自分の答えを見つけるのに一生かかることも少なくないけれど」
「自分の持って生まれた能力にもよるからな。なりたいものになる、というのはそう簡単なことではないんだよ」
「では、ずっと迷子のまま一生を終える人間もいるのですか?それはとても不安なことではありませんか?」
 ユールの問いに、仲間たちは困ったように顔を見合わせる。
 アスラムが苦い笑みを浮かべつつ、言った。
「不安でも何でも、本人がどうにかするしかない。あんたの役目はコレって、どっかのお偉いさんに決められても、それはそれで窮屈だと思うがな」
(窮屈…。天使の果たす役目は人間の守護、ひいては星のオーラの回収だ。そう決められている。迷うほど可能性がある状態ってどういうものなんだろうか)
 考え考え進んでいく内に、ユールたちはついに塔の屋上へとやって来た。4つの尖塔に囲まれた中央には石碑が一つ。その先には光の階段が伸びており、白っぽい光に包まれた異空間へと繋がっていた。
 ここまでの道のりで大神官に関する手がかりは全く無かった。おそらく彼はこの異空間の中にいるのだろう。
 かつてこの塔で転職の儀式が行われていた頃の名残であろうか。屋上の石碑に刻まれた文言は転職を考える者に向けたもので、「己で考え、決断しなければならない」とあった。
(職業の選択に限らず、人間は迷い多きもの。しかし、迷うことを知らない天使が果たしてそんな人間たちを導けるのだろうか。そもそも本当に天使は迷いを知らぬ存在なのか?こうしたことを考えてこなかっただけではないのか?)
「ユール、何してる。行くぞ」
 石碑の前から動かない彼女に、アスラムが声をかけた。
「さっさと大神官を見つけて、連れ戻すぞ」
 今、優先すべきことは何か。ユールははっと我に返った。
 ユールの頭の上に座っていたサンディが、不安そうにおずおずと言った。
「こん中、実は部外者禁止ってことはないよネ…?」
「それは大丈夫みたい。ただ、入ったら転職するまで出してもらえないかも?」
「げっ!あ、アタシ外で待ってよーかな…」  
「まあまあ冗談はそのくらいに。…では、行きましょうか」
 メルフィナがにっこり笑ってサンディを凍りつかせているのを窘めつつ、ユールは異空間へと一歩足を踏み出した。
 淡い光に包まれた広大なドーム。床一面に広がる黄金の魔法陣。
 その中心に、紫と白の長衣を纏った人物が立ち、両手を高々と差し上げ祈りを捧げていた。
 我に力を。ダーマの大神官として、人々を導く力を我に与えたまえ。一心不乱に祈る白髪の老人は、行方不明のダーマ大神官その人だった。
「とりあえずは元気そうだな。ただちょっと尋常じゃない雰囲気だが…女神の果実を食った影響かね?」
「大神官様!一緒に神殿へ帰りましょう!」
 ユールの呼びかけも、大神官には届いていないようだ。なおも力を乞い、祈りを続けている。
 なすすべも無く見守っていると、魔法陣から黒い波動が吹き上がり、大神官をあっという間に包み込んでしまった。
「大神官様…!」
 波動が巻き起こす突風で、ユールたちはその場に立っているのがやっとである。
「おお、力が…力が満ちてゆく…」
 ユールがどうにかこうにか視線を正面に向けると、黒い幕の隙間から大神官の顔が見えた。
「な、何事じゃ。身体が…。この身体は何じゃ。黒い力が溢れて…。違う…わしはこんな力を求めていたのではない!」
 喜悦の表情から一転、驚愕と恐れが入り混じる。突如、波動が勢いを増し、巨大な黒い球体となって彼の姿を完全に覆い隠してしまった。
(私の天使の力でも払えない…この波動は何だ!?)
 しんと静まり返ったドームの中央に黒い球体が浮かんでいる。その上部が割れ、中から禍々しい角と尾を持つ異形の生き物が現れた。
「…そうか。この力で人間どもを支配すれば良いということか。我はこれより魔神ジャダーマと名乗り、人間どもを絶対の恐怖で支配すると、ここに誓おう!」
 くつくつと笑うそれは、手の甲から長く伸びた爪をすり合わせながら言った。

2012年2月6日月曜日

迷子


 食事を終え、ユールたちは神殿の奥へと向かった。儀式の間へ続く回廊には警備兵がいて、それ以上先へ進めないようになっている。
 彼らは「大神官が行方不明で転職が出来ない」と、詰め掛ける転職志願者たちに機械的に繰り返し口上を述べている。
 事情を聞きにやってくる者と、諦めて帰ろうとする者で回廊は食堂以上に混雑していた。
「だから、何度も言うようだが、今は転職は…」
「すみません。行方不明の大神官様のことで、新たに分かったことがあるんです!」
 転職志願者と同じく追っ払われそうになって、ユールたちは何度も警備兵に食い下がった。
 よくよく事情を聞いて仰天した警備兵の取り次ぎにより、ダーマの神官長が話を聞いてくれることになった。
 神官たちの控えの間で、神官長とユールたちは向かい合っていた。
 太鼓腹と立派な口ひげで堂々とした体躯の神官長だが、眉毛はハの字に垂れており、心労で憔悴しきった様子だった。
「何ですと?大神官様が出ていったのは、光る果実を食べたせいなのですか?」
「はい。その果実はとても強い力を持っていて、おそらく大神官様はそれを制御できずに…」
 ユールから事情を聞き、むむっと眉間に皺を寄せ、神官長は黙り込んでしまった。
「そうか、ダーマの塔か!」
「え?」
 彼の言うダーマの塔とは、かつて転職の儀式が行われていたと言われる場所で、今は魔物の巣になっているらしい。
「そんな危険な所へ大神官様がお一人で向かわれるなど考えもしませんでしたが…。果実によって異常なほどの力を得たのであれば、塔の中であってもご無事でいらっしゃるかもしれません!」
「別な意味でご無事じゃないかもしれませんが…」
 果実の力が人間にどのような影響を及ぼすか、天使であるユールにも見当がつかない。
「ダーマの塔というのは、このアユルダーマ島の中にあるのでしょう?誰かがもう既に探しに行っているのでは?」
 メルフィナの問いに、神官長が首を振って答えた。
「この神殿に集いし者たちは、それぞれ道を究めた猛者ばかり。彼らはこの2週間、島内をくまなく捜索しているのですが、塔の出入りだけはこれまで許可してこなかったのです。我々では塔に潜む魔物には太刀打ちできませんし、何よりあの塔は神聖な儀式の場…。しかし、そのようなことを言っている場合ではないようですな。皆の力を借りて、一気にあの塔を…」
「神官長様。これだけ騒ぎになっている時に大勢で動けば、更に収集がつかなくなってしまいます。どうか私たちにダーマの塔を調査する許可をお与え下さい!」
「既に2週間が経過しています。これ以上時をかければ、大神官様の安否にも関わりますよ」
「俺たち、凶暴な魔物なら慣れてるしな」
「ダーマに来たばかりの私たちなら、他の猛者の皆さんの注意を引くことなく行動できるわね」
 ユールの申し出を、口々に仲間たちが後押しする。神官長は彼らを見つめ、しばしの逡巡の後に重々しく口を開いた。
「そちらの小さいお嬢さんに全てをお任せするのはいささか不安ですが…。分かりました。あなたがたに掛けてみるとしましょう!」
「このように体は小さいですが、私も歴戦の猛者の一人です。必ずや大神官様を無事に神殿へお連れいたします!」
 小さいと言われて意地になったユールが自信満々に言い切ったのを見て、サンディがぼやいた。
「歴戦の猛者はちょーっと言い過ぎじゃね?」
「あら、黒騎士に妖女に病魔。それなりに優秀な戦歴だと思うけれど?」
「…言われてみればそうかも」
 もうじき日没なので出立は明日ということになり、ユールたちは神官たちの居住区へ招かれ、そこで一夜を過ごしたのだった。
 しかし、翌朝の天気は冒険日和とはいかなかった。
 アユルダーマ島は天候の移り変わりが激しい土地である。
 夜明け前にしとしと雨が降り始めたかと思えば、あっという間に暴風雨。長く続く嵐ではないとは言え、ダーマの塔まで行かねばならない身には辛い。
 この天気の中を進むのか、と、今日一日を考えてユールは暗澹たる気持ちになった。
 雨音で起きてきた仲間たちも一様に暗い顔だ。
「ひどい雨だけど、それほど寒くないからまだマシね」
「歩いている内に止んでくれることを祈るしかないな」
 天候の回復を待っている余裕はない。神殿の警備兵の雨用外套を借りた一行は、再びあの長い階段を降りていった。
 目深に被ったフードで足元しか見えない状態なので、うっかり転ばないよう、おっかなびっくり。
「うう、吹きっ晒しの風がキツイですね。雨が痛いです」
「飛ばされて滝に落ちるなよー。回収が面倒だからな」
 階段を降りたユールたちは、草原に拓かれた街道を頼りに進んだ。雨に煙る視界の端でスライムたちがご機嫌に跳ね回っている。時折3匹組み合わさってスライムタワーと化し、こちらに体当たりしてくるのが厄介だ。
「雨と一緒にスライムまで降ってきたわね…」
「メル、呪文でぶっ飛ばせ!」
 4人が赤青緑とカラフルなスライムにまみれていると、今度はスライムナイトが横から参戦してきた。
「くそっ、新手か!」
 セラパレスが槍でスライムナイトと打ち合うのに、メルフィナが魔法で加勢する。
 濡れて張り付くフードが鬱陶しく、ユールはたまらず素顔を晒した。冷たいだの濡れるだのと、フードに隠れていたサンディが文句を言ったが、無視することにする。
 ユールが足元のスライムを蹴散らし、一息ついた所で突風が吹きつけてきた。その突風には青い腕が生えており、彼女の顔面を強かに打ち据える。
「いっ…!」
「大丈夫か」
 セラパレスがかまいたちの腕を槍で斬り飛ばし、叩かれてクラクラしているユールにホイミをかけた。
「全く、次から次へと面倒だな」
「魔物は雨とか気にしないから羨ましいですね」
 最後に残っていた魔物をメルフィナのイオが薙ぎ払い、ようやく辺りは静かになった。
「ユール。フード被らないと風邪引くよ~」
「いいですもう。ずぶ濡れですし」
「アタシも一緒にずぶ濡れなんですケド!ちゃんと被んなさいよね!」
 サンディの再度の文句を他所に、生温い雨に打たれながらユールは空を見上げた。雲が低く垂れ込め、山々の稜線もぼんやりしている。まだ塔らしきものは見えてこない。
 その後も魔物に邪魔されながら、一行は街道を歩き続けた。
 黙々と歩き続ける内に、ユールは雨によって周囲の緑がより濃く鮮やかに映るのを楽しむ余裕すら出てきた。神殿を出発した頃より雨の勢いも弱まっているようだ。
 昼食の休憩を兼ねて木陰に身を寄せた際、メルフィナがぽつりと言った。
「私たち、今どの辺りにいるのかしら」
 島の地図を全員で取り囲む。曇っていて太陽で方角が図れないため、周囲の地形で現在地を判断するしかない。
「えーと、街道の左側の森に入りましたから…この辺ですかね?」
 ユールは神殿の東に広がる森を指した。
「塔が見えないが、雲で隠れているのか?」
「雨がもうすぐ止みそうですから、そしたら見えてくるのでは」
 一行は森を出て再び歩き始めた。ほどなく雨は止んだが、塔はいつまでたっても見えてこない。
「おい、もっかい地図出せ、地図」
 アスラムにつつかれ、ユールは懐から地図を取り出した。
「俺たちが今いるのは…こっちじゃなくてここじゃないのか?」
 彼が神殿の東から南へと指を滑らせた。森に囲まれた湿地がある辺りである。
「え!?だって森があって高台があって、地図通りの地形ですよ?」
「ここは向かって左が高台で、向かって右が森になってるだろ。塔の周辺とは真逆だ。…お前またやったな」
「では、塔は…この高台の向こう側に…?」
「進んでも進んでも見えてこないわけだ」
 セラパレスが力なく笑った。
(光輪の力があれば天使界と常に交信できるから、現在地を間違えたりしないんですが…。空を飛んで上空から確認だってできますし)
 翼と光輪。失ったものは大きかったと、改めてユールは痛感させられた。がっくり肩を落とすユールの頭をポンポンとメルフィナが撫でた。
「ひどい雨で周りがよく見えなかったのだから、仕方ないわ」
「もうお前、地図没収な」
「はい、よろしくお願いします…」
 シュタイン湖に続いてここでも方向音痴を発揮したユールは、大人しくアスラムに地図を託した。
 来た道を戻ることも考えたが、せっかくここまで来たのだから、とユールたちは島の南端にあるツォの浜に行ってみることにした。
 ツォの浜について、ダーマの商人たちは口を揃えて「何もない田舎の漁村だよ」と言っていたが、海風に晒されボロボロになった入口の木戸と言い、陸にへばりつくように点在する小屋たちと言い、想像以上にうらびれた村だった。
 大き目の倉庫といった趣きの宿屋で部屋(というか寝床)を確保した後、ユールとサンディは浜の探検に出かけた。
 朝から降っていた雨が嘘のように晴れ上がり、空は赤く色づき始めている。しかし、
「何あの人だかり」
「お祭りでもあるんでしょうか」
 宿を出てすぐ、2人は奇妙な光景に出くわした。波打ち際に集まった人々が、皆そわそわしながら海の方向を見つめているのだ。
「すみません。これは一体何の集まりなのですか?」
「ああ、お祈りが始まるんだよ。大事なお祈りがね」
 豊漁の儀式かな、とユールが考えていると、人垣の中から少女が進み出た。ユールよりも小さなその子は、明るい色の髪をおさげに結い、洗いざらしの質素な服に身を包んでいる。
「オリガ!今日もたんまり頼むだぞー!」
 オリガと呼ばれた少女は海の中へ数歩進み、そのまま跪いた。小さな手がきゅっと胸の前で組み合わされる。
 ざざ…ん、ざざ…ん。波がくり返し打ち寄せる音に微かな地響きが混じる。それはだんだんと大きくなり、ユールが足に振動を感じるほどになった。
「なになに?ねえ、何なのよ?」
 サンディがユールの髪にしがみつく。砂浜が揺れているのに、人々は全く慌てる素振りが無い。
「来たぞ!ぬしさまだ!」
 オリガの目の前の海が小山のように盛り上がる。山が消えると同時に水と何か重たいものがユールたちにボタボタ降り注いだ。
「冷た…っ。もー、ほんっと最悪なんですケド!」
「空から魚が…!?」
 塩辛い水を浴びて立ち尽くすユールたちを他所に、濡れ鼠の人々は浜辺に散らばる魚を拾い集めていく。
 数が多いため、取り合いで喧嘩になったりはしないようだ。魚を手にした人々が口々にオリガに礼を言って手を合わせる。
「あの子は一体…?」
 海に佇んだまま大人たちを振り返った少女の表情は、夕陽の影になってしまってよく見えなかった。 

2012年1月30日月曜日

果実の行方


 「青い木」が生えているアユルダーマ島は、世界地図のほぼ中心に位置する大きめの島である。
 北に転職の奇跡を司るダーマ神殿を擁し、人里は南にある小さな漁村が一つのみ、という緑深き秘境。
 湖の中心に建つ神殿を包み込むようにして、台地が島の北側一帯に広がっている。
屏風のように広がる台地も、神殿が建つ小島も、天よりの恵みたる雨をその岩肌に宿し、大小さまざまな滝を成している。
豊かな水量を保って流れ落ちる瀑布は、さながら水の天幕のよう。その眺めはまさに雄大の一言に尽きる。
 さて、ダーマ神殿へ入るには、湖畔から小島の頂上までまっすぐに伸びた階段を登らなければならない。ほとんど海と変わらない標高の湖から、屏風のように周囲を囲む台地よりも高く。もはや軽く登山である。
 湖畔から一時間かけて、ユールたちは神殿の階段を登り切った。
「空と海の青と…木々の緑が…眩しいですねえ」
 それにいい風、と、眼前の景色に目を細めながら、ユールは言った。「山登り」で汗ばんだ体に、ひんやりした風が心地よい。
「はあ…。次は階段の上にルーラで降りてくれよ…。いちいち下から登ってくるのはゴメンだぜ…」
「滝にかかる虹を見ながら歩くなんて、素敵だと思うけど」
 メルフィナが言った。息を切らせた一同の中で、彼女はサンディと共にけろりとしている。
「聞きしに勝る壮麗さだな…。しかし、ダーマの大神官が行方不明になり、転職ができなくなっているというのは本当なんだろうか」
 階段の途中で休憩していた人々が異口同音に語った内容がこれである。神殿の入口でも、神官たちが同じ説明をひたすら繰り返していた。
 ダーマには世界中から求道者が集まってくる。彼らは大神官の秘術により隠れた才能を開花させ、遥かな高みへ至らんと切磋琢磨するのであった。
 その大神官が失踪してから2週間。遠くからはるばるやって来た転職志願者の中には怒り出す者も出始めているようだ。
「いくら何でも、人一人が何の痕跡もなく消えたりはしないでしょう。大神官の行方について、何か知っている方がきっといるはずです」
 ユールたちはまず手始めに神殿の宿坊へと向かった。人の集まる場所には情報も集まるだろうと踏んでのことだ。
 転職の再開を待つ人々で、神殿内はどこもごった返しており、それを当て込んだ商人たちがさまざまな店を出している。ここでメルフィナが淡いピンクのローブ(魔力の加護があるらしい)を、セラパレスが珍しい薬草類を購入していた。
「君の袋のおかげで、仕入れが捗るよ」
 セラパレスは薬草の束をにこにこしながら袋に入れている。
 ユールが天使界から持ち帰った白い袋。ごわごわしたクッションカバーといった、一見何の変哲もない袋だが、中に何をどれだけ入れても決して溢れることがない。
 これも、世界樹の声の主が旅の助けに、と授けてくれたものである。
 買い物ついでに聞きかじった商人たちの噂によれば、大神官は2週間前の昼食時からいなくなったらしい。
 驚くべきことに、ここでは大神官であっても転職志願者たちと同じ場所で食事を摂ることになっているようだ。
 当時、給仕を担当したメイドによれば、
「何か変わったこと…。あ、大神官様がデザートにって果物を持っていらしたんです。私が皮を剥いてお出ししました」
 果物。いきなり当たりを引いてしまったかもしれない。わくわくしながらユールは尋ねた。
「それ、どんな果物でしたか?」
「私も初めて見る種類だったから、名前までは分からないわ」
「その果物、何か光ったりしてませんでしたか!?」
 勢い込んで尋ねてみても、どうだったかなぁとメイドの反応は鈍い。
「大神官様は果物がお好きなので、よく珍しい果物が献上されてくるんです。その日、武闘家に転職した人にもらったって、おっしゃってました」
「その武闘家って奴はとっくにここを出て行ってるんだろうな」
「いえ、まだしばらくここにいると思いますよ。さっき酒場の方に歩いて行くのが見えましたし」
「マジで!」
 ユールたちは慌てて食堂に隣接する酒場へ走った。武闘家らしき人物を探すも、カウンター周りに人が多すぎてなかなか見つからない。
そもそも男か女かも分からないので、ユールはとりあえずバーテンに話を聞いてみることにした。
「はあ?果実?ワインならいろいろ揃えてあるが、果物そのものは扱ってないぜ!」
 周囲のざわめきでユールの声がかき消されるので、アスラムが代わりに質問した。
「大神官に果実を献上した武闘家?ああ、そりゃハンさんだな。おーい、ハンさーん!」
 バーテンに呼ばれて、人を掻き分けやって来たのは、上半身裸の大柄な男性だった。
 彼は神殿に来る途中、茂みの中に転がっていた果実を拾ったのだという。
「あの果実、あまりにも旨そうで思わずオレもかぶりつきそうになったぜ。一体あの果実は何なんだろう。…なあ、もしかして大神官がいなくなったのはオレのせいなのか?」
「うんまあ、多分、そうなるんだろうな」
 アスラムが思いっきり頷いたので、ハンは慌て出した。
「おいおい、献上した果実が逃げ出すほど不味かったとしてもオレのせいじゃないぜ!大神官が戻ってこないのは、きっと別の理由があるんだよ!」
「ええきっとそうです。女神の果実が逃げ出すほど不味かったなど有り得ませんから」
「そっちかよ!」
 ユールが力強くハンの言葉を支持した。果実の味はともかくとして、セラパレスも同意見のようだ。
「大神官が誰にも何も告げずに出かけてしまうような、神殿を長時間不在にしてしまうような不測の事態が起きた、ということだろうな」
「だよな?果実食っただけで大神官がどこかに行っちまうなんておかしいもんなあ。でも、あんたの言う通り、仕事放り出して出かける用事って何かあるかな?病気?身内の不幸?急に何もかも嫌になっちゃったとか?」
「曲がりなりにもダーマの大神官なんですから、家出はないと思いますよ」
 ユールたちと一緒になって大神官失踪の原因を考えてくれているハンの姿に、メルフィナとサンディがそれぞれ感想を漏らした。
「彼、良い人ね。まるで我が事のように考えてくれているわ」
「お人好しっつーか、ノリ良すぎだっつーの。全く…」
 ああでもないこうでもないと仮説を並べ立てる人間たちの横で、ユールはふと思いついたことを尋ねてみた。
「食堂で毎日ごはんを食べるなら、大神官様はここでお酒を飲んだりするんでしょうか」
するよ、とあっさりバーテンが答えたので、ユールはびっくりした。
「大神官がな…ここでときどき愚痴るんだよ。わしは多くの人々を転職させたが、それで本当に人々をより良い道へ導くことができたのだろうか?…ってね。さすがのオレもその時は何て言ったらいいか分からなかったさ」
「はー…。大神官も人間なんだなあ。オレ、神様みたいなもんだと思ってたよ」
 ハンがぽつりと言った言葉が、その場にいた全員の感想だった。
情報の整理がてら、ユールたちは食堂でどうにか空席を見つけ、遅めの昼食を摂った。
ここの食堂では、何種類かの料理がそれぞれ大皿に盛られて並んでおり、各自好きなだけ器に取るという珍しいやり方をしている。
「炒め物を全部ごはんに混ぜて食べるとおいしいですよ~」
 器の中身をぐにぐに混ぜながら、ユールは言った。
「とてもそうは見えないがな」
 彼女の器の惨状をちらっと見たアスラムは、げんなりしている。その横では、セラパレスが根菜と豆の煮物で混ぜごはんに挑戦していた。
「煮物の辛味が米で軽減されて食べやすい。意外といけるぞ」
「えっ本当ですか。ちょっとおかわりしてきます」
セラパレスの感想を聞いて、ユールは2杯目のごはんを取りに席を立った。
「よく食べる子ね」
 菜っ葉の炒め物をサンディと分け合いながら、メルフィナはお茶を片手に微笑んだ。香草を煮出したお茶は独特の香りがするが、さっぱりしていて飲みやすい。
「食い過ぎじゃないのか。もの食う天使ってトコからして、何かおかしい気がするがな」
「きっと人間の食べ物が珍しいのよ」
 彼らの会話が一段落した所で、ごはんを器いっぱいに盛ったユールが戻ってきた。
「ちょっ、それさすがに多すぎじゃね!?」
「お前な、いくら料理が美味いからって食い切れるのか?」
「大丈夫です!」
周囲のツッコミをものともせず、ユールはメルフィナの炒め物も分けてもらって、2杯目の混ぜごはんに取り掛かった。
「ところで、行方不明の大神官だけど、ユールの探している果実のせいで、ほぼ確定ね」
「神殿の関係者にこのことを伝えた方がいいだろうな。食べ終わったら神官を探して…」
彼らが今後について相談している間に、ユールは混ぜごはんをぺろりと完食した。
「ホントに全部食べたちゃったよ…。つーかマジありえないし」
「どういう意味ですかね。…そういえばサンディ。テンチョーさんは見つかったんですか?」
「全ッ然!もー、どこに行っちゃったんだか」
 盛大なため息でサンディが答えた。近くにいるかも、とユールは器を片手にキョロキョロしてみたが、
「あー、それはないない。見たら一発で分かるもん」
サンディがきっぱりと断言した。
うちの師匠のように特徴的な外見なのかな、とテンチョーの姿がちょっと気になったが、彼女の疑問は次なる発見でかき消されてしまった。
「あ、さっきお話を伺ったメイドさんですね。休憩でしょうか」
 斜め前の席で見覚えのある女性が食事中だった。連れは赤い甲冑に身を包んだ若い女性で、食事とお喋りに忙しい様子だった。
「いいなあ、憧れちゃうなあ。女戦士ってカッコいいわ!私もここのオシゴトを辞めて戦士に転職してみようかしら」
「戦いの日々はもう飽きたんだ。普通の女の子に戻ろうかと思ってここに来たんだけど、この先に大きな戦いが待っている気がするんだ。戦士の勘ってヤツかな…」
「戦士としての道を全うすべきか否か…。お悩みが深いご様子ですね」
 ユールが女戦士の将来に思いを馳せていると、アスラムが悪戯っぽく笑いながら言った。
「それは違うな。わざわざ転職しなくても、この人の前では普通の女の子になれちゃうって男と出会えば一気に解決だ」
「それは、ダーマよりルイーダ向きの案件ね」
 メルフィナの発言に、セラパレスがぎょっとして言った。
「恋人斡旋までやってるのか、あそこは」
 アスラムたちの話についていけず、ユールはぽかんとしていた。
「これはどういうお話ですか」
「アンタ、もーちょっと世間での経験積んだ方がイイと思うヨ」
 天使として生を受けてこのかた150年。それではまだまだ足りないらしい。
 ユールは何だかよく分からないが、とりあえず「頑張ります」と宣言しておいた。

2012年1月14日土曜日

新たな使命



買い物や周辺の探検に一週間程を費やした後、ユールたちはセントシュタインへ戻った。
ベクセリア滞在中、セラパレスはルーフィンの研究室で錬金レシピの研究に勤しみ、メルフィナは武器を新調した。魔法使いらしく、鞭から杖に持ち替えることにしたらしい。
葬儀の際に街の若者と仲良くなったアスラムは、彼から友情の証として派手な服を渡された。顔を引きつらせつつも見事に着こなしているあたり、さすがだとユールは思った。
 ちなみにその若者は、恵まれた体格とガッツだけは十分な家事の才能を生かして、ルーフィンの助手を勤めることにしたようだ。
「助手を勤めるというか、勝手に留守宅に上がり込んだというか…。悪い人ではないんですけど」
「助手なのに研究室の出入りを禁止されてるしな。大丈夫かな、あいつ」
 いよいよベクセリアを発つ日。ユールたちは町長に会いに行った。
 元気を取り戻しつつある町長が、古文書をパラパラめくりながらこう言った。
「先日、ルーフィンの奴がのこのことこの家に顔を出したのですよ。今までの行いを反省するとかゴニョゴニョ柄にもないことを言って。まあそこまでは良かったのですが、その直後にここにある古文書を全部貸してくれときたんですよ。さすがにアレには開いた口が塞がりませんでしたな。…それにしても、よくもまあこんなものをスラスラ読めるもんですなあ…。あ、いや、別にあやつに影響されて古文書を読み始めたわけではないですぞ!私の溢れる向学心がこれに手を伸ばさせたのです!ええ、それだけですとも!」
「町長。私は何も言っていませんが…」
 ただ顔を出しただけなのに長々と力説され、ユールは半笑いだ。
一方のルーフィンについては、後でセラパレスが語った所によると、
「今回の一件で、何のために学問をするのか、その意味を見出すことができました。これからは自分の学問を街のため、世の中のために役立ててみようと思うんです。まあ、ぼくに何ができるかは分かりませんが、ゆっくりその方法を探していくつもりですよ」
 と言いつつ、手始めに義父の書斎を丸ごと調査したい、と付け加えたそうである。
 舅も婿も、お互い不器用ながら歩み寄ろうとしている。これなら心配いらないなとユールはほっと胸を撫で下ろした。
 数多のお土産を携えて一行がセントシュタインに戻った日の夜。ユールとサンディは峠の道へとやって来た。
 宿の部屋には置き手紙を残し、カウンターのラヴィエルに軽く挨拶をし、カマエルにはセラパレスのことをよくよく頼んでおいた。
 動物たちも寝静まる深夜。森の中の箱舟はユールたちの目には淡く発光して見えた。
 期待半分、諦め半分で箱舟の中に入った途端、2人は何とも言えない感覚に襲われた。
(鼓動のような、地響きのような…)
 箱舟の反応が前回と違うことに、出発準備に飛び回るサンディの声も弾む。
「いっくよー!」
 元気良く機嫌良く、運転士が号令を発した。ガタン!という衝撃と共に、箱舟が震え出した。
 勢いよく転びそうになったユールは、慌てて傍の手すりにしがみついた。
 揺れと共に、上から押さえつけられるような圧力が全身にかかる。翼があれば安定を保っていられるのだろうが、人間と変わらぬ体型のユールはすっかり揉みくちゃだ。
 小さな羽根をパタパタさせるサンディは、この状況でもケロっとしていて、羨ましい限りである。
「…えーと、これ今飛んでるんですか、もしかして?」
 揺れが収まった頃、彼女は運転士に聞いてみた。
「そーだよー。窓の外から覗いてみ?左に見えますのがぁ、天使界でございまぁす!」
 手すりを伝って左の窓から外を見ると、黒い靄のようなもので一面覆われていた。
「外が黒くてよく分かりません」
「えー?じゃ、これでどうかな?」
「ぶっ!」
 言葉が終わらぬ内に、ユールはムギュと体ごと窓に押し付けられた。どうやら箱舟が急旋回したらしい。
 間もなく、靄の中から石造りの建物が見えてきた。夜空を気まぐれに切り裂く稲光で、その全容が露わになる。
 外壁は大なり小なり崩落しており、木々は倒れ、芝は焼け焦げ、と無残な有様である。
 随分と荒れ果てた天使界の姿に、ユールはショックを隠しきれない。
「皆さんご無事でしょうか…」
 やがて、箱舟は完全に停止した。
 物思いに沈んでいたユールは、サンディに追い出されるようにして箱舟のタラップを降りた。
 そこは、天使界の最上層。世界樹の足元。長老以下、居並ぶ上級天使たちが、一様に目を丸くして彼女を見つめていた。
「あ…えーと…。た、ただいま戻りました…」
 十数人の視線を一身に浴びながら、ぎくしゃくと、ユールは帰還の挨拶をした。
 彼女の師が見ていたら、叱りつけてやり直しを命じるだろう、覚束ない動きだった。

「それにしてもよく無事だったわね~。あ、マスター。お茶、おかわり」
「はいよ、ラフェット」
 トルクアムの店で、帰還した守護天使ユールは食事に専念していた。
 なかなか仕入れに行けなくて出せる料理が少ない、と店主は恐縮していたが、限られた食材を風変わりなスパイスで味付けしたサラダや煮込み料理、そしてこの店特製の特大プリンなど、十分賑やかな食卓に彼女は大満足であった。
 地上に落ち、翼と光輪を失ったユールは紆余曲折の末に天使界へと戻ってきた。しかし、長老であるオムイでも失ったそれらを取り戻す術を知らない、ということだった。
 傷ついた天使は世界樹の根元で祈り、傷を癒す。治療のための瞑想中、つい居眠りしてしまったユールは奇妙な夢を見た。
「女の人と男の人の声がして、男の人の攻撃を女の人が防いだのです。私は人間を信じる、人間たちを滅ぼしてはいけない。この身に代えても人間と人間界を守る…と」
「夢の中で、何か邪悪な気配はした?」
 真実を記録する者の探究心を覗かせ、ラフェットが言った。
「いいえ、邪悪さは全く。でも、男の人の方には、畏怖というのでしょうか。身が竦んで動けなくなるような迫力がありました。で、夢から覚めると、世界樹から声が聞こえたのです」
 長老は、世界樹の根元で神と対話したユールを手招き、皆の前で宣言したのだ。
「ユールに神の託宣が下された。天の箱舟で地上にあるという青い木の元へ降り立ち、散り散りになってしまった女神の果実を集めよ、とな。皆、この若き天使の力となってやってくれ」
 結局、翼も光輪も戻らぬまま、ユールに新たな仕事が命じられた、というわけだ。
「それにしても、天使たちが随分いなくなってしまいましたね…」
 天使界を襲った悲劇の後、邪悪な光の原因や地上に落ちた同胞を探しに、何人もの天使たちが人間界へと旅立った。しかし、ユール以外は誰一人として戻って来ず、未だに誰とも連絡が取れない状態だという。
 地上に落ちた元弟子を探しに出た、師匠イザヤールも。
「まるでエルギオスの時のようだな」
「マスター。そのエルギオスというのはどういった方なのですか」
 聞き覚えのある名だ。ユールはトルクアムに尋ねた。
 彼はラフェットと意味ありげに視線を交わした。やがて、意を決したように図書室長が語り始めた。
「エルギオスは、イザヤールの師だった天使。何百年も前、ある小さな村の守護天使だった彼は地上に降りたまま消息不明になってしまったの。ゲートの近くにいつも鍵が掛かった扉があるでしょう?あの先にエルギオスの石碑があるの。誰よりも人間を愛した、偉大な天使だった彼のことを忘れぬように作られたのよ。…でも、彼の身に何が起きたかは今も不明のまま。時が経つにつれ、その存在は尊敬と共に恐れを抱かれ、遠ざけられてしまったの」
 確かに、見習いが学ぶ天使界の歴史でエルギオスについて習った覚えはない。
「石碑になったって、恐れられてたって、師匠は師匠だからな。弟子からすれば何年経っても色褪せないもんだろうさ」
「ええ、我が身に置き換えてみれば、すごくよく分かります」
「イザヤールは心配だったのよ。ユールまでエルギオスみたいに帰らないんじゃないかって。多分、今も人間界であなたを探してるんじゃないかな」
「師匠が…」
 プリンをすくう手が完全に止まってしまっているユールに、トルクアムが勇気づけるように言った。
「お前はお前の務めを果たせばいい。人間界で派手に動き回っていれば、イザヤールの方でお前を見つけるだろうさ。もし、あいつが天使界に戻ってきたら、俺やラフェットがお前の活躍を嫌ってほど語り尽くしてやるから」
「…そう、ですね。幸か不幸か、他のことに気を取られながらこなせる仕事ではないようですし」
 ならばコレを活力源にしよう、と、ユールは勢いよくプリンをかっこんだ。年長の天使たちはそれを笑いながら窘めた。
「こらこら、行儀が悪いぞ守護天使様」
「あ、そうだ。ユール、後で私の部屋に来て頂戴。守護天使の記録、つけないとね」
「ああ…就任して初めの一ヶ月しかまともに記録をつけませんでしたね」
 守護天使は一人一人活動記録を持つものだ。いろいろあってユールも忘れていたが、人間界にある守護天使像が彼女に反応しないので、箱舟で定期的に天使界に来て、ラフェットに申告する方法を取ることにしたのだ。
「お前も何かと型破りだよなあ」
 帰りがけ、店の外で見送りがてらトルクアムが言った。横でラフェットがうんうんと頷いている。
 それから図書室長の元で記録をつけ終え、ユールは箱舟へと戻った。サンディにまた地上まで運転してもらおうと思ったのだが、待てど暮らせど彼女は帰って来ない。
 実はサンディは「テンチョー」を探すためにユールと別行動を取っているのだ。
 このままボーッと待っていても仕方がないので、ユールはサンディを探しに行くことにした。
 足を棒にしてあちこちを歩き回り、多すぎる階段にへばっていた所、一人の見習い天使が荷物を抱えたまま転んでしまったのが見えた。彼女は慌てて助けに向かった。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。ありがと…っ!」
 立ち上がった見習い天使の顔が一気に青ざめた。
「ん、どうしました?」
「近づかないで!翼と光輪が無いの、うつったら怖いじゃん!」
(え…?)
 あまりのことに完全に思考が停止したユールを置いて、見習い天使は走り去っていった。
「こら!廊下をみだりに走ってはならぬ!」
 厳しい叱責の声が飛ぶ。見ると、コルズラスがこちらに歩いて来る所だった。
「ユールか。顔色が優れぬようだが、大丈夫か?疲れが出たのではないか」
「いえ…大丈夫です。お気遣い、感謝いたします」
 ユールの返事に、うむ、と重々しく彼は頷いた。
 コルズラスの弟子のラエルは師のお使いに出ていた。弟子の戻りがあまりに遅いので、師自ら出迎えに行く所だそうである。
(寄り道か買い食いか、また怒られるんだろうなあ)
 生暖かい笑みを浮かべてユールが友人の行く末に思いを馳せていると、コルズラスが意外な親心(師心?)を見せた。
「天使界の中で何があるのだとも思うのだが…いろいろと騒がしい昨今、用心するに越したことはない」
「はい、コルズラス様」
 用心といえば、と、ハタと彼が手を打った。
「さっきから奇妙な光の玉が、テンチョーテンチョーと叫びながらウロウロしているんだ。あれはもしや邪悪な光を放った輩の手下ではないだろうか」
 その変な光に思いっきり心当たりがあったが、ユールはコルズラスには何も言わず、そのまま別れた。
(上級天使にもサンディは完全には見えないのか。彼女が自分でそうしてるんですかねえ)
 そんなことを考えながら箱舟まで戻ると、いつの間にかサンディが運転席に戻って来ていた。
「聞いたよ~。何か青い木を目指すんだって?あんたは女神の果実、アタシはテンチョー。お互い探し物ガンバロー」
 おー、とユールはサンディと共に拳を上へと突き上げた。
 行きと同じく、あっという間に地上に降り立った箱舟は、青く輝く不思議な木を目指して飛んだ。
「おー、あったあった。ってか、本当に真っ青なんですケド!植物としてありえなくね?」
「きっと内側から光ってるんですよ」
「ふーん。ま、いいや。あっちにあるのがダーマとかいうトコらしいよ」
 顔を出したばかりの朝日を浴びて、青い木がキラキラ輝く。木の傍で、ユールは覚えたばかりの呪文を試してみることにした。
 ルーラという瞬間移動の魔法。これは、旅の助けとなるように、世界樹の声の主が授けてくれたものだ。
「へー、新しい呪文かあ。何かヤバい効果とかあったりする?」
「まさか! 効果は、人間界におけるキメラの翼と同じですよ」
「それ、ちょー便利じゃね?早く使ってみなって!」
 初めてのルーラは無事に発動し、2人は一瞬で早朝のセントシュタインへ降り立った。
 宿屋の自室にこっそり戻り、置き手紙を処分した後、ユールは、よしと気を引き締めた。
 こうして、新たな使命を帯びたユールは、人間界の仲間たちと共に更なる旅を続けてゆくこととなったのである。

2011年12月14日水曜日

暁光


 夜の墓地でユールたちはエリザに向かい合った。正確には、彼女の幽霊と。
「あなたは亡くなっても全然変わりませんね…」
 こちらはいろいろ思い悩んで大変なんだぞ、と、ユールは視線に感情を込めて彼女を見つめてみた。
「えーと、まあ、笑いごとじゃないですよね。スミマセン。実は、ルーくんのことでユールさんにお願いがあるんです」
 このままでは彼がダメになってしまう、とエリザは目を伏せた。
「よしユール。こうなったら救えるモンは何だって救ってやんなさいっ」
「でも、ルーフィンさんは研究室に閉じこもってますよ」
「そのことなら大丈夫。ちょっとしたコツがあるんですよ」
 エリザに導かれ、ユールとサンディはルーフィンの研究室へとやって来た。ユールがドアをノックしてみたが、やはり応えはなかった。
「ユールさん、普通に叩いても駄目ですよ。ルーくんに出てきてもらうには、こうするんです」
コンコンコココン、コン。エリザの言う通りにドアをノックしてみた所、すぐさまルーフィンが飛び出してきた。
ユールを見た途端に、彼の顔に落胆の色が広がる。申し訳なく思いながらもユールは挨拶をした。
「あの、こんばんは…」
「今のはあなたの仕業か?わざわざエリザのノックを真似するなんて冗談にしても性質が悪い!もう二度としないで下さい!」
「…うわー、いきなり怒らせちゃったんですケド。まあ、怒鳴る元気はあるってことか」
 ユールが何か言うべきか迷っていると、城壁の上から声が降ってきた
「おっ、ルーフィン先生!」
 一同がびっくりして見上げると、こちらに身を乗り出すようにして若い男が手を振っていた。
「流行り病を止めてくれてありがとよ!町の連中に代わって礼を言うぜ。あとよ…。早く立ち直ってくれよな!皆あんたを心配してんだぜっ」
「な…何なんだ、一体…」
 男はあっさり立ち去ったが、いきなり礼を言われてルーフィンは戸惑っている。そんな夫を見て、エリザがユールに言った。
「ユールさん。私の最期の言葉としてルーくんに伝えてください。ルーくんが病魔を封印したことで救われた人たちに会ってほしいと言ってたって」
「それはどういう…」
 彼女の意図が読めず怪訝な顔をしていたら、早く早くと急かされてしまった。言われたままにユールが伝言すると、
「エリザがそんなことを…?」
 俯きがちにルーフィンが言った。
「でも、ぼくは誰が病気になってたかも知らない。あの時、お義父さんを見返すことばかりに気を取られてて…。ユールさん、今からぼくを病気に苦しんでいた人たちの所へ連れて行って下さい。今更ですが、どんな人たちが流行り病にかかって、どんな思いを抱えていたか、知りたいんです。それを知れば、病気になったエリザがどんな気持ちでいたか分かると思うから」
 そうして、ルーフィンはユールの案内で病に倒れた人々に会いに行った。夜遅い時刻にも関わらず、ルーフィンの姿を見た人々は口々に妻を亡くした彼のことを気遣ってくれた。
 彼と共に街を歩いて、ユールは大人から子供まで多くの人が病に倒れ、苦しんでいたのだと改めて痛感させられた。
(その多くの人々をルーフィンさんが救い、そして研究第一だった彼が大きな一歩を踏み出せたのはエリザさんのおかげ、なんですよね…)
 彼女が彼を信じ、力づけたからこそ、病魔を退けることができたのだ。
 夫の背に寄り添うように漂うエリザの小さな背中を見つめ、ユールは言った。
「人の絆、人の縁というものには驚かされるばかりです」
「そうやって結ばれて、将来を誓い合った人を亡くすのって、どれだけ悲しいのかな…。アタシには想像できないや」
「私もです。天使には、二度と会えない別れというものがありませんから」
「そーなの?そーいや、天使のお葬式って見たことないかも」
「星になった方を弔いはしませんが、祈りはしますよ。どうか私を見守っていて下さい、と。上級天使に対する畏敬の念もあるかもしれませんね」
 街の下層に降りるため、彼らは教会の前までやって来た。ルーフィンは初めて妻の墓前に立った。
「エリザ、すっかり来るのが遅くなって悪かったね。今、君の願い通り、流行り病に罹っていた人たちを訪ねているところなんだ。それで君が伝えたかったことが分かったら、また報せに来るよ」
 最後に、刻まれたエリザの名に指を滑らせ、ルーフィンは立ち上がった。
「私はこっちですよー」
 エリザがおどけてパタパタ手を振っているが、当然のことながら夫は気づかない。
「…向かい合って話せないの、やっぱりちょっと寂しいな」
 そう言って俯くエリザに、ユールは痛ましげな視線を向けた。
 次に立ち寄った宿屋では、病によって足止めされていた商人の夫婦に出会った。新婚だという夫はずっと倒れた妻の手を握って看病していたらしい。
 妻を救えなかった自身を思い起こし、ルーフィンの表情が苦いものへと変わる。
そのせいかどうかは分からないが、夫が席を立った隙に、お礼と称して妻がいきなりルーフィンにしなだれかかってきた。
「ぱふぱふくらいなら、ダーリンもきっと許してくれるはず…」
「や、止めてください!」
「ちょっとぉ、何してくれんのこの女!じゅんじょーなルーくんを惑わせないでっ!!」
「あなた新婚なのに何やってるんですかー!旦那さんが泣きますよ!」
妙に熱っぽい視線で迫る人妻と、いろいろな意味で動揺するルーフィンと、激怒するエリザを宥めながら、ほうほうの体でユールたちは宿屋を後にした。
その後も、ユールたちは夜を徹して街中を歩いて回った。ひたすらに街の人々の話を聞き、それぞれの思いに向き合った。
一通り訪問を終え、自分の感情の落とし所を見つけたのか、ルーフィンは憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔をして言った。
「もう十分です。ユールさん、案内してくれてありがとうございました。おかげでエリザの言いたかったこと、分かったような気がします」
 研究室へ戻るために、上層への階段を一歩一歩登って行く。彼は歩みに合わせ、言葉を噛み締めるように話した。
「今までのぼくは何をやるにも自分のことばかりで、周りが見えていなかったんですね。だからエリザの体調がおかしいことすら気づかないで…全く情けない話です」
階段の横に広がる墓地で再び妻の墓前に立ち、ルーフィンは目を伏せた。エリザが夫の肩に触れようとするが、すり抜けてしまう。
「街を回ってみて、初めて自分がいかに多くの人々に関わっているのか気づきました。これからはそのことを忘れず、このベクセリアの人々と共に生きていこうと思います」
 ユールたちは墓地を出て、風に吹かれながら歩いた。城壁の向こうに広がる白み始めた空と彼方に広がる平原を…数日前に自分が使命を持って歩いた道を眺めながら、ルーフィンが言った。
「皆に感謝されるのも、悪くない気分ですしね」
「…ええ、あなたはそうでなくては」
 久々に聞いた気がする「ルーフィン節」に、ユールは何だか嬉しくなってしまった。
そのまま言葉もなく、彼らは刻々と色を変えていく空を、大地を眺めていた。
つんつんと不意に肩をつつかれたユールが振り向くと、満面の笑みを浮かべたエリザがいた。
「ルーくんを助けてくれて、本当にありがとうございます。おかげで私、死んでるのに自分の夢を叶えることができちゃいました。ルーくんの凄い所をベクセリアの皆に知ってもらうこと、そして…ルーくんにこの街を好きになってもらうこと。それが私の夢でしたから」
 夫の背を見つめながら幸せそうに微笑む彼女だったが、そうそうゆっくりもしていられないらしい。彼女の体から青白い光がぽつぽつと流れ出していた。
「そうか、日の出が近いのですね」
「ええ、もう時間みたい…。それじゃあこれでお別れです。どうか、ユールさんも皆さんもお元気で…」
 最後まで夫を見つめながら、エリザは光と共に消えていった。
 彼女が消えた先をいつまでも眺めているユールに、ルーフィンが声を掛けた。
「…ユールさん。今日はこんな時間まで付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。あなたももう休んでください。ぼくは少し考え事がしたいので、しばらくこのまま起きています」
「いえ、私は何も!ただあなたについて行っただけですし。…では、おやすみなさい。あまり無理をなさってはいけませんよ」
思索の邪魔をしては悪いと、ユールとサンディは仲間たちのいる教会へ戻ることにした。
「あー、もうすっかり朝ですね」
ついに顔を出した太陽が眩しくて、ユールは目を細めた。
「つーか、星のオーラで街中が昼間みたいに明るいんですケド。エリザさんが太陽を連れて来てくれたのかな?明るさ2倍3倍ってカンジ?」
「今ここでオーラが見えないのが悔やまれてなりませんよ…」
天使なのにと落ち込みつつ、これでこの街に暖かさと明るさが戻ればいいな、とユールは思った。
 まだ寝ているだろう仲間たちを起こさないよう裏口から教会に戻ったユールだったが、3人ともしっかりばっちり起きて彼女を待ち構えていた。
「こんな時間までどこにいたのかな?帰りが遅くなるならちゃんと連絡しなさい」
「ははは、朝帰りの理由を聞くのは野暮だぜ、店長」
「いや、その、朝帰りとかそれどころではなくてですね…」
 アスラムは修練で、セラパレスは錬金レシピの研究で、夜明け前から起きていたらしい。
「何か良いことがあったみたいね、ユール。顔が明るいわ」
 謎の理由で起きていた(聞こうとしたら笑って誤魔化された)メルフィナに問われ、
「はい、ルーフィンさんと話をしてきました。彼も、この街も、もう大丈夫だと思います」
幽霊だの天使だのといった細かい事情は省きつつ、ユールはにっこり笑って答えた。

2011年12月5日月曜日

病魔の呪い


 ユールたちは無事に病魔を退けることができた。
「やりました!勝ちました!」
「さて、学者先生の方はどうかな?」
 戦いのさなか、ルーフィンはしっかり壷の破片を抱えて避難しており、無事だった。
「ふう、危ないところでしたね。ぼくの方ももう完了です」
「って、言ってるそばからまた病魔が!」
 サンディが指差す先に、再びピンク色の靄が集まり出している。
「ワれのジャマをスる者、すベテひトシく死あルのミ!のミ!のミ…!おのレ、のレ。わが呪イよ…コのオろかナる者ドもに、死の病ヲ…」
「しつこい野郎だぜ。…おい皆、もう一戦行けるか?」
ユールたちが武器を手にルーフィンの周囲を守る中、最後の破片があてがわれ、壷が完成した。
「さあ、封印の壷よ、悪しき魔を封印せよ!」
 ルーフィンが壷の口を病魔に向けると、ぎゅばぎゅば言いながらパンデルムが成すすべもなく中へ吸い込まれていった。
「封印の壷さえ直ってしまえば、病魔恐るるに足らずって感じですかね」
マイペースに冷静に、ルーフィンが言った。やる気になるまでが大変だったが、ルーフィンがいなければ病魔パンデルムを封じることは不可能だっただろう。
「やるじゃん、あのモヤシ学者!ってか、ユール。あんた変なビョーキもらってない?大丈夫?」
「あはは、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 サンディの意外な優しさに内心驚きながら、ユールは笑顔で礼を言った。
(ルーフィンさんの見違えるような活躍ぶりをエリザさんに知らせたら、すごく喜ぶでしょうねえ)
 戦いを終えた一同が傷の手当をしたり、互いの健闘を労ったりしている中、遅ればせながら病魔に打ち勝った喜びが湧いてきたのか、ルーフィンが早口に言い募った。
「見てましたか?見事、病魔の奴を封印してやりましたよ、このぼくが!これでお義父さんもぼくのことを認めざるをえないでしょうね。…さて、やることはやったし、これでようやく遺跡の調査に手がつけられるってもんです。ああ、皆さんはもう帰ってもらって結構ですよ。いても気が散るだけだし。それじゃ、ぼくはこの奥を調べてきますんで。報告の方は頼みます」
 さっさと部屋の奥の階段を降りていく彼を見送りながら、やっぱり根っこは変わってないな、とユールは思い直した。
「あのー。私、この奥の遺跡見てみたいです」
「そうね。せっかくここまで来たんだから、行ける所まで行ってみたいわよね」
 ユールが階段を指差しながら言った。メルフィナはルーフィンを追ってすたすた歩いていってしまっている。
 残された男2人とサンディは微妙な顔をしながら、それに続いた。
 階段の下は何ということのない小部屋だった。立派な遺跡なので、ユールはルディアノの図書室のような知の宝庫を想像していたのだが、肩透かしを食ってしまった。
「何もないじゃないか」
 アスラムが彼女の落胆を代弁した。
 それを聞いたルーフィンが、とんでもないと目を見張る。
「確かに古文書や宝物の類はありませんが、ここ見て下さい。この文様とこっちの文様は特定の時代にのみ使用されたもので…」
 ルーフィンがとくとくと語る。ユールにはただの青みがかった壁に見えていたが、言われてみると確かにさまざまな文様があしらわれているのが分かった。
「天使界ではこんなこと習わなかったです。このような人間界の秘密は、まだまだたくさんあるんでしょうか」
 思わずぽつりと呟いたユールに、メルフィナが答えた。
「人間たちの守護には必要のない知識ですもの」
それでなくても覚えることは山程あったでしょう、と言われ、ユールは頷いた。
仲間たちとルーフィンは思い思いに部屋を見て回っている。メルフィナとサンディが壁の文様の可愛さについて話し込んでいるのを聞き、しゃがみ込んで帳面に何かを書き付けているルーフィンの横を通り過ぎ、ユールは壁に凭れている3人の方へ歩いていった。
(ん?3人?)
 アスラムとセラパレスの間に、青白く透けた男が1人立っていた。
 口髭をたくわえた壮年の男性で、白の毛皮で裾を縁取った濃紺のガウンを引きずっており、金の王冠を頂く頭が不規則にぐらぐらしている。
「ここで、何をなさっているのですか?」
「休憩だ、休憩。そろそろ帰らないか?街の様子も気になるし」
 アスラムの答えからしばし間を置いて、幽霊がため息混じりに言った。
「…おお…思い出せぬ…」
 記憶喪失の幽霊はわりとよくいるのだが、貴族(格好からしておそらく君主だろう)がこんな人里離れた遺跡でさまよっている理由が分からない。
 アスラムに「もうちょっと」と言って、ユールは考古学者の元へ走った。
「ルーフィンさん。この遺跡、どこかの王様とか貴族とかって何か関わりありますかね?」
「何だ、まだいたんですか。早く街に戻って町長に報告して下さい。ぼくはもう少ししてから戻りますから」
 調査に没頭している学者は容赦がない。彼女はすごすご引き下がるしかなかった。
 祠を出てすぐキメラの翼でベクセリアへ戻ったユールたちは、街の空気が変わっていることに気づいた。
 一時間ほど前に病人たちの症状が嘘のように治まり、寝付いていた者も看病していた者も声高に驚きと憶測を口にしていた。
「病魔の呪いが完全に消え去ったんですね…」
 あまりに劇的な変化なので、ユールは病魔を倒した当事者であるのに実感が沸いてこなかった。
「あ、そうだ。町長の元へ向かう前に、エリザさんにルーフィンさんのことをお知らせしておきたいです」
 どうせ通り道だから、とエリザの家へ立ち寄ることにした一行だったが、彼女の家のドアをノックしても応えが無かった。
「夫の研究室の方にいるのか…ん、開いているな」
 セラパレスがドアに手をかけた所、すんなりと開いてしまった。
「無用心なお嬢さんだな、相変わらず」
「エリザさーん。お邪魔しますよー」
 彼らは遠慮しいしい家の中を歩き回ったが、エリザの姿はどこにもなかった。
 居間の奥の扉が半開きになっていて、その先は寝室のようだった。中を覗いてみると、誰かが寝ていた。布団がやや斜めにずれ、枕は床に転げ落ちている。
「ああ、お休み中だったみたいです。本当に私たちが悪い泥棒でなくて良かったですよねえ」
 落ちた枕を戻そうと、ユールがベッドに近づいた。
エリザの頭を持ち上げ、枕を差し込もうとした時、ユールはふと違和感を覚えた。
彼女はひどく冷え切っていた。よほどぐっすり眠り込んでいるのか、彼女の体は微動だにしない。
(いや、違う。これは…)
エリザは息をしていないのだ。
枕を抱えたまま固まったユールを訝り、仲間たちも寝室に入ってきた。
「エリザさんが…」
 ユールのかぼそい声にはっとしたセラパレスが、寝台に眠る者の脈を取り、眼球を覗き込む。
 そして、彼はユールとしっかり目を合わせ、首を振った。
「ウソでしょ…」
 サンディが息を呑む。
 彼らが言葉もなく立ち尽くしていると、玄関のドアが開く音がし、エリザの名を呼ぶ声が続いた。
「エリザ、いないのかい?おや、あなたがたは…」
 寝室へと入ってきたルーフィンが妻の顔に触れて蒼白になり、床にへたり込むのを、ユールはどこか遠い場所で起きている出来事のように見つめていた。


 それから数日後。流行り病から解放された喜びから一転、ベクセリアは重苦しい静けさに包まれていた。
 エリザの葬儀の後、何となく落ち着かなくて街中をうろうろしていたユールとサンディは、町長の家を訪れた。
 アスラムとセラパレスは葬儀の後片付けに、メルフィナはシスターを手伝って患者たちの経過観察に行っている。
 病の収束と愛娘の死を同時に発表しなければならなかった町長は、心労のあまりどす黒い顔色になりながら、娘婿の護衛にあたったユールたちを労ってくれた。しかし、
「…超シラケる~。そんなのもらってもアタシは嬉しくも何ともないし、全然報われないっつーカンジ!」
 サンディが口を尖らせた。
護衛の謝礼として、町長が手近な装飾品を寄越したことに苛立っているようだ。
エリザの死からずっと彼女は些細なことに腹を立て、ユールに当たり散らしている。
せっかく病魔を倒したのに、無情にもエリザの命を奪っていった運命。悲しみに沈むベクセリアの人々。思うように行かない事態に我慢がならない、とサンディは全てのものに怒りをぶつけ、毒づいていた。
対してユールは、エリザの死からずっと現実感を持てないまま過ごしていた。町長に事の次第を報告し、葬儀に立ち会っている自分を遠い所から離れて見ているような。
それは守護天使として人間を見守っていた時の距離感に近いのかも知れない。
(人間が一人、エリザさんが亡くなった。人間はいつかは死ぬもの。ですが…)
 ウォルロ村で師と共に死者の弔いに立ち会ったことは何度もある。時に死者の末期の苦しみに思いを馳せ、時に生者が死者を見送る毅然とした姿に胸を打たれた。
エリザのこともそうした数多の死の一つとして受け止めることができるはずだった。
そうでなくては、人間たちの営み全てを見守る守護天使など務まらない。
ありふれたこととして感情を処理しつつある己と、エリザを悼む周囲との温度差がユールを落ち着かなくさせていた。
サンディのように悲しみに耐えかねて怒ってみようと思っても、怒る対象が見つけられない。
(私は結局の所、エリザさんの死に納得できていない。何故彼女が死ななければならなかったのか。もっと何か出来たのではないか。放っておくとそんなことばかり考えている…) 
「君が病魔の呪いに冒されていると知っていれば、もっと急いだのに」とは、妻の亡骸を前にしたルーフィンの言葉である。
 あれ以来、彼は研究室に籠もってしまい、妻の葬儀にも顔を見せなかった。
堂々巡りの思考を抱えて街を歩くうちに、いつの間にか日が暮れ、空に星々が輝く刻限となっていた。
教会にいる仲間たちを迎えに行こう、と足を向けたユールは、墓地を通りかかった。
花々に囲まれた真新しい墓石。エリザの名が刻まれたそれの前で立ち止まる。
「本当に、死んじゃったんだね…」
「ええ…」
 墓の隣には人の良さそうなおじいさんの幽霊がいて、鼻をぐすぐすと啜っている。
「あんな若い娘さんがここに仲間入りするとはのう。何ともやりきれんわい」
「そうですよね…」
彼女たちがエリザの墓を痛ましげに見つめていると、いきなり明るい声で呼び止められた。
「ユールさん。ユールさんってば!」
 驚いた2人が振り向くと、生前の明るさそのままに屈託なく笑うエリザが立っていた。
「え、エリザさん!?」
「ちょ、マジで!?」
エリザは、「幽霊になった私が見えるなんてすご~い!」と手を打ってはしゃいでいる。
「そういえば、わしらが見えておるようじゃが…お前さんたちは一体何者だね?」
「れーのう者だよ、おじいちゃん!私はじめて見た!」
この騒がしい幽霊を一体どうしようか。ユールは途方に暮れた。

2011年11月28日月曜日

遺跡調査



 夕暮れ迫るベクセリアの街角で、ユールは呆然としていた。
「ルーフィンさんに置いていかれました…!」
 アスラムは顔をしかめ、セラパレスとメルフィナは事情が分からずきょとんとしている。
 4人に向き合うエリザがすまなそうに笑った。
 ベクセリアの街に蔓延する流行り病の対処法について町長に報告したユールたちは、祠へ赴くルーフィンの護衛を任されることとなった。
「あー、あいつものすごく面倒くさそうだったからな。行きゃあいいんでしょって」
 アスラムの言う通り、ルーフィンは舅への意地からひねくれてしまっており、妻のエリザが宥めてもおさまらぬほどだったのだ。
「出発前に仲間を連れてきますねって一度彼と別れたんですが、皆さんと合流している間に…」
「ユール。祠の鍵はどうした」
「ルーフィンさんに渡してそのままです」
 護衛いらないんじゃないのか、と全員の顔に書いてあるのをユールは見た。彼女も同感だ。
「話を整理させてちょうだい。考古学者にして町長の娘婿のルーフィンさんが流行り病の原因と解決法を突き止めた。町長は私たち旅人に祠に入る許可と鍵をくれて、ルーフィンさんの護衛を依頼した。でも肝心のルーフィンさんが一人で先に行ってしまった。こういうことね?」
「うちの主人が皆さんにゴメーワクをおかけし…ゴホン!何かすみません、本当に」
 メルフィナが簡潔にまとめ、ケフケフと咳き込みながらエリザが謝る。
 護衛対象が不在で、当面やることがない。ユールたちは今後の事を相談するため、街の入口へと移動した。
「ルーフィンさんによると、街から祠まではほぼ一本道です。しかし、大地震の後から魔物たちがうろつくようになっているし、もう日暮れです。無事でいてくれればいいんですけど」
「学者先生は大丈夫だと判断して先行したんだろう。私たちも彼も目的地は同じ。すぐに追いかければ問題ないはずだ」
 言い切ったセラパレスの顔を見上げ、ユールはのろのろと言った。
「すぐってこれからですよね…。徹夜仕事ですか…」
「コラー。天使が徹夜嫌がるとかどーなのよ」
 すかさず、サンディからグーでツッコミが入った。
「宿屋は休業状態なのだから、ちょうどいいわ」
 それに、とメルフィナが付け加えた言葉にユールははっとした。
「エリザさんのためにも急いだ方が良さそう。咳が出ているなら、既に寝込んでいてもおかしくないのだから」
 メルフィナはセラパレスと共に教会で病人の看護を手伝っていた。病がどのような進行をたどるのか、間近で見てきたのだった。今のところ死者は出ていないが、新たに病を発症し寝込む者が日に日に増えている。
 手遅れになる前に、とユールたちは祠を目指して出発した。街道を西へ歩き出して間もなく日が沈み、肌寒くなってきた。
 街道は見通しの良い平地な上、月の明るい晩なので一行は特に危なげなく進むことができた。
 休憩も寄り道も無しに、夜通し歩いたユールたちが祠に到着したのは、明くる日の昼前だった。
 祠の入口では、ベクセリアの考古学者ルーフィンが憮然とした面持ちで佇んでいた。
「遅かったじゃないですか。えーと、ユールさん?ぼくの言った通り、地震のせいで祠の壁が崩れて遺跡がむき出しになってます。こうなると病魔の封印もどうなっているか分かったもんじゃないですね」
「やはり、そうでしたか」
 ユールが相槌を打つが、ルーフィンは意に介さず、
「あなたがたの仕事はぼくの護衛ですよね。お義父さんに雇われたなら、しっかり働いてくださいね」
「てゆーか、おはよーのアイサツも無し?やっぱり問題アリすぎじゃね、この人?」
 サンディが渋い顔で文句を言い、この野郎…とアスラムが小さく毒づいたのを、ユールは聞かなかったことにした。
 祠は狭く、突き当たりの壁に大きな穴が開いていた。
「地震で扉ごと崩れてしまったようですね。ここから中に入ります」
 ユールの目にはかつて扉があったように見えないのだが、2本の鍵をブラブラさせながらルーフィンが言った。片方が祠の入口、もう片方が奥の扉の鍵なのだろう。
壁の穴をくぐった先に、いきなり巨大な石碑が立っていた。
「二人の賢者の目覚めし時、赤き光と青き光が蘇る。導きの光照らし出す時、閉ざされし扉は開かれん…と書かれています。この遺跡の仕掛けのヒントとなる言葉ですよ」
「賢者も扉も、とりあえず近くには見当たりませんねえ」
 ルーフィンの解説を聞き、ユールが辺りを見回した。石碑の先の通路は行き止まりになっている。
 遺跡の内部は青みがかった石で作られた迷路になっていた。道幅はさほど広くはないがまっすぐ通路が伸びており、先日の大地震や経年で壊れている所も無く整然としていた。
 水を得た魚のように生き生きと遺跡の中を歩き回るルーフィンに先導され、一行は奥へと進んでいく。
 石碑から向かって右の通路を行くと、巨大な柱が道の真ん中に据えられていた。鏡張りの前面が微妙な角度で壁に向けられている。
「何故こんな所に鏡が…」
「ちょっと、触らないで下さい!それ向きをきちんと計算してあるんですから」
 柱に触ろうとしたユールをルーフィンが叱りつけた。
「すみませんでした。ところでこれは一体何なのですか?」
「奥に行けば分かります」
「ってか、いつ計算なんかしたんだよ、あんた」
 アスラムがもっともな疑問を投げかけた。
「以前、エリザとここに遊びに来まして。その時に柱をいじったら動くことが分かったんです」
 所謂デートというやつですね、とルーフィンが眼鏡を押し上げ、言った。
「陶器の馬の魔物とか人魂とかミイラがウヨウヨしてるぞ。デートも命懸けだな」
「彼女を連れてきた時はこんなに魔物は出ませんでしたよ。聖水もありましたし」
「じゃあ、ルーフィンさんはこの柱の仕掛けを全て解いたというわけですか?」
「いえ…最後の最後というところで、エリザの門限があって引き返したんです」
「町長さんが聞いたら倒れてしまうわね」
 メルフィナが前方に現れた人魂に鞭を振るいながら言った。鋭い棘を編みこんだ茨の鞭はひゅんひゅん危険そうに唸りながら魔物たちを薙ぎ倒してゆく。
「あらユール。足元にメタルスライム」
「ぎゃっ!」
 即座に飛んだ鞭とメタルスライムの両方に驚き、ユールは慌てて飛びのいた。
「姐さんカッコイー。つか、魔法いらなくね?」
 サンディが言うのももっともだ、とユールは思った。
 十字路を通過する度に目にする鏡の柱。遺跡の規模を考えても、多すぎるくらいに設置されている。
(赤き光と青き光を反射させるのでしょうけど、普通に迷路の四隅に置くのではダメなんですかねえ)
と、ユールは歩きながら考えをめぐらしたが、さっぱり答えが思いつかない。
 1時間ほど迷路を歩いた一行は、賢者の像の前まで来た。
像は両手を胸の前で組み、長衣を纏った姿をしている。これに翼をつければ守護天使像だな、とユールは思った。
「おそらくこの辺りに…。よし、あった。皆さん、下がっていた方がいいですよ」
 言うなり、ルーフィンが賢者の背中にある仕掛けを動かした。赤い光が像の目から放たれ、通路に沿って伸びていった。
 遺跡のさらに奥、赤き光の賢者の対になる位置に、青き光の賢者の像があった。同じように仕掛けを動かすと、2色の光は迷路を曲がりくねりながら石碑の方へ集まっていく。
「ああ、それで鏡があんなにたくさんあったんですね!」
 光に沿って来た道を戻ったユールは、ようやくこの遺跡の仕掛けを理解した。赤と青の光を浴びた石碑が鍵となり、奥の行き止まりに通路を出現させていたのである。
「この先に病魔が封じられているのか。ユール、メル、何か感じるか?」
 セラパレスに呼ばれた2人は揃って首を振った。
「封印の効力が生きているということでしょうか」
「それならいいが、念の為に準備しておこう。何が起きるか分からないからね」
 セラパレスとユールが手分けして全員に回復魔法をかけた。
 新たに出現した通路の奥はやや大きめの部屋になっており、中央に小高い壇が設けられていた。以前は壇上にあったのだろう壷がごろりと床に転がっており、破片がいくつか周囲に散らばっている。
 素焼きの壷にあしらわれた手作り感溢れる文様は、課せられた役割に似合わぬ素朴さだった。
「おおっ…古文書で見た通りです。あそこに転がっているのは病魔を封じていた封印の壷。やっぱり地震で壊れてしまったようですね」
 ルーフィンが壷に駆け寄った。彼が指差した先に、病魔パンデルムを封ずとあるのを、ユールたちもはっきりと見た。
「封印の紋章が描かれた部分は壊れてないな。これなら楽勝だ。一流の考古学者なら、これくらいのモノを直すのなんて朝飯前ですよ」
 人一人は軽く入れてしまうほどの大きな壷を転がしながら、ルーフィンは不敵に笑う。
 修復作業の邪魔になるといけないので、ユールたちは壇から離れた所で待機することにした。
 上着のポケットから取り出した接着剤(特製ですよ、と見せびらかしてきた)で破片をくっつっけていく彼を見守っていたユールの目の前が、ふと歪んだ。
「ん?」
 目のかすみかと思ったが、もやもやしたピンクの雲がルーフィンの頭上に現れた。緑や紫のガスが細く長くたなびいている。
 ピンクの雲に目鼻ができ、封印の修復を阻止せんと恐ろしげな声で叫び回る。
「なんジに病魔のワザワイあレ!あレ!あレ!」
「うわ!何かヤバそうなのが出てきたんですケド!」
「ルーフィンさん!離れて!」
ユールの声に、作業に没頭していたルーフィンがふと顔を上げ、凍りつく。
「これが病魔パンデルムか…!あー、ほらほら皆さん、ボーッとしてないで!病魔の相手はそっちの仕事でしょ?あなたがたが戦ってる間にぼくがこの壷を直しちゃいますから、時間を稼いでくださいよ!」
「そっちこそ、もたもたしてると巻き込まれるぜ?」
 ルーフィンの減らず口をアスラムがまぜ返した。
 パンデルムは亡霊なのか瘴気なのか、ユラユラと捉えどころのない相手だ。打撃も呪文もそれなりに効き目があるのだが、パンデルムが身をくねらせる度にユールたちの体が重くなり、守りが薄くなるようだ。
「ボミオスにルカナンか。嫌らしい技を使う奴だ」
 セラパレスがユールとメルフィナに優先してスカラをかけるのだが、守りの力を上げたそばから下げられてしまう。
「くそっ、キリがない!」
「セラパレスさん。ボミオスで最悪後手に回っても攻撃できますし、ルカナンも無視しましょう!痛いのは我慢です!」
「分かった。回復は私に任せなさい」
 呪文で弱体化させられているとは言え、ユールたち4人はパンデルムに一発殴られたくらいではビクともしない。
 セラパレスのホイミに支えられ、アスラムの拳とユールの剣、メルフィナの呪文が病魔の力を確実に削いでゆく。
「お?どうしたメル。鞭は止めたのか?」
「この魔物、ぶっても手応えがないのよ。物足りないわ」
 相手に先手を取られ続ける状況でも軽口を叩くアスラムに、メルフィナが軽口で返した。
(セラパレスさんのホイミが尽きる前に何とかしないと…)
 いざとなったら自分も回復に回ろうという心配を胸に、ユールがアスラムを応援した。直後、威力の増した蹴りを食らったパンデルムが高く吼える。体を形作っていた靄が消えて行き、最後に残った病魔の目玉がボトッと2つ床に落ちた。