2011年12月5日月曜日

病魔の呪い


 ユールたちは無事に病魔を退けることができた。
「やりました!勝ちました!」
「さて、学者先生の方はどうかな?」
 戦いのさなか、ルーフィンはしっかり壷の破片を抱えて避難しており、無事だった。
「ふう、危ないところでしたね。ぼくの方ももう完了です」
「って、言ってるそばからまた病魔が!」
 サンディが指差す先に、再びピンク色の靄が集まり出している。
「ワれのジャマをスる者、すベテひトシく死あルのミ!のミ!のミ…!おのレ、のレ。わが呪イよ…コのオろかナる者ドもに、死の病ヲ…」
「しつこい野郎だぜ。…おい皆、もう一戦行けるか?」
ユールたちが武器を手にルーフィンの周囲を守る中、最後の破片があてがわれ、壷が完成した。
「さあ、封印の壷よ、悪しき魔を封印せよ!」
 ルーフィンが壷の口を病魔に向けると、ぎゅばぎゅば言いながらパンデルムが成すすべもなく中へ吸い込まれていった。
「封印の壷さえ直ってしまえば、病魔恐るるに足らずって感じですかね」
マイペースに冷静に、ルーフィンが言った。やる気になるまでが大変だったが、ルーフィンがいなければ病魔パンデルムを封じることは不可能だっただろう。
「やるじゃん、あのモヤシ学者!ってか、ユール。あんた変なビョーキもらってない?大丈夫?」
「あはは、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 サンディの意外な優しさに内心驚きながら、ユールは笑顔で礼を言った。
(ルーフィンさんの見違えるような活躍ぶりをエリザさんに知らせたら、すごく喜ぶでしょうねえ)
 戦いを終えた一同が傷の手当をしたり、互いの健闘を労ったりしている中、遅ればせながら病魔に打ち勝った喜びが湧いてきたのか、ルーフィンが早口に言い募った。
「見てましたか?見事、病魔の奴を封印してやりましたよ、このぼくが!これでお義父さんもぼくのことを認めざるをえないでしょうね。…さて、やることはやったし、これでようやく遺跡の調査に手がつけられるってもんです。ああ、皆さんはもう帰ってもらって結構ですよ。いても気が散るだけだし。それじゃ、ぼくはこの奥を調べてきますんで。報告の方は頼みます」
 さっさと部屋の奥の階段を降りていく彼を見送りながら、やっぱり根っこは変わってないな、とユールは思い直した。
「あのー。私、この奥の遺跡見てみたいです」
「そうね。せっかくここまで来たんだから、行ける所まで行ってみたいわよね」
 ユールが階段を指差しながら言った。メルフィナはルーフィンを追ってすたすた歩いていってしまっている。
 残された男2人とサンディは微妙な顔をしながら、それに続いた。
 階段の下は何ということのない小部屋だった。立派な遺跡なので、ユールはルディアノの図書室のような知の宝庫を想像していたのだが、肩透かしを食ってしまった。
「何もないじゃないか」
 アスラムが彼女の落胆を代弁した。
 それを聞いたルーフィンが、とんでもないと目を見張る。
「確かに古文書や宝物の類はありませんが、ここ見て下さい。この文様とこっちの文様は特定の時代にのみ使用されたもので…」
 ルーフィンがとくとくと語る。ユールにはただの青みがかった壁に見えていたが、言われてみると確かにさまざまな文様があしらわれているのが分かった。
「天使界ではこんなこと習わなかったです。このような人間界の秘密は、まだまだたくさんあるんでしょうか」
 思わずぽつりと呟いたユールに、メルフィナが答えた。
「人間たちの守護には必要のない知識ですもの」
それでなくても覚えることは山程あったでしょう、と言われ、ユールは頷いた。
仲間たちとルーフィンは思い思いに部屋を見て回っている。メルフィナとサンディが壁の文様の可愛さについて話し込んでいるのを聞き、しゃがみ込んで帳面に何かを書き付けているルーフィンの横を通り過ぎ、ユールは壁に凭れている3人の方へ歩いていった。
(ん?3人?)
 アスラムとセラパレスの間に、青白く透けた男が1人立っていた。
 口髭をたくわえた壮年の男性で、白の毛皮で裾を縁取った濃紺のガウンを引きずっており、金の王冠を頂く頭が不規則にぐらぐらしている。
「ここで、何をなさっているのですか?」
「休憩だ、休憩。そろそろ帰らないか?街の様子も気になるし」
 アスラムの答えからしばし間を置いて、幽霊がため息混じりに言った。
「…おお…思い出せぬ…」
 記憶喪失の幽霊はわりとよくいるのだが、貴族(格好からしておそらく君主だろう)がこんな人里離れた遺跡でさまよっている理由が分からない。
 アスラムに「もうちょっと」と言って、ユールは考古学者の元へ走った。
「ルーフィンさん。この遺跡、どこかの王様とか貴族とかって何か関わりありますかね?」
「何だ、まだいたんですか。早く街に戻って町長に報告して下さい。ぼくはもう少ししてから戻りますから」
 調査に没頭している学者は容赦がない。彼女はすごすご引き下がるしかなかった。
 祠を出てすぐキメラの翼でベクセリアへ戻ったユールたちは、街の空気が変わっていることに気づいた。
 一時間ほど前に病人たちの症状が嘘のように治まり、寝付いていた者も看病していた者も声高に驚きと憶測を口にしていた。
「病魔の呪いが完全に消え去ったんですね…」
 あまりに劇的な変化なので、ユールは病魔を倒した当事者であるのに実感が沸いてこなかった。
「あ、そうだ。町長の元へ向かう前に、エリザさんにルーフィンさんのことをお知らせしておきたいです」
 どうせ通り道だから、とエリザの家へ立ち寄ることにした一行だったが、彼女の家のドアをノックしても応えが無かった。
「夫の研究室の方にいるのか…ん、開いているな」
 セラパレスがドアに手をかけた所、すんなりと開いてしまった。
「無用心なお嬢さんだな、相変わらず」
「エリザさーん。お邪魔しますよー」
 彼らは遠慮しいしい家の中を歩き回ったが、エリザの姿はどこにもなかった。
 居間の奥の扉が半開きになっていて、その先は寝室のようだった。中を覗いてみると、誰かが寝ていた。布団がやや斜めにずれ、枕は床に転げ落ちている。
「ああ、お休み中だったみたいです。本当に私たちが悪い泥棒でなくて良かったですよねえ」
 落ちた枕を戻そうと、ユールがベッドに近づいた。
エリザの頭を持ち上げ、枕を差し込もうとした時、ユールはふと違和感を覚えた。
彼女はひどく冷え切っていた。よほどぐっすり眠り込んでいるのか、彼女の体は微動だにしない。
(いや、違う。これは…)
エリザは息をしていないのだ。
枕を抱えたまま固まったユールを訝り、仲間たちも寝室に入ってきた。
「エリザさんが…」
 ユールのかぼそい声にはっとしたセラパレスが、寝台に眠る者の脈を取り、眼球を覗き込む。
 そして、彼はユールとしっかり目を合わせ、首を振った。
「ウソでしょ…」
 サンディが息を呑む。
 彼らが言葉もなく立ち尽くしていると、玄関のドアが開く音がし、エリザの名を呼ぶ声が続いた。
「エリザ、いないのかい?おや、あなたがたは…」
 寝室へと入ってきたルーフィンが妻の顔に触れて蒼白になり、床にへたり込むのを、ユールはどこか遠い場所で起きている出来事のように見つめていた。


 それから数日後。流行り病から解放された喜びから一転、ベクセリアは重苦しい静けさに包まれていた。
 エリザの葬儀の後、何となく落ち着かなくて街中をうろうろしていたユールとサンディは、町長の家を訪れた。
 アスラムとセラパレスは葬儀の後片付けに、メルフィナはシスターを手伝って患者たちの経過観察に行っている。
 病の収束と愛娘の死を同時に発表しなければならなかった町長は、心労のあまりどす黒い顔色になりながら、娘婿の護衛にあたったユールたちを労ってくれた。しかし、
「…超シラケる~。そんなのもらってもアタシは嬉しくも何ともないし、全然報われないっつーカンジ!」
 サンディが口を尖らせた。
護衛の謝礼として、町長が手近な装飾品を寄越したことに苛立っているようだ。
エリザの死からずっと彼女は些細なことに腹を立て、ユールに当たり散らしている。
せっかく病魔を倒したのに、無情にもエリザの命を奪っていった運命。悲しみに沈むベクセリアの人々。思うように行かない事態に我慢がならない、とサンディは全てのものに怒りをぶつけ、毒づいていた。
対してユールは、エリザの死からずっと現実感を持てないまま過ごしていた。町長に事の次第を報告し、葬儀に立ち会っている自分を遠い所から離れて見ているような。
それは守護天使として人間を見守っていた時の距離感に近いのかも知れない。
(人間が一人、エリザさんが亡くなった。人間はいつかは死ぬもの。ですが…)
 ウォルロ村で師と共に死者の弔いに立ち会ったことは何度もある。時に死者の末期の苦しみに思いを馳せ、時に生者が死者を見送る毅然とした姿に胸を打たれた。
エリザのこともそうした数多の死の一つとして受け止めることができるはずだった。
そうでなくては、人間たちの営み全てを見守る守護天使など務まらない。
ありふれたこととして感情を処理しつつある己と、エリザを悼む周囲との温度差がユールを落ち着かなくさせていた。
サンディのように悲しみに耐えかねて怒ってみようと思っても、怒る対象が見つけられない。
(私は結局の所、エリザさんの死に納得できていない。何故彼女が死ななければならなかったのか。もっと何か出来たのではないか。放っておくとそんなことばかり考えている…) 
「君が病魔の呪いに冒されていると知っていれば、もっと急いだのに」とは、妻の亡骸を前にしたルーフィンの言葉である。
 あれ以来、彼は研究室に籠もってしまい、妻の葬儀にも顔を見せなかった。
堂々巡りの思考を抱えて街を歩くうちに、いつの間にか日が暮れ、空に星々が輝く刻限となっていた。
教会にいる仲間たちを迎えに行こう、と足を向けたユールは、墓地を通りかかった。
花々に囲まれた真新しい墓石。エリザの名が刻まれたそれの前で立ち止まる。
「本当に、死んじゃったんだね…」
「ええ…」
 墓の隣には人の良さそうなおじいさんの幽霊がいて、鼻をぐすぐすと啜っている。
「あんな若い娘さんがここに仲間入りするとはのう。何ともやりきれんわい」
「そうですよね…」
彼女たちがエリザの墓を痛ましげに見つめていると、いきなり明るい声で呼び止められた。
「ユールさん。ユールさんってば!」
 驚いた2人が振り向くと、生前の明るさそのままに屈託なく笑うエリザが立っていた。
「え、エリザさん!?」
「ちょ、マジで!?」
エリザは、「幽霊になった私が見えるなんてすご~い!」と手を打ってはしゃいでいる。
「そういえば、わしらが見えておるようじゃが…お前さんたちは一体何者だね?」
「れーのう者だよ、おじいちゃん!私はじめて見た!」
この騒がしい幽霊を一体どうしようか。ユールは途方に暮れた。

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