夜の墓地でユールたちはエリザに向かい合った。正確には、彼女の幽霊と。
「あなたは亡くなっても全然変わりませんね…」
こちらはいろいろ思い悩んで大変なんだぞ、と、ユールは視線に感情を込めて彼女を見つめてみた。
「えーと、まあ、笑いごとじゃないですよね。スミマセン。実は、ルーくんのことでユールさんにお願いがあるんです」
このままでは彼がダメになってしまう、とエリザは目を伏せた。
「よしユール。こうなったら救えるモンは何だって救ってやんなさいっ」
「でも、ルーフィンさんは研究室に閉じこもってますよ」
「そのことなら大丈夫。ちょっとしたコツがあるんですよ」
エリザに導かれ、ユールとサンディはルーフィンの研究室へとやって来た。ユールがドアをノックしてみたが、やはり応えはなかった。
「ユールさん、普通に叩いても駄目ですよ。ルーくんに出てきてもらうには、こうするんです」
コンコンコココン、コン。エリザの言う通りにドアをノックしてみた所、すぐさまルーフィンが飛び出してきた。
ユールを見た途端に、彼の顔に落胆の色が広がる。申し訳なく思いながらもユールは挨拶をした。
「あの、こんばんは…」
「今のはあなたの仕業か?わざわざエリザのノックを真似するなんて冗談にしても性質が悪い!もう二度としないで下さい!」
「…うわー、いきなり怒らせちゃったんですケド。まあ、怒鳴る元気はあるってことか」
ユールが何か言うべきか迷っていると、城壁の上から声が降ってきた
「おっ、ルーフィン先生!」
一同がびっくりして見上げると、こちらに身を乗り出すようにして若い男が手を振っていた。
「流行り病を止めてくれてありがとよ!町の連中に代わって礼を言うぜ。あとよ…。早く立ち直ってくれよな!皆あんたを心配してんだぜっ」
「な…何なんだ、一体…」
男はあっさり立ち去ったが、いきなり礼を言われてルーフィンは戸惑っている。そんな夫を見て、エリザがユールに言った。
「ユールさん。私の最期の言葉としてルーくんに伝えてください。ルーくんが病魔を封印したことで救われた人たちに会ってほしいと言ってたって」
「それはどういう…」
彼女の意図が読めず怪訝な顔をしていたら、早く早くと急かされてしまった。言われたままにユールが伝言すると、
「エリザがそんなことを…?」
俯きがちにルーフィンが言った。
「でも、ぼくは誰が病気になってたかも知らない。あの時、お義父さんを見返すことばかりに気を取られてて…。ユールさん、今からぼくを病気に苦しんでいた人たちの所へ連れて行って下さい。今更ですが、どんな人たちが流行り病にかかって、どんな思いを抱えていたか、知りたいんです。それを知れば、病気になったエリザがどんな気持ちでいたか分かると思うから」
そうして、ルーフィンはユールの案内で病に倒れた人々に会いに行った。夜遅い時刻にも関わらず、ルーフィンの姿を見た人々は口々に妻を亡くした彼のことを気遣ってくれた。
彼と共に街を歩いて、ユールは大人から子供まで多くの人が病に倒れ、苦しんでいたのだと改めて痛感させられた。
(その多くの人々をルーフィンさんが救い、そして研究第一だった彼が大きな一歩を踏み出せたのはエリザさんのおかげ、なんですよね…)
彼女が彼を信じ、力づけたからこそ、病魔を退けることができたのだ。
夫の背に寄り添うように漂うエリザの小さな背中を見つめ、ユールは言った。
「人の絆、人の縁というものには驚かされるばかりです」
「そうやって結ばれて、将来を誓い合った人を亡くすのって、どれだけ悲しいのかな…。アタシには想像できないや」
「私もです。天使には、二度と会えない別れというものがありませんから」
「そーなの?そーいや、天使のお葬式って見たことないかも」
「星になった方を弔いはしませんが、祈りはしますよ。どうか私を見守っていて下さい、と。上級天使に対する畏敬の念もあるかもしれませんね」
街の下層に降りるため、彼らは教会の前までやって来た。ルーフィンは初めて妻の墓前に立った。
「エリザ、すっかり来るのが遅くなって悪かったね。今、君の願い通り、流行り病に罹っていた人たちを訪ねているところなんだ。それで君が伝えたかったことが分かったら、また報せに来るよ」
最後に、刻まれたエリザの名に指を滑らせ、ルーフィンは立ち上がった。
「私はこっちですよー」
エリザがおどけてパタパタ手を振っているが、当然のことながら夫は気づかない。
「…向かい合って話せないの、やっぱりちょっと寂しいな」
そう言って俯くエリザに、ユールは痛ましげな視線を向けた。
そう言って俯くエリザに、ユールは痛ましげな視線を向けた。
次に立ち寄った宿屋では、病によって足止めされていた商人の夫婦に出会った。新婚だという夫はずっと倒れた妻の手を握って看病していたらしい。
妻を救えなかった自身を思い起こし、ルーフィンの表情が苦いものへと変わる。
そのせいかどうかは分からないが、夫が席を立った隙に、お礼と称して妻がいきなりルーフィンにしなだれかかってきた。
「ぱふぱふくらいなら、ダーリンもきっと許してくれるはず…」
「や、止めてください!」
「ちょっとぉ、何してくれんのこの女!じゅんじょーなルーくんを惑わせないでっ!!」
「あなた新婚なのに何やってるんですかー!旦那さんが泣きますよ!」
妙に熱っぽい視線で迫る人妻と、いろいろな意味で動揺するルーフィンと、激怒するエリザを宥めながら、ほうほうの体でユールたちは宿屋を後にした。
その後も、ユールたちは夜を徹して街中を歩いて回った。ひたすらに街の人々の話を聞き、それぞれの思いに向き合った。
一通り訪問を終え、自分の感情の落とし所を見つけたのか、ルーフィンは憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔をして言った。
「もう十分です。ユールさん、案内してくれてありがとうございました。おかげでエリザの言いたかったこと、分かったような気がします」
研究室へ戻るために、上層への階段を一歩一歩登って行く。彼は歩みに合わせ、言葉を噛み締めるように話した。
「今までのぼくは何をやるにも自分のことばかりで、周りが見えていなかったんですね。だからエリザの体調がおかしいことすら気づかないで…全く情けない話です」
階段の横に広がる墓地で再び妻の墓前に立ち、ルーフィンは目を伏せた。エリザが夫の肩に触れようとするが、すり抜けてしまう。
「街を回ってみて、初めて自分がいかに多くの人々に関わっているのか気づきました。これからはそのことを忘れず、このベクセリアの人々と共に生きていこうと思います」
ユールたちは墓地を出て、風に吹かれながら歩いた。城壁の向こうに広がる白み始めた空と彼方に広がる平原を…数日前に自分が使命を持って歩いた道を眺めながら、ルーフィンが言った。
「皆に感謝されるのも、悪くない気分ですしね」
「…ええ、あなたはそうでなくては」
久々に聞いた気がする「ルーフィン節」に、ユールは何だか嬉しくなってしまった。
そのまま言葉もなく、彼らは刻々と色を変えていく空を、大地を眺めていた。
つんつんと不意に肩をつつかれたユールが振り向くと、満面の笑みを浮かべたエリザがいた。
「ルーくんを助けてくれて、本当にありがとうございます。おかげで私、死んでるのに自分の夢を叶えることができちゃいました。ルーくんの凄い所をベクセリアの皆に知ってもらうこと、そして…ルーくんにこの街を好きになってもらうこと。それが私の夢でしたから」
夫の背を見つめながら幸せそうに微笑む彼女だったが、そうそうゆっくりもしていられないらしい。彼女の体から青白い光がぽつぽつと流れ出していた。
「そうか、日の出が近いのですね」
「ええ、もう時間みたい…。それじゃあこれでお別れです。どうか、ユールさんも皆さんもお元気で…」
最後まで夫を見つめながら、エリザは光と共に消えていった。
彼女が消えた先をいつまでも眺めているユールに、ルーフィンが声を掛けた。
「…ユールさん。今日はこんな時間まで付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。あなたももう休んでください。ぼくは少し考え事がしたいので、しばらくこのまま起きています」
「いえ、私は何も!ただあなたについて行っただけですし。…では、おやすみなさい。あまり無理をなさってはいけませんよ」
思索の邪魔をしては悪いと、ユールとサンディは仲間たちのいる教会へ戻ることにした。
「あー、もうすっかり朝ですね」
ついに顔を出した太陽が眩しくて、ユールは目を細めた。
「つーか、星のオーラで街中が昼間みたいに明るいんですケド。エリザさんが太陽を連れて来てくれたのかな?明るさ2倍3倍ってカンジ?」
「今ここでオーラが見えないのが悔やまれてなりませんよ…」
天使なのにと落ち込みつつ、これでこの街に暖かさと明るさが戻ればいいな、とユールは思った。
まだ寝ているだろう仲間たちを起こさないよう裏口から教会に戻ったユールだったが、3人ともしっかりばっちり起きて彼女を待ち構えていた。
「こんな時間までどこにいたのかな?帰りが遅くなるならちゃんと連絡しなさい」
「ははは、朝帰りの理由を聞くのは野暮だぜ、店長」
「いや、その、朝帰りとかそれどころではなくてですね…」
アスラムは修練で、セラパレスは錬金レシピの研究で、夜明け前から起きていたらしい。
「何か良いことがあったみたいね、ユール。顔が明るいわ」
謎の理由で起きていた(聞こうとしたら笑って誤魔化された)メルフィナに問われ、
「はい、ルーフィンさんと話をしてきました。彼も、この街も、もう大丈夫だと思います」
幽霊だの天使だのといった細かい事情は省きつつ、ユールはにっこり笑って答えた。
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