ルイーダの酒場は、宿屋の食堂を兼ねている。
宿自体にも食堂はあるのだが、少ない宿泊客と配膳を行う従業員との兼ね合いで、そういうことになった。
現に今も、昼夜を問わず酒場に出入りする冒険者と地元民が席の大半を占めており、宿の客は片手で足りるほどだ。
もっと宿泊客が多かった時分には、階上の大ホールが連日満員になるほどだったと言う。
(そのうちまた、大ホールに人がひしめくようになるでしょうが…)
リッカにかかればそれも時間の問題だと、ユールは全く心配していなかった。
朝の酒場は忙しい。夜通し酒を飲んだ酔っ払いが、これから仕事に向かう人々が、さまざまに料理を注文してくる。
店内を切り盛りしているのはジェームズだ。常連客の「いつものやつ」というあいまいな内容でも難なくこなしている。
今日も早起き…というか寝ていないユールは、朝食の配膳を手伝って厨房と酒場を行ったり来たりしていた。
「はい、いつもの4つ!お待たせしましたー!トマトの人は?」
「おう、オレオレ」
「ハムはオレのだ!」
「いや、オレだよ!お前いつもチーズだろっ」
鍛冶職人4人組にそれぞれ具の違うサンドイッチと飲み物を差し出して、別のテーブルでは食べ終わった食器を回収して、また新しい料理を持って飛び出していく。
「これは赤いチョッキの人のいつもの。こっちは白ヒゲのじいさんのいつもの。で、そっちがブロンドのお嬢さんのいつもの。はい、よろしく」
「え、全部いつもの!?」
「ははは、一回しか言わないよ。どんどん忘れちゃうからね」
ジェームズの鬼のような指示は、最初は呪文のようだった。見習い時代に鍛えた記憶力と瞬発力でどうにかついていけているが、油断するとたちまちどこかで何かが混ざりそうになる。
サンディは酒場のカウンターの端に陣取って、いろいろつまみ食いに忙しい。
「食べてないで手伝って下さいよ!」
「アタシ、そんな重いの運べないしぃ~。ま、せいぜい頑張りたまえっ」
ユールが小声で抗議しても、どこ吹く風だ。
数刻後、戦場のようだった朝の混雑が収まり、ユールはよろよろと宿のロビーに這い出た。そこで、ちょうど入口から入ってきたセラパレスに呼び止められた。彼は大きな袋を抱えている。
「あ、セラパレスさん!おはようございます」
「おはよう。…何だか随分疲れているね。昨夜よく眠れなかったのかい?」
「いえ、ロングドレスの青ヒゲにトーストを…じゃなかった、宿の朝ごはんの手伝いをしてきたんです」
「ははは、お疲れ様。…実はエラフィタへ発つ前に、城への配達を済ませておきたくてね。構わなければ君たちだけで先に行っててくれないか」
「いや、待ちますよ。まだ誰も起きてきてませんし、むしろその配達お手伝いします!」
カウンターにいるリッカにアスラムたちへの言伝を頼み、ユールとサンディはセラパレスと共に城へと向かった。
今日のセントシュタインは薄曇りで、やや風が冷たい。雨にならなければ良いが、と彼女は気遣わしげに空を見上げた。
以前、黒騎士討伐の志願者を募っていた立て札は、既に内容が書き換えられていた。
(我が国を脅かした謎の黒騎士を、ユールという勇敢な旅芸人が見事打ち負かした!しかし、謎の黒騎士は未だこの辺りをうろついている模様。国民一同、注意を怠るべからず。やっぱりこうなっちゃいますかね…)
「黒騎士がまだうろついてんなら、打ち負かしたことにならなくね?コラ旅芸人仕事しろー、みたいな?」
「うっ…仕事はきちんとやったじゃないですか」
立て札を見てどんよりしているユールを気遣って、セラパレスが声を掛けた
「まあ、黒騎士の脅威が去ったのは事実なのだから。気にすることはないよ」
「…そうですね。ありがとうございます。あ、そういえば、マニーさんは無事に隙間から出られたんでしょうか」
城の医務室で配達の荷を開封しながら聞いてみた所、昨夜から今朝にかけてマニーという大男は来ていないとのことだった。
「もしかしてまだ挟まったままなのでは!?」
「厨房の物置でしょう?そんな状態だったら、朝食の支度の時に誰かが気づいてますよ」
大男の身を案じて青ざめるユールを医務官のバートンが宥めた。
側のベッドで包帯を替えてもらっていた兵士長が、ユールに気づいて話しかけてきた。
「む、おぬしは確か黒騎士を倒しに向かった者だな?何とも信じがたいことだが…おぬしのどこにそんな力があるというのだ」
「いえ、私一人ではとても敵わない相手でした。仲間がいなかったらどうなっていたことか」
「はっはっは、そう謙遜するな。幼いながらもあっぱれな旅人だ!これで陛下も枕を高くして眠れるというものよ!」
そんな時に兵士長たる自分が不在では情けない、とベッドから降りようとする彼を総出で押し留めた。まだまだ安静が必要な身だ。
「あれ、お隣の方。顔色がお悪いようですが、大丈夫ですか?」
兵士長の隣に横たわっているのは、先日、上司の胸を暑苦しい眼差しで凝視していた若い兵士だ。
「…ボクには兵士長の傷が日に日に癒えていくのが分かる…。この幸せもあと僅かなのです」
(ああ、また変な方向に思いつめちゃって…)
うつろな目で返事をされ、ユールがセラパレスに助けを求める。彼は苦笑いで首を振った。
「こーゆーの、外野が下手につつかない方がいいのよネ」
横でサンディがうんうんと頷いている。疎いなりにも何となくその辺の事情が察せられ、ユールは無言でその場を離れた。
城での用事を済ませたユールたちが宿屋に戻ると、カウンターの前でアスラムとメルフィナが待っていた。
「あんたら、早起きだな」
「君は寝すぎだ」
「…手厳しいねぇ」
アスラムがあくびをかみ殺した。
「あ、姐さん、オハヨー」
「おはよう。あなたも早起きね」
「なんつーか、付き合いってヤツ?」
「ちょっ!ちょっと待って下さい姐さんって。昨夜あんなに悶々としてたのに、順応力ありすぎですよサンディ」
ごく自然に会話しているサンディとメルフィナについていけず、ユールは眩暈を覚えた。
「何よー、天使的にはアリなんでショ?」
「新しいお友達と仲良くできて嬉しいわ」
うふふと笑い合う彼女たちに何も言えなくなってしまう。
「いや、大変喜ばしいことなんですけどね。まだちょっと納得が…」
「おーい、ユール。そろそろエラフィタ行こうぜ」
混乱気味のユールに、アスラムが声を掛けた。
「あ、そうですね!えーと皆さん準備はよろしいですか?キメラの翼投げますよ?」
「ここじゃなくて外に出てからにしてくれ。天井に頭をぶつけたくないんでね」
肩をすくめる武闘家に、魔法使いがにこりと微笑んだ。
「衝撃で目が覚めるんじゃないかしら」
軽口を叩きあいながら宿屋の外に出た4人は、キメラの翼でエラフィタへ飛んだ。
都会の喧騒から一転、のどかな空気と土の匂いの中、エラフィタへ降り立つ。相変わらずの曇り空ながら、風も何となく暖かいような気がする。
狭い村なので、フィオーネ姫のばあやはすぐに見つかった。ご神木を回り込んだ先に小さな民家があり、そこで夫とのんびり2人暮らしをしているということだった。
ユールがコンコンとドアを叩くと、小さなおばあさんが2人、にこにこしながら出迎えてくれた。
「あの、すみません。昔お城に勤めていたという方がこちらにいると伺いまして…」
ユールの問いかけに2人は顔を見合わせた。結った髪も顔も手も丸いおばあさんが、ころころ笑いながら言った。
「それはソナちゃんね」
隣で、結った髪も顔も手もすらりと細いおばあさんが、ソナでございますとお辞儀をした。
「見たところ旅人さんのようですが、一体どんなご用件ですかな?」
「あなたが小さい頃のフィオーネ姫様に歌ってさしあげていたというわらべ歌のことが気になりまして。是非お聞かせいただければと」
「彼女は旅芸人なので、この地方に伝わる古謡に興味があるようです」
セラパレスが言った。2人はそっくり同じように目を丸くして、ユールを見た。
「まあまあ、小さいのに勉強熱心だねぇ」
立ち話も何ですからと室内に招かれ、4人は居間のテーブルに腰掛けた。木製の家具とクッションが何とも素朴な雰囲気を醸し出している。
「それじゃクロエちゃん。合いの手をお願いしてもいいかの?」
「黒薔薇わらべ歌だね?お安いご用さ。それじゃあ、行くよ…。よい、よい、よいっとな」
向かい合わせに腰掛けたソナとクロエは、ぱんぱんと手を打ち鳴らし、ゆっくりと歌い始めた。
闇に潜んだ魔物を狩りに
黒薔薇の騎士立ち上がる
見事魔物を討ち滅ぼせば
白百合姫と結ばれる
騎士の帰りを待ちかねて
城中みんなで宴の準備
「あ、ソーレ。それから騎士様どうなった?」
クロエが節回しも軽やかに、合いの手を入れる。
北ゆく鳥よ 伝えておくれ
ルディアノで待つ白百合姫に
黒薔薇散ったと伝えておくれ
北ゆく鳥よ 伝えておくれ
黒薔薇散ったと伝えておくれ
わらべ歌にしては、どこか陰のある旋律が妙に耳に残る。
「黒薔薇、散った…?」
「北行く鳥、というのも気になるわね」
「はて、皆さん大丈夫ですかのう?」
歌を聴いた全員が何やら深刻そうな顔をしているので、ソナとクロエに心配されてしまった。
「魔物を倒すべく城を出た騎士と、その帰りを待つ姫様のお話が、わらべ歌の元になっているのよ。結局、騎士は帰らず、2人は永遠に結ばれなかったんだけど、切ない話よね。…それにしても、ソナちゃんと2人でわらべ歌を歌ったのなんて何年ぶりかしら」
うふふと嬉しそうに笑い合う彼女たちに、ユールは問いかけた。
「歌に出てくる騎士や姫について、何かご存知ではないですか?騎士の名前とか、どこに住んでたとか」
「ソナさん、ルディアノってのはこの近くのことなのかい?」
「それがよく分からなくてねえ。歌に出てくる鳥と同じように、北に向かってみてはいかが?」
ルディアノに関する手がかりを得たユールたちだったが、ソナたちの心づくしの歓待についつい長居をしてしまい、結局家を出たのはもうじき日が暮れようという頃合いだった。
「若い人たちがたくさんいるからって、婆さんたち、すごい張り切りようだったな」
「ルディアノの謎が解決したら、お土産を持ってご挨拶に来ましょうね」
「では皆さん。手がかりも得ましたし、今夜はここで宿を取り、明日から北の探索をすることにしましょう」
宿の部屋に荷物を置いた後は自由行動。メルフィナとセラパレスは買い物がてら教会の図書室へ調べ物に行き、ユールとアスラムは村の外へと向かっていた。
「木こりのトムが戻らない」と宿の女将が心配そうにしていたので、散策も兼ねてちょっと探しに出てみることにしたのだった。
いつの間にか雲が晴れ、ご神木も家々も見事な茜色へと染め上げられている。もう間もなく日没。夜の闇に包まれるまで、残された時間は少ない。
ユールたちが天使像の前を通り過ぎようとした時、前方がにわかに騒がしくなった。遠くから男の悲鳴が聞こえてくる。
「何だ?」
村に駆け込んできたのは、小太りの若者だった。背後に黒く大きな影が迫る。長槍こそ携えていないが、若者を追いかけて馬を走らせるその姿は忘れようが無い。
「レオコーンさん!?」
ユールは助けてくれとわめきながら抱きついてきた若者を支え、眼前に立つ黒騎士を見上げた。
黒騎士もこちらに気付いたようだ。ゆっくりと馬を進めてくる。
「そなた、何故ここに…?」
彼の話す古語を呪いか何かと勘違いしたのか、若者が竦み上がった。
「こいつ…魔物の下僕なんだろ!?オラ、森の中でこいつのことを探してる女の魔物に出会っただ!真っ赤な目を光らせながら、我が下僕、黒い騎士を見なかったかってよ!」
ユールが若者の言葉を通訳すると、黒騎士は憤然と吐き捨てた。
「この私が魔物の下僕だと…?何をバカなことを…!」
「落ち着いて下さい、この人がますます怯えてしまいます」
2人のやり取りを他所に、アスラムが若者へ声を掛けた。
「あんたがトムだな。とりあえず話は分かったから、今のうちに戻った方がいい。後はこっちに任せろ」
「オラ、ウソついてねえだ!森の中であの黒騎士を探してる女のバケモノに会ったんだよ!そんな騎士知らんっちゅうたら、北の空へ飛んでいっちまっただ!おねげえだ、信じてけろ!」
「分かったから。ほら、さっさと行け」
こけつまろびつ逃げていくトムを見送ってから、アスラムはため息をついた。
「全く人騒がせな騎士さまだな。行く先々で騒ぎを起こしやがって」
ユールがそのまま彼の言葉を通訳してしまい、黒騎士が苛立たしげに鼻を鳴らした。
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