夜の城はあちこちが漆黒の闇に沈んでいて、大層不気味だった。
それでも謁見の間には蝋燭がふんだんに灯されていて、昼のような明るさを保っていた。
ユールたちは明日報告に向かおうと思っていたのだが、城門前には「ユールが戻り次第、城へ連れて参れ」という王命を受けた兵士が待ち構えており、深夜にも関わらず登城することとなったのだ。
「おお、ユール!待ちわびたぞ!さあ早くこちらへっ!」
満面の笑みを浮かべてユールたちを手招いた国王の顔が、報告を聞くなり激しい怒りで歪んだ。
「何?黒騎士は記憶を無くし、フィオーネのことを婚約者と見間違えていただけだっただと?奴はルディアノという国を探しているため、もうこの城には近付かないというのか。…おぬしはその言葉をそっくり信じて帰ってきたのか!そんなもの、口から出任せに決まっておろう!」
「…だーから、嫌だったのに」
小さく、アスラムがぼやいた。堅苦しいのは御免だと同行を渋っていたのだ。
「お父さま!何故そこまで黒騎士のことを悪く言うのです?」
ふん、と王は腹立ちも露に鼻を鳴らし、娘の問いに答えた。
「ルディアノという国など聞いたことがない。奴は出鱈目を言っておるのだ!よいかユール。黒騎士はフィオーネを狙って再びこの城にやってくる腹づもりよ。奴の息の根を止めるまでは、おぬしへの褒美もお預けじゃ!」
(褒美などどうでもいいんですが)
ユールはそう言いたいのを堪え、黙って叱責を聞いていた。姫が大きな瞳を潤ませながら、父王に縋る。
「何故、信じてあげられないのです…?あの騎士は本当に国に帰れず、困っているかもしれないのに…」
「フィオーネ。全てはお前を想ってのことだ。聞き分けなさ…あっ、これ!」
父親の頑迷さに耐えられず、フィオーネは辞去の挨拶もせずに走り去っていってしまった。
娘の態度に釈然としないものを覚えながらも、王はユールに再び黒騎士抹殺を厳命した。
謁見の間から退出するや、各人の口から次々に愚痴がこぼれ出る。
「聞く耳持たぬって感じでしたね」
「嫌だねえ、お偉いさんってのは。事実を認めずに痛い目見てから、また大騒ぎすればいいさ」
「娘が心配なのは分かるが…程度問題だ」
「黒騎士をどうするか考えるのは明日にして、今日はもう休みましょう」
階段を下りる3人に続こうとしたユールを何者かがむんずと掴み、柱の影へ引っ張り込んだ。
「キャー!ちょっとユール!どうしたの!?」
「む…!むー!むー!」
サンディの悲鳴に答えたくとも、口を塞がれているので声が出せない。
動作は荒々しかったが、彼女を抱え込む腕は柔らかかった。何やら甘い、花のような香りもする。
「ユールさま…!」
(フィオーネ姫!?)
「ちょっ!姫じゃん!」
サンディの叫びが推測を裏付けてくれた。ユールの口に手を当てたまま、フィオーネ姫はユールへと向き直り、言った。
「私、お話ししたいことがあるのです。人に聞かれると差し障りがありますので、私の部屋までいらして下さい。ルディアノ王国の、ことですわ…」
「むー、むむー?」
ユールは3人が降りていった階段を指差した後、その指をまっすぐ上へ一本立てた。
「ええ、お一人で」
拉致同然に連れ込まれたフィオーネ姫の自室は、明かりを全て落としており、大きな窓から差し込む月明かりでお互いの顔が判別できるといった有様だった。
「密会、逢引き、不道徳ってカンジー」
「何でそうなるんですかっ」
サンディの不謹慎な発言を嗜め、ユールは姫が話し出すのを待った。
「お呼びたてして申し訳ありません。この話を父に聞かれると、また反対されるだけですから…。実は私、ルディアノ王国のことを耳にしたことがあるのです」
「マジで!?」
サンディが叫び、ユールが目を丸くする。こんなに身近にルディアノの手がかりがあるとは、と驚きを禁じえない。
「昔、私のばあやが歌ってくれたわらべ歌の中に、ルディアノという国の名前が出てきたのです。もしかしたらその歌が何か手がかりになるかもしれません!城でのつとめを終えた後、ばあやは故郷エラフィタへ戻り、今も元気に暮らしています」
「エラフィタなら、昨日行ってきましたよ」
「まあ、それは何よりですわ!」
ぱっとユールの手を取り、己が両手で押し抱くようにして、フィオーネが言った。
「あの黒騎士は父の言うような悪い人ではありません。そんな気がしてならないのです。ユールさま…。どうかあの方の、レオコーンさまのお力になってあげて下さい…」
「はい!お任せ下さい、姫様」
この返事を聞いて、固く張りつめていた姫の表情がほころび、笑顔になった。
ユールも姫と同じく、愛しの姫を真摯に想う黒騎士の姿に嘘はないように思うのだ。
その後、姫の侍女に出口まで送ってもらったユールは、無事に皆と合流できた。深夜で人目を憚ったこともあり、城の厨房から裏口へ抜ける手筈になっていたのだった。
「どこに行ってたんだ?いきなり消えたから驚いたぞ」
「後でご説明しま…うえええっ?」
アスラムと話していたユールが、素っ頓狂な声を上げた。
厨房の外には立派な作りの井戸があり、そこから大柄な男が生えていたのだ。
井戸に潜る途中なのか、井戸から出ようとしている最中なのか、その体勢からは判断が難しい。
「こんな夜中にどうしたんだ、あんたら」
それはお互い様だと思いながら、ユールは彼に尋ねた。
「何故、井戸に、あなたは…!」
それには答えず、よいしょと井戸から這い上がってきた彼は、てらてらと濡れて光っていた。隆々とした筋肉の凹凸が濡れて一層際立っている。
「こないだの地震のせいだと思うんだが、そこの物置にひび割れができててな。塞ぐ時にちょっと奥を覗いてみたんだ」
「ああ、隙間の向こうって妙に気になりますよね」
「そうだろう。で、向こう側に部屋っぽいものが見えたんだ。気になるだろう?どんな部屋か」
「ええ、すっごく気になりますね」
「で、何とかひび割れを通り抜けようと、俺は全身にいろいろな物を塗ってみた。油、塗り薬、井戸のコケ、どくどくヘドロ…しかしどれも駄目だった。ぬめぬめが足りないんだ」
「はあ、ぬめぬめが」
ユールと大男がぬめぬめ言い合っている間、他の3人とサンディは遠巻きにそれを眺めていた。
「ぬめりの問題なのかしら。彼、随分大きいわよ」
「彼が抜けられるようなひび割れは、もう穴なんじゃないのか」
「あのー、どなたか。他のぬめぬめに心当たりのある方は…」
何とか彼の力になれないか、と思ったユールが、無邪気に一同に問いかける。
「いや…。悪いが、ぬめぬめには縁遠い人生を送っててね」
「あ!スライム何匹かすり潰して塗ったらいいんじゃね?生きてる奴じゃないと潤いが出ないケド」
「生きたままのスライムを!?そんな残酷な!」
サンディの恐ろしい提案を、ユールは即座に却下した。傍目には一人でひらめいて断念しているように見えただろう。
「そうよ、スライム」
ぽむ、とメルフィナが手を打った。彼女は衣服の隠しを探り、小瓶を一つ取り出した。透き通った青い液体が入っている。
「スライムゼリーか!」
一同が、おおーっと拍手をする。満更でもなさそうにメルフィナがにっこりと笑った。
「で、そのひび割れは何処なのかしら?」
マニーと名乗った大男に案内され、ユールたちは物置へと入った。中は、マニーの用意した蝋燭でほのかに明るかった。
「ほら、そこのひび割れから風がヒューッと来るだろう?奥に何かがあるはずなんだ」
スライムゼリーを全身に塗りたくりながら、マニーが説明した。筋骨隆々とした大男が惜しげもなく裸体を晒し、ぬめぬめとテカリを増していく様は、かなり目のやり場に困る光景だ。
ユールたちは彼の支度がが終わるまで、穴を開ける勢いでひび割れを凝視していた。
「よし、準備完了だ。入ってみるぞ」
むっ、ふんっ、と息を抜きながら、マニーは僅かな隙間に慎重に体を入れていく。ズリズリと順調に行っているかに見えたが、何かがつかえているのか、ある一点でどうしても進まなくなってしまった。
「やっぱりデカすぎたんだよ、あんた」
「いっそひび割れの周りを壊して穴を広げるってのは、ナシ?どーせ修理するんだし」
「マニーさん。大丈夫ですか?」
半端にひび割れに体を入れた体を押し込んだマニーは無言だ。微動だにしない。
「…抜けない」
ぽつりと彼が呟いた。
「おいおい、勘弁してくれよ!」
「引っ張り出しましょう!今助けますからね!」
「うっ…。ぬるぬると掴みづらい…」
スライムゼリーのぬめりは伊達ではない。マニーを引っ張り出そうと掴む端からツルツルと滑ってしまう。
「これでは埒が明かない。誰か呼んで来ましょう!」
「止めとけ。深夜に何やってんだと思われるだろ」
「何って何ですか。探検ですよ、隙間の向こうのロマンですよっ」
「いや、皆。心配かけてすまないな。俺なら大丈夫だ。自力で何とかしてみせるさ。…とりあえず、スライムゼリーありがとな」
騒ぐ一同に、マニーは静かに声を掛けた。抜けなくなった本人が一番落ち着いている、というのも妙な話だ。
今度はぬめぬめしていない時に会いしましょうと約束し、ユールたちは物置を後にした。
城を出て、宿へ向かう帰り道。ユールはフィオーネ姫から聞いた話を皆に伝えた。
「わらべ歌…。おとぎ話は史実を元にしたものも多いから、かなり有益な情報でしょう」
「…それに、ルディアノは確かにこの近くにあるのです。城が残っていたとは知りませんでしたが」
「何だって!?」
天使界で学んだ知識がここで生きるとは、と感慨深くなりながら、ユールは語った。
「ルディアノは、常に瘴気に覆われ、暗雲が立ち込める不毛の大地。とても人が住める状況ではありません」
待ってくれ、とセラパレスが片手を挙げて皆の注意を引いた。
「具体的にはどの辺りにあるんだ。セントシュタインの国土には、そんな荒野は無かったはずだが」
「そこまでは…。シュタイン湖よりもっと奥、北の方角としか分からないのです。実は私も人伝に聞いた話と、地図でしか見たことがないので…。この辺りの詳しい地図を見せていただければ、それらしい場所が特定できるかもしれません」
「シュタイン湖の北には、エラフィタ村があるわね」
メルフィナの指摘に、アスラムも頷いた。
「実際にその辺りに行ってみないことには何とも言えない、か。とにかく明日はエラフィタだな。そうと決まれば、さっさと宿に戻って休もうぜ」
「あ、そういえば夕飯がまだでしたね!」
「今から食事をすると、眠れなくなりそうね」
ユールたちは酒場でごく簡単な夕食を済ませた。その際に宿にある地図を見せてもらったが、やはりルディアノらしき場所はどこにも書かれていなかった。
セラパレスは自宅へ戻り、残る3人もそれぞれの部屋へ戻っていった。
夕食後からサンディの姿が見えない。おそらく遊び歩いているのだろうと見当をつけ、ユールが部屋で着替えていると、ぽかぽかとドアを叩く音がした。
「あれ。どこに行っていたのですか?」
「…あの魔法使いの部屋」
腕も翼も脱力しきったサンディが、よろよろと部屋へ入ってきた。
「珍しいですね。でも、お邪魔だったのでは?」
「あの人、アタシがばっちり見えてるらしくて。その理由を聞き出してやろうと思って、突撃したのよ」
「やっぱりサンディが見えるんですね!すごいな…ここだけの話、メルフィナさんは私の正体もしっかり正確に把握しているようですよ」
「何ソレ!?一体何者なのよ、あの人は!」
サンディはベッドにうつぶせになり、じたばた手足を振り回している。
「それで、見えてる理由は何だったんですか?」
「…体質だって。でもそれってありえなくね?ただの人間がだよ!?ワケが分からないんですケド!」
「もう謎の体質ということにしておけば良いのでは?姿が見えて声も聞こえているとなれば、この先何かと便利でしょうし」
「…そっか。女子だけの秘密ってワケね。うーん、悪くないかも知れないけれど、それって、それでいいのかな?」
「天使的には、アリだと思います」
あっさりと言い放ったユールに、サンディが食ってかかった。
「アリなんだ!?さっきだって人間に不用意にルディアノの情報バラすし!守護天使としてどーなの?」
「私は問題ないと判断しました。…さて、あなたはまだ寝なくて大丈夫なんですか?翌朝辛くても知りませんよ」
「寝たいのは山々だけど、あのぬめぬめ男が夢に出そうでイヤ!」
勝手にしなさい、と、ユールはサンディを放っておくことにした。
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