2010年10月27日水曜日

想い

 奥へ行っていたリッカが戻ったのを期に、ルイーダは風呂へ、ユールは鍋を持ってリッカの家へと向かった。
 家のドアの前でうろうろしている男性がいたので、ユールは声を掛けようとして思いとどまった。彼の体が青く透けている。
 またか、と思いつつ、彼女は天使の口調で男性に話しかけた。
「何かお悩みですか、人の子よ」
 うひゃうっ、と妙な声を上げながら、男性が振り向いた。そのおっとりとした顔に見覚えがあった。
「あなたはキサゴナ遺跡の!村までついて来ちゃったんですか!?」
 遺跡で出会ったおじさんの幽霊も、思わぬ再会に驚いているようだった。
「遺跡でも村でも、やっぱり私の姿が見えるんですね…全く不思議な人だなあ。そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、リッカの父親のリベルトと申します。流行り病でポックリ逝って以来、ごらんの通り、未だに地上を彷徨っています。ところであなたは…」
「ユールです。お嬢さんには大変良くして頂いているのですが、同時に多大なご迷惑もおかけしておりまして。申し訳なく思っております」
「いえそんな。…あれ、ユールって…んんっ!?まさかあなたは守護天使さま!?」
 そうですと返事をしようとした所へ、何かが彼女の後頭部にぶつかってきた。衝撃で鍋を落としそうになり、ユールは慌てて取っ手を掴み直した。
「な、何!?」
「いったぁーい…ちょっとぉ、ボケっとしてないで上手くかわしなさいよぅ!」
 振り返ると、小さな羽根を持つ妖精(?)が顔を押さえて身悶えていた。
「突然背後からぶつかってきておいて避けろとは何ですか。無茶を言わないで下さい」
「察知しなさいよ、ビビッと!…ま、それはいいや。そこのおっさん!あんたの発言、聞き捨てならないんですケド!今、天使とか言ったよネ?何となくそうかなーとは思うけど、この人には頭のワッカも背中の翼も無いのよ!これって変くね?」
「そう言われれば、確かに。でも変というなら、あなたの方が…一体どちら様で?」
 至極もっともな質問をしたリベルトに、腕組みをしてふんぞり返った妖精(?)が答えた。
「聞いておどろけっ!アタシは謎の乙女サンディ。あの天の箱舟の運転士よっ!」
「…は、はぁ」
 事情を知らないリベルトの反応は薄かったが、あの輝かしい箱舟の運転士が目の前に!とユールは目を見張った。金髪に浅黒い肌、淡いピンクの羽根は6枚、羽根と同じくヒラヒラした衣装は大胆にフトモモをさらけ出すデザインで、おまけに頭に花も咲いている。ある意味、箱舟並みに眩しい少女だった。
 ただ、サンディはかなり小柄で、ちょうどユールの持つ鍋にすっぽり入るくらいである。鍋と比べなどしたらまたうるさそうなので、ユールは賢明にも沈黙を守っていた。
「…さて、このアタシに名乗らせたんだから、あんたも自分の正体教えて欲しいんですケド?どう見てもただの人間なのに、天の箱舟やユーレイが見えちゃうあんたは一体何者なの?」
 どこから話をしたものかと逡巡しながら、ユールはこれまでのいきさつを手短に話した。
「なーんか信じられないんですケド」
 サンディの正直すぎる感想に、ユールはげんなりした。
「私だって未だに信じられないですよ、本当にありえない…」
「翼やワッカをなくしたのに、魂を見る力は残ってるって、何そのハンパな状態?もしどうしても天使だって認めてほしいなら、魂を昇天させてみなさいっての!それができてこその天使よ!ちょうどユーレイのおっさんもいることだし」
「ええっ!わ、私ですかぁ?そりゃ私だってこのままでいいとは思ってませんけど…」
 サンディの無茶振りにリベルトが慌てている。長く地上をさまよった幽霊とはいえ、お試しで昇天させるのはさすがに申し訳ない。ユールはリベルトにおずおずと向き直った。
「突然で恐縮ですが、私はこの村の守護天使ですので、万事お任せ下さい」
「お、おかしな話になってきましたな…。ともかく、よろしくお願いします」
「それで、あなたの未練とは、やはり娘さんのことでしょうか」
 リッカの話を切り出すと、リベルトの表情が曇った。
「ええ…私が夢を叶え、去った街に、今度はあの子が行くことになるとは。皮肉なものですね」
「娘さんはまだ迷っておられます。記憶の中のあなたと、話に聞いたあなたの姿がかけ離れているので、戸惑っているのでしょう」
 無理もない、と彼は目を伏せた。
「幼い頃のリッカはとても病弱でした。あの子のためを思って、私はこの村に帰ってきたのです。それが死んだ妻の…あの子の母親の願いでもありました。私は母親を亡くしたリッカを連れ、この村に戻り、そして宿王のトロフィーを封印したのです」
「宿王のトロフィー?この村にあるのですか?」
 ユールは驚いて聞き返した。
「後ほど、ご案内します。…私は村へ戻ると決断したことを後悔してはいません。それは本当です。ただ、自分の夢をすっぱり諦められるほど強くはなれなかった。くり返しますが、悔いていたのではないんです。ただ懐かしかった。あのトロフィーがある限り、いつまでも思い出を手放せない。だからあれを封印したんです」
 最後の方はもう涙声だった。星々が輝く夜空を見上げ、リベルトは言った。
「あのトロフィーには、セントシュタインでの私の全てがつまっている。そんなものをあの子が見たら、何て思うか…」

 ユールとサンディはリベルトが落ち着くのを待って、彼の記憶を頼りにトロフィーを探し出した。
「キラッキラしてて、眩しーんですケド」
 ユールの持つ鍋のフタに腰かけ、サンディが言った。リベルトは何とも言えない目で掘り起こしたトロフィーを見つめている。触れようとして思いとどまり、きつく握られた彼の手を見て、ユールは痛ましく思った。
 片手にトロフィー、片手に鍋(と、サンディ)、背後にリベルトを伴ったユールが宿屋に戻ったのは、日付が変わろうという刻限だった。
「あれ、ユール!?お鍋どうしたの?それは一体何…?」
 宿屋のカウンターで一人ぽつんと座っていたリッカは、随分前におつかいに出たはずの少女が持ち込んだものに驚いていた。
 ユールは無言でトロフィーをカウンターに置いた。台座に彫られたリベルトの名とセントシュタイン国王の名、そして「汝を宿王と認め、これを贈る」という一文を見たリッカは激しく動揺した。
「これ…ルイーダさんの話は本当だったんだ!?でも、だったらどうして父さんは宿王の地位を捨ててまでウォルロ村に帰って来たの?父さんが何を考えてたのか私にはサッパリ分かんないよ!」
「…そのことについては、わしから話そう」
 宿屋の玄関には、いつの間にかリッカの祖父が立っていた。彼は戸口でひっそり佇むリベルトをまるで見えているかのように避け、ゆっくりとカウンターの前まで歩いてきた。
「おじいちゃん…」
「リベルトから口止めされていたので、ずっと黙っていたが…もう話してもいいだろう。リッカや…お前は自分が小さい頃病気がちだったことを覚えているだろう?」
「うん。でも私は元気になったよ。身体が弱かったことなんて忘れてたくらい」
「それはこの村の滝の水…ウォルロの名水を飲んで育ったおかげじゃろう。ウォルロの名水は身体を丈夫にし、病気を遠ざけるというからのう」
「じゃあ…じゃあ父さんがセントシュタインの宿屋を捨てて、この村に戻ってきたのって…?」
「さよう。あいつは自分の夢よりも娘を助ける道を選んだのじゃよ」
 リッカの目に涙が滲んだ。
「私が…父さんの夢を奪ったんだ…」
 戸口に凭れたリベルトが、俯いたまま「違う」と何度も首を横に振っている。
「そう思わせたくなくて、あいつは口止めしていたのじゃろうな。だが、今のお前ならこの事実を受け止めることができると、わしは信じておるぞ」
 リッカはしばし無言で立ち尽くしていたが、目元を拭って顔を上げた。
「・・・そっか。父さんは私のために…。ねぇ、ユール。私セントシュタインに行くことにするわ。私に何ができるか分からないけど、ルイーダさんの申し出を引き受けてみるよ!」
 リッカの顔に浮かぶ決意を見て取ったユールは、彼女を力づけるように微笑んだ。
「ええ。リッカなら大丈夫。私はそう信じています」
 ありがと、とまだ潤んだ目でリッカが笑う。孫娘の健気な姿に、老人がしみじみと言った。
「やれやれ。慌しいことじゃな…。いつかこんな日が来るとは思っていたが、この子が行ってしまうと寂しくなるのう」
 彼の視線は、戸口で男泣きに泣き崩れるリベルトに優しく注がれているように、ユールは思った。
 その後、ユールもリッカの祖父も朝食の入った鍋も宿屋に集結しているので、深夜に帰宅するのもどうかという話になり、皆で宿屋に泊まることとなった。
 折を見て寝台を抜け出したユールとサンディは、宿屋の裏手でリベルトの霊を見送った。
「…行っちゃったわね。なかなかやるじゃん!こりゃ、あんたのこと天使だって認めない訳にはいかないか。約束通り、天の箱舟に乗せて天使界まで送ってってあげるからカンシャしなさいよ~。ところでさ。あんた、天使だったら星のオーラを回収しなくていいの?そこに転がってるんですケド…」
 ユールはサンディが指し示す場所を穴が開くほど見つめてみた。オーラがあると思しき場所をぼふぼふ撫でたり叩いたりしたが、今の彼女では星のオーラを見ることも触ることもできないようだった。
「事態は…想像以上に深刻なようですね」
 ショックが大きすぎて逆に冷静になってしまったユールと対照的に、サンディがバタバタと騒ぎ出した。
「あんた星のオーラ見えてないの?見えなくなっちゃったのっ!?前言テッカイしたいんですケド。こんなヤツ、信用していいのかな?今のあんたって、ただの霊感鋭いガキってことじゃん」
「剣も魔法も使えますよ、人並みに」
「あ、コラ待てってば!」
 夜明けまでここで答えの出ない問答をする気はないので、ユールはサンディを置いてさっさと部屋へ戻ることにした。

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