2011年1月6日木曜日

王国の危機

 ユールは薬屋の店主セラパレスと共に、セントシュタイン城へ向かった。
 セラパレスはセントシュタインで生まれ育ち、独学で薬学と治療学を学んだ「僧侶もどき」。もどきとは本人の弁で、神学を修めていないので僧侶を名乗るのに抵抗があるのだそうだ。
 豊富な薬学の知識を見込まれ、王室お抱えの薬師として出仕を勧められても「宮仕えは向いていない」と断っていると聞いて、ユールは驚いた。
「今のままでも十分やりがいはあるし、稼ぎもあるし。わざわざ堅苦しい王宮で働かなくてもと思ってね。自分の目の前にいる人を助けるのが、私の務めだと思うから」
「つとめ、ですか」
 自らの進むべき道を思い定めた者は強い。規模は違うが、守護天使も自身の庇護下にある人間たちを守る点では同じだ。
 跳ね橋を渡り、城門前での簡単な手続きを経て、彼らはあっさり城内に入ることができた。
 セラパレスは階上へ続く大階段を指差し、言った。
「この上が広場だよ。階段を上がった後ろの扉から外に出るんだ。一人で大丈夫かい?」
「ここまで来れば迷いようがありません。大丈夫です」
 ユールはどんと胸を張る。それもそうだねと彼は笑って、
「私は兵士たちの詰め所にいるから、用事が終わったらおいで。場所はこの奥の左の塔の2階だ」
「はい。ではまた後で」
 足取りも軽く大階段を登ったユールは、目の前に聳え立つ重厚な扉に釘付けになってしまった。
「この扉は…」
「いかにも王様がいますってカンジー」
「ですよね。その割には、誰もいませんが」
 扉の向こうに国王がいるはずなのに、衛兵が一人もいないのだ。
 何となく大扉に近づいたユールは、聞こえてきた会話に耳をそばだてた。サンディも同じく扉に張り付いている。
「何度言えば分かる!あの者に会いに行こうなど、このわしが許せると思うのか!?」
「ですがお父さま、あの黒騎士の目的はこのフィオーネです!わたくしが赴けば民は安心して暮らせることでしょう」
「我が娘をあんな不気味な男に差し出すなどとんでもない!」
「…何、親子ゲンカ?」
 サンディと顔を見合わせ、ユールは言った。
「黒騎士って何のことでしょうね。…あ、開いた」
「さ、さすがに怒られると思うんですケドっ」
 軽く扉を押したら開いてしまったので、ユールは腹をくくって中に入ることにした。
 人払いをしていたのだろう。中央に玉座が据えられた大広間にも兵士の姿は無かった。
 床に敷かれた絨毯が足音を消してしまう。言い争いを続けている王と姫も、玉座に腰掛け泣き崩れている王妃も、誰もユールの存在に気づいていない。
「大丈夫なの、この国…」
 サンディががっくりと肩を落としているが、当然ながら人間たちには見えない。
 (おー、王様だー)
 きょろきょろと緊張感なく周囲を見回している少女の姿を見咎め、玉座の国王が立ち上がった。
「おぬし、誰の許可を得てここに参ったのだ!答えよ!」
「えっと、許可というか…」
「ほらー、やっぱり怒られたじゃん!謝っちゃいなさいよユール!」
 サンディにせっつかれ、ユールが答えあぐねていると、国王が何やら得心がいった顔でポンと膝を打った。
「そうか!おぬし、黒騎士討伐に名乗りを上げに来たのだな!?あやつめを倒すのに力を貸してくれるというのだな!?」
「お父さま!こんな小さな子が黒騎士討伐などできるわけがないでしょう!?きっとただの迷子ですわ!」
 父を止めるべく声を荒げる姫と、流れ落ちる涙を拭いもせずユールを見つめる王妃。
「…何か、お困りのようですね。私にできることでしたら」
 悩み苦しむ人の子を放っておくことなどできない。片手を胸に添え、深々と一礼して、ユールは言った。
 翼も光輪も無くしたとは言え、天使の名は伊達ではない。人にあらざるものの気迫、冒しがたい神性が彼女の小さな体から放たれていた。
「うむ。…うむ、こちらへ来よ、幼き戦士。名は何と申す?」
「ユールと申します。国王陛下」
 一早く立ち直った国王が、ユールに話しかけた。不審者としてつまみ出されるどころか、すんなりと話が進んでいることに驚くと共に安堵し、サンディはやれやれとため息をついた。
「これって、守護天使効果…ってヤツ?」
 それとも人間が単純にできているだけなのか。ひとまず判断は棚上げとし、彼女も国王の話に聞き耳を立てる。
「先日、この城に異形の黒騎士が現れ、我が姫を拐かそうとしたのだ。兵士たちがあやつの魔の手をどうにか退けたが、黒騎士は去り際に、明後日の夕刻までに姫をシュタイン湖へ連れてくるよう言い残した。わしはその言葉を黒騎士の罠だと思っておる。わしがシュタイン湖に兵を送り、城の守りが手薄になった所で、あやつは攻撃を仕掛けてくるに違いない!それ故、わしはおぬしのような自由に動ける者を欲しておったのだ」
「明後日とは!もうあまり時間がありませんね」
「そうじゃ。おぬしにはすぐさま出立してもらいたい。できるか?」
 ユールがこっくりと頷く横で、フィオーネ姫が目を潤ませイヤイヤと首を振った。
「ああ、お父さま…。わたくしの言うことを少しも聞いてくださらないのね…っ!」
「これ、フィオーネ!」
 泣きながら走り去った姫を気遣わしげにユールは見送った。横の王妃は顔を覆ってさめざめと泣くばかりだ。
 己の感情が静まるのを待って、国王はユールへとため息混じりに語りかけた。
「すまぬな。あれは心優しい娘ゆえ、己のせいでこうなったのだと責任を感じておるのだ」
 姫のことが心配だが、残念なことに、今の彼女にできることは何もなさそうだ。
 ゴホンと一つ咳払いをし、居住まいを正した国王が、ユールに厳然と命を下した。
「ユールよ。これよりシュタイン湖に赴き、黒騎士の所在を確かめて参れ!もしそこであやつとまみえた時には、おぬしの腕の見せ所ぞ。そのまま黒騎士を仕留めてまいれ!この国の喉元に突きつけられた黒き刃を、おぬしが打ち払うのだ!」 
「はい、陛下。ご期待に沿えるよう、全力を尽くします!」
 膝を折って、ユールは平伏した。
 玉座の間を辞し、本来の目的である天使像の元へ来たユールは、像が何の反応も見せないこと、この街の守護天使たちの気配が全く感じられないことに落胆していた。
 オレンジ色の夕陽に照らされた逞しい男性の天使と、たおやかな女性の天使。対になった像はよく手入れされ大事にされているのがよく分かる。
「ボルタス様。ちゃんと大事にされてるじゃないですかー…」
 何とか言えと天使像の足元に蹲り、のの字を書いているユールを、サンディが容赦なくつついた。
「どーなのユール。アタシは何にも感じないんですケド。天使界につながる手がかりっぽいのはあり?なし?どっち?」
「残念ながら、無しです」
「でも、ここの人たちみーんな黒騎士に困ってるんだよネ?これは人助けのチャンスだって!これだけ多くの人に感謝されて星のオーラが出れば、神様もアタシたちのこと見つけてくれるハズ!よし、何か希望が見えてきたんですケド!それじゃあさっそく黒騎士退治に行っちゃいますかっ!」
 できぬことを嘆いていても仕方が無い、今はできることをするべき時だ。幸か不幸か、黒騎士の提示した期日まであまり間が無い。悩み迷う時間がないことに感謝すべきかも知れない。
「…そうですね。シュタイン湖に行ってみましょう。明日」
「あしたぁ!?アンタ天使でしょ、昼夜関係なく動けるでしょっ」
「夜間の外出は魔物がウヨウヨいるから危険ですよ」
「魔物くらい、かるーくぶっ飛ばしなさいっての、もう…」

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